21.衛兵はかく語りき-2

 早速だがピンチだ。どうやら集合場所を間違えたらしい。

 来週から衛兵としての仕事が始まるのでそれに先んじて事前説明が執り行われる、という手筈だった。
 だが、先ほども言ったが俺は間違った場所に来てしまったようだ。俺が勤務するのは民間の教育施設の警備。対して俺が今いる場所はこの国を治める国王がおわす王宮……に併設されている衛兵の詰所。何がどうしてこうなったのか自分でも分からない。

 渡された指示書には集合場所はここだと書かれている。だが絶対違う。たぶん上級のものたちに渡される指示書が俺にも来てしまったのだろう。『それってセキュリティ上とてもまずいのでは?』とつっこまざるを得ない。
 ともかく周りのきびきびとした動きの、見るからに優秀そうな者たちと比べると場違い感がすごい。いちおう衛兵の証である腕章は付けているため問い詰められることはないが、それも時間の問題だ。

 どうしよう。どうやったら怪しまれずにここから抜け出せられるだろう。衛兵としての仕事が始まる前に先達の衛兵に連行されるなんてシャレにならない。結構冗談抜きで前科者になる可能性がある。なんで俺は事あるごとに前科者になる機会を与えられているんだ?いっそのこと一回しょっぴかれればいいのか?んなわけあるか。

 さも『自分はいま休憩中です』という態度を装い、壁に背を預けて腕組みをする。大人の余裕ってやつだ。たぶん本来の意味は違う。
 どこから外に出られるんだろう、などと考えながら行き交う人を眺めていた。
 その時ふと詰所から出てきた、自分より背の低い人物にあいつの姿が重なった。

「まっ、――レイジっ!」

 咄嗟に腕を掴んで引き留めると、その人物は驚いた様子で振り返る。
 違う、レイジじゃない。その顔はどこかあいつに似ていた。でも違う。その人物は困惑したように俺を見つめている。
 
 早く離さないと。でも、ずっと探し求めていたものをようやく掴んだような気がして離せない。

 お互い黙り込んだままでいると横から伸びてきた腕によって引き剥がされた。
 俺の腕を凄まじい力で引き剥がした人物を見るととても恐ろしい形相で俺をにらみつけていた。
「ルイに何するつもりだ」
 白衣を着た長身の男性はその手の力を強める。その眼光は眼鏡のレンズを通しても鋭く冷たいものだった。
「クルベス、俺は大丈夫だから……」
「ルイは危ないから戻ってろ」
 絶体絶命だ。たぶん何を言っても信用してくれそうにない。でも見ず知らずの子の腕をいきなり掴んだのは俺だ。怖がらせてごめん……と心の中で謝りながら青い瞳の子を見る。ルイと呼ばれた子はなおも「大丈夫だから」とその手を離させてくれようとしている。その優しさに申し訳なくなった。
 それにしても何故だろう。この子に見覚えがあるような気がする。目の前の(俺を射殺さんとする絶対零度の目を向けた)長身の男性もどこかで……それに『ルイ』って名前も……あ。

「もしかして弟くん?」
 そう言うと二人の視線は再びこちらを向いた。頑張れ俺。これを聞いてもらえなかったら問答無用でお縄につくぞ。
「えっと……俺、レイジと同じ学校であいつの友達のエスタ・ヴィアン……ほら、よく週末とか家に来てて、エっちゃんって呼んでくれてただろ」
 青い瞳の子、弟くんはまだピンと来ていない様子だが長身の男性、レイジとルイの伯父であるクルベスは「あぁ!」と声をあげる。
「お前、レイジの……!こんなところで何してんだ」
 どうやら思い出してくれたみたいだ。九死に一生を得た。
「俺、今年から衛兵になるんです……ここの勤務じゃないですけど」
 自分から言っておきながらその事実に居たたまれなくなり目を逸らした俺に、クルベスは訝しげな目を向ける。
「それってどういう……とりあえず場所移すか。こんなところで話し込むのもよくないし。ルイ、俺の部屋行くぞ」
 声をかけられた弟くんはいまだに戸惑いを見せるが、ひとまず頷いて遠慮がちに俺たちの後ろをついてきた。

 

 どうやら先ほどの発言からここはクルベスの私室らしい。綺麗に整頓された部屋に奥へと続く扉が一つ。ソファと低めのテーブルと本棚には……アルバムがあった。弟くんたちの家で似たような物を見たのを思い出す。意外と覚えているもんだな、と自分でも感心する。
 ソファに腰を下ろし、とりあえず弟くんに思い出してもらおうと俺自身のことを話した。それからあの日のことと今に至るまでの日々をかいつまんで。話している途中で弟くんも俺のことに気づいてくれたようでとても驚いていた。また、当時のことを思い出したのか少し泣きそうな表情を浮かべた。

