あれから数日掛けて城の探索を終えた。結局この数日の間で記憶は戻らず、あの声の主を見つけ出すことも出来なかった。
それともう一つ。あれ以降、あの不思議な夢を見なくなった。
だからといって何も行動せずにいても状況が変わる事はないので、あの声が示していた事や子どもが発した「もう来るな」という言葉の意味について考えてみようとした。だがその度に耐え難いほどの頭痛に襲われて、夢での出来事について考えることはおろか、立っていることすらままならないという状態に陥ってしまう。
こうなってはどうしようもない。夢について考えるのはもう少し落ち着いた後にして、いま出来る事をするとしよう。
そう気持ちを切り替える自分の横で、今日も今日とてルイを見送ったエスタさんが「さて」と顔を向ける。
ちなみにエスタさんはつい先ほどまで、学校へ行こうとするルイに「何かあったら……いや、『何か変だな』って思った時点ですぐに連絡するんだよ!危ない目に遭う前に!絶対!連絡するんだよ!絶対だからね!」と何度も注意しており、最終的にクルベスさんに「そろそろ行かないと遅刻するから離れろ」と引き剥がされていた。
「それじゃあ今日はどうする?昨日でお城の中はだいたい見終わったし。やりたい事があったら遠慮なく言って。何でも付き合っちゃうから……あ、でも勉強はちょっと厳しいかなぁ……」
それ以外なら何でも、とエスタさんは自信無さげに目を逸らす。その様子から推察するに彼は勉強が大層苦手らしい。
確かに勉学の方も気になっているが、今回の『やりたい事』はそれとは異なるのでエスタさんにお願いしても問題ないはず。
でも万が一困らせてしまったらどうしよう。浮かび上がった不安を払拭するように小さく息を吐いた。
「エスタさんとか、クルベスさんとか……みんなの話が聞きたい」
俺の発言にエスタさんは「みんなの話?」と首を傾げる。それに俺は「うん」とノートを見せながら続ける。
「これには自分に関する事は結構書いたけど、周りの人の事はそんなに書けていないと思ったんだ。それにみんなの事を知ることで俺も何か思い出せるかなー……とか思ってみたり」
なるべく軽い調子で言うことを心掛けたが自分から記憶のことについて触れるのはやはり緊張する。
緊張を誤魔化そうとして先ほどのエスタさんと同じように俺も視線を逸らしていると、エスタさんは「あー……なるほどねぇ……」と考える仕草をした。
「言われてみれば。俺はともかく、クルベスさんとかジャルアさん、あとサクラちゃんもか。あの人たちは最初に自己紹介したきりだもんね」
「うん。それにあの時は何が分からないのかも分からないって状態だったし……少し落ち着いた今ならまた何か気付くことがあるかなって」
「そうだねぇ……うん。確かに。その考えも分かる。すごく分かるよ。『一理ある』ってこういう時に使うんだっけ」
そう頷くエスタさんは「そうだなぁ」や「確かにね」と歯切れの悪い返事を繰り返す。心なしかその表情には迷いが滲み出ているように見えた。そんなやり取りをしていると背後から人の気配が。
「ワンワンうなってどうした問題児」
「ワンワンじゃないです、うんうん唸ってるんです。ワンワンだと吠えちゃってますよ。いや、思わず冷静に突っ込んじゃったけど上官なんでいるの?今のお時間はジャルアさんのところに行ってるご予定では?」
いつの間にか真後ろに立っていた上官さんにエスタさんはさりげなく距離を取りながら問いかける。それに上官さんはさも当然といった様子で「もう終わったから詰所に戻るところだった。あんだけ騒いでたらちょっと離れてようが気付く」と腕を組んだ。
騒いでたら、とはルイを送り出す時に繰り広げられていた応酬(主にエスタさんによる一方通行な注意喚起)の事だろうか。あくまで個人的な意見だがこの場所――通用口と国王の執務室は『ちょっと』どころではなく『かなり離れている』に該当するのではないかと思う。事実、エスタさんは「ひぇっ、地獄耳……!」と震え上がってるし。
「いや、でもちょうど良かった。すみません、上官。ティジ君のこと少し見ていてくれませんか。ちょっとクルベスさんに連絡したいのでその間だけでも」
「上司に指図するとは良い度胸だな。いいぞ。さっさと行け」
