29.光降り注ぐ窓辺

 国王の執務室。そこでジャルアは6歳の我が子――ティジの話を聞いていた。

 ティジは執務机を挟んだ先のソファに座り、最近読んだ本について楽しそうに話している。6歳の子どもにはまだ難しい内容のはずだがどうやら先代国王かつジャルアの父サフィオと一緒に読んだらしい。
 11月の澄んだ空気が窓から入ってくる。少し肌寒いほうが過ごしやすくて好きだが、ティジが風邪をひいてはいけないので窓を閉めた。

 

「それでね、じぃじが『今度、図書館からぼくの好きそうな本を持ってきてもらうね』って言ってたんだっ!」
 とても楽しみなのか大きな瞳をキラキラと輝かせていた。現在、城の外に必要な物がある場合はクルベスなどの城の者に伝えて、代わりに持ってきてもらうかたちとなっている。回りくどい方法だが割りきるしかない。
「良かったな。じぃじはいろんな本知ってるから多分ティジが見たことない本をたくさん見せてくれるんじゃないかな