「でも本当によかった。ずっとどうしてるのか分からなくて心配だったから」
 若干涙ぐみながら安堵の息を漏らす。
 弟くんの両親は亡くなり、レイジは行方不明になったと聞いた。だが重傷を負った弟くんがその後どうなったのか、ということだけは何も情報がなかった。それも仕方ないのかもしれない。結局事件は解決しておらず、犯人も不明のまま。下手に居場所が知られたら再び襲われる可能性もあるのだから。
 それにしてもこんなところにいたなんて。そういえば以前、弟くんたちは王室と親戚だと言ってたか。それならここにいてもおかしくはないのかもしれないな。ここだったら警備があって他より安全だし。
「……えっと」
 重い沈黙に包まれる。事件のことを聞いても……いやダメだ。野暮なことを聞くものじゃない。俺は部外者なんだから。
 俺の気持ちを察したのか弟くんが遠慮がちに口を開く。
「クルベス。五年前のこと話してもいいんじゃないかな……あんなに、兄さんと仲良くしてくれてたんだし」
「……ルイがいいなら。じゃあルイはちょっと席外すか?」
 少し気遣うように聞かれたそれに弟くんは首を横に振って応えた。
「いや、一緒に聞くよ。一人で待ってるのもなんだし」
 クルベスは心配そうな表情を見せるが弟くんは「大丈夫」と言って小さく笑う。かなり無理をしているように見えた。

 クルベスの口からとつとつと語られた五年前の出来事。それは、あまりにも残酷で。
 俺がのんきにお土産なんか選んでる間に弟くんは、レイジは――。なんでそんな目にあわなくちゃいけないんだ、と怒りが、悲しみが込み上げてきて。今更そんな感情を抱いても、どうしようもないことは自分でも分かっていた。

「……ごめん、おれ、っ、弟くんが、レイジたちが、そんな目にあってたのに、なにも……」
「あなたが謝ることなんて何もない、です」
 そう言って弟くんはグっとこらえるように唇を噛む。その表情から当時、たった8歳の子どもが酷い経験をしたのだと嫌でも思い知らされた。
「レイジはずっと見つかってないん、ですよね」
 事件の日からここに来るまでの経緯を語られたが、レイジの所在は明言されなかった。おそらく、まだ見つかっていないのだろう。現場の状況は生きていることは絶望的だと思えるものだったらしい。でも聞かずにはいられなかった。すると、弟くんは何か言いたげな様子でクルベスに目配せをした。
「……ダメだ」
「でも、知るべきだ。だってずっと心配してくれて……今だってこんな、自分のことみたいに聞いてくれたのに……!」
 頑として首を縦に振らないクルベスに弟くんは「でも、でも……」と泣きそうになりながら訴え続ける。その二人の様子から、おおかた察しはついてしまった。

「生きてる、のか?」
『誰が』なんて言わずとも、二人は俺の言わんとしてることが分かったようだ。
「聞かなかったことに――」
「クルベス!もう話せよ……っ!無理だよ……言わないままなんて、できない……っ」
 ついに泣き始めてしまった弟くんにクルベスは歯をくいしばった。
「ルイ、部屋出てろ。今から話す」
「いやだ、俺は――」
「何回も聞くような話じゃない。……なんなら隣の部屋でもいい。大丈夫、終わったらちゃんと呼ぶから」
 そう言って強引に弟くんを隣の部屋へと押しやる。弟くんはしきりにこちらを振り返るが、クルベスはそれに意を介さず隣の部屋の扉を閉めた。

「今から話すことは他言無用だ。ここでもごく僅かな、限られた人間しか知らない。……絶対に何があっても他の奴には言わないって約束してくれるか?」
 今から何の話をするのだろうか。分からなかったがその尋常じゃない気迫に圧され、頷いた。それを見たクルベスは重い口調で語り始める。約一年前にこの城で起きたことを。

 話が終わったあと、俺の背中にはじっとりと脂汗がにじんでいた。信じられなかった。いっそのこと何かの冗談なんじゃないかと思いたかったが、クルベスのその沈痛な面持ちからそうではないことが窺えた。
「ほんとに、レイジだったんですか」
 現国王の妻を殺したのは。
「……あぁ。あいつのことはずっとみてきた。見間違いようがない」
 そういえばレイジのやつ『俺が物心つく前からあいつとは付き合いがある』って言ってたっけ。あの時のレイジは苦々しい表情で話してて、でも拒絶とかはしないんだなって、素直になれないだけのあいつの顔が脳裏によみがえる。

「わけがわからない、なんでそんな……」
 理解が追い付かない。喉の奥がはりついて声が思うように出せなかった。
「俺だって分からねぇよ……でも、事実だ。目の前で母親が殺された子の話も聞いた。……ルイからも」
 クルベスの苦い表情に気づかされる。そうだ、弟くんはあいつが人殺しになったのを見たんだ。ずっと行方知れずになっていた、あんなに慕っていた兄が、人を殺すのを。
 そんなこと、もし俺だったら気がおかしくなってしまう。一番つらいのは他の誰でもない、弟くんだ。
「あれからもうすぐ一年が経つ。ようやく、心の整理をつけようとしているんだ。……できればレイジの話はあまりしないでやってくれ」
 言葉が出ず、ただ頷く。それを確認するとクルベスは隣の部屋で待っている弟くんを呼びに行った。