「上官、もしかして渾身のボケかましてます?ダメと見せかけての良いよ的なノリツッコミ?ガラじゃ無さすぎて明日は季節外れの雪どころか槍が降ってきそうで怖いんですけど……あ、すみません。嘘です。冗談です。ごめんなさい」
上官さんは人を殺せそうなほどの鋭い眼光を飛ばし、それを喰らったエスタさんは「生意気なこと言ってすみません」とひたすら謝り倒していた。
「じゃあお言葉に甘えて……ティジ君、ちょっと待っててね。クルベスさんたちの話も聞くってなったら向こうの予定とか確認しておかないといけないから。えーっと……上官、ティジ君のことを怖がらせないでくださいね?」
「ンなふざけたことするわけないだろ」
「え、今さっきおふざけになってましたよね?一人でノリツッコミしてましたよね……?」
困惑の声をあげていたエスタさんだったが、上官さんの剥き出しの刃のような目つきに射抜かれ「無駄口叩かずにさっさと電話してきます」と早口で言いながら逃げて行った。
エスタさんの姿を目で追い、やがてその背中が見えなくなる。そうして改めて上官さんと二人きりで残されたという現状に目を向けた。
上官さんとはまだちゃんと交流した事がない。エスタさんの話によると、記憶を失う前の俺も上官さんとはあまり話をした事がなかったらしい。良い機会だから今のうちに上官さんともお話をしてみようかな。
「上官さん、突然すみません。俺、あなたの事をあんまり知らなくて。もし良ければ上官さんのお話――」
喋っている途中で何の前触れもなく上官さんの手がこちらに伸びてきた。突然のことに言いかけていた言葉が引っ込み、迫り来る大きな手を凝視してしまう。上官さんはこちらが固まっている事に気が付くとはじめと同様に突然俺の頭上で手を止めた。
少し待ってみるが上官さんはその手を下ろす事なく、まるで腕から先が石像になったかのように微動だにしない。行動の意図が掴めず『これは一体どういう状況……?』と首を傾げると、空中で固定されていた上官さんの手がそのままポスリと俺の頭に乗せられた。
「無礼を働き、申し訳ない。なにぶんこちらも子どもの相手には慣れていないため何卒ご容赦いただきたい」
上官さんはそう言ってまるで子どもをあやすように頭を撫でてきた。その手つきは錆びついた機械のようにぎこちなく、日頃からやり慣れていないのだと察した。
こんな時、きっとエスタさんなら何か気の利いた返しが出来るのだろうが自分ではどのような反応をしていいものか分からない。ひとまずされるがままに撫でられて、内心は戸惑っている俺に上官さんは手を動かしたまま口を開いた。
「あの人にもやってもらうといい。確かよくされてると問題児から伺っている」
俺が「あの人?」と聞き返すとクルベスさんの事だと教えてくれた。どうやら記憶を失う前の俺はクルベスさんによく頭を撫でられていたようだ。
上官さんはクルベスさんに並々ならぬ関心を抱いているようで「一度本気で拳を交えて……腰を据えて話し合いたいものだ」と話す。そう語る上官さんの声はどこか楽しげに聞こえたのは気のせいだろうか。
……上官さんの様子についてこれ以上追求しないでおこう。心なしか、その目が獲物を捉えた狩人のようにギラついてる気がしたけれど気付いていないふりだ。
でも上官さんがここまで関心を持つ人とは……ますますクルベスさんに興味が湧いてきたな。
その後、クルベスさんとの連絡を終えて戻ってきたエスタさんは俺たちの様子を見るなり「上官がティジ君を撫でてる!?俺がいない間に何があったの……!?」とひどく驚いていた。やはり上官さんは普段はこのような事はしないタイプだったらしい。
エスタさんがルイに「何かあったら絶対連絡してね!」などの注意喚起するやり取りは毎朝必ず発生してます。時々ならまだしも毎朝言われるのでルイは『心配性にもほどがある……』と思ってる。
でもエスタさんとしては、レイジに「じゃあまた来週な」って言ったっきりそれが今生の別れになってたり(第二章(20)『衛兵はかく語りき-1』にて)、第三章では学園祭が終わった後「お片付け終わったら一緒に帰ろうね。クルベスさんと一緒に待ってるからー。遅くなりそうだったら連絡してね」ってな感じでバイバイした後にルイたちが攫われてるしでもう気が気でない。
むしろ心配するなというほうが無理がある、というような経験を積みまくってるのであそこまで心配するのは致し方ないと言えるかも。