 

「そういえばお前、どこ勤務になるんだ?」
 なおも心配そうに様子を窺う弟くんを気に掛けながらクルベスは問う。
「えっと、確か民間が運営する教育施設です。来週からそこの警備につきます」
 そういえば今日の事前説明をすっぽかしたことになるが大丈夫だろうか。というかいつの間にか『お前』呼びになっている。まぁ今更『きみ』って呼ばれるのも他人行儀な気がするし気にしないでおこう。

「一人暮らしとかするのか?家はもう決めたりしてる?」
「いえ……自宅から通えなくはないんでそういうのは考えてないですけど」
『君どこ住み?連絡先交換しようよ』というひと昔前のナンパみたいなノリでグイグイ聞かれる。そこまで聞くことだろうか。もしかして『久しぶりに会えたから今度あらためて積もる話でもー』とか考えてたり?
 だがそんな予想は外れ、にこやかな表情で告げられる。
「そっか。じゃあ来週からこっち来れるな」
「話聞いてました?」
 失礼だとは思ったが、そう言わずにはいられなかった。
「ちゃんと聞いてたよ。悪いけど、来週からは城内警備にまわってほしいんだ」
 藪から棒に。てかなんの脈絡もない。
「すみません。俺、頭よくないんで高度なギャグには対応しきれないです」
「こんなときに冗談言うと思うか?」
 手を上げて降参の意を示すとめちゃくちゃ威圧感のある笑顔を向けられた。気分はさながら蛇に睨まれたカエルだ。ダッシュで逃げたい。
「俺の拙い頭でも理解できるようにご説明いただけますと幸いなのですが……」
 めちゃくちゃへりくだった言い方になったけど、あの笑顔の前では誰だってそうなると思う。それを気に留めることなくクルベスは口を開いた。

「さっきまでの話、特に一年前の話はほとんどの奴が知らないんだ。一応レイジはお尋ね者になってるが……国家警備隊のほうで専用の対策室が設けられた上で極秘に捜査がされているって状況だ。まぁ、あいつも王室と関係はあるからこんなことが表沙汰になったらおおごとだっていう理由もあるし」
 やっぱりそういう裏の事情ってのもあるか。なんにせよ情報統制を徹底しているのは理解できた。だって今日までレイジは五年前からずっと行方不明なままだと思っていたのだから。

「現時点で詳しい事情を知ってる人間はほとんどいない。そこにお前が来た。衛兵って役職のお前が。もし、この城にまたレイジが現れたら……衛兵のお前ならすぐに駆けつけられるだろ?事情を知ってる奴のほうが対処しやすい。あいつが魔法を使えることも、お前ならよく知ってるからな」
 余計な被害はあいつ自身のためにも出したくない、と呟く。レイジが人を傷つけるためにその力を使うとは到底思えなかった。だがあいつは殺人を犯したんだ。あらゆる事態を想定しておいたほうがいい。
「それにお前には目の届く場所にいてもらったほうがこっちも安心できるし」
 付け加えられた一言がまた怖い。もしうっかり口が滑ってしまった、なんてことがあったら俺はどうなるんだろう。ここ、地下牢とかないよね?

「あとこれは個人的なことだけど……ルイのこと、守ってほしいんだ」
「……俺?」
 それまでただ黙って見ていた弟くんがクルベスの顔を見上げる。クルベスは優しく微笑み、その頭を撫でた。
「安全だと思ってたこの場所であんなことが起きた。できればずっとそばにいたいけどそれも難しい。もしも、俺がいない時にルイに何かあったら俺は一生後悔する。……俺は、ルイまで失いたくない」
 その言葉に弟くんは何かを言おうとして、やめた。

「ルイだけでなくもう一人の子も。あの子も……とてもつらい思いしたから」
『もう一人の子』とは先ほど聞いた話の中で出てきた子どものことだろう。とても人と関われるような状態ではなくなってしまったため記憶の書き換えをおこなった、と聞いた。

「子どもたちにはみんな心穏やかに過ごしてほしい。それだけなんだ」
 それはまるで、祈りのようだった。

「……先に言っときますけど俺、勉強は見れませんからね」
「知ってる。それは最初から期待してない」
「言葉のナイフって知ってます?」
 ははっ、と笑って流されたことに釈然としないが……心配そうに見ていた弟くんの気が和らいだので良しとするか。

 


第一章から三年前にあたります。前回のお話は八年前。ちなみにこの時点ではルイはティジへの恋心は『まだ』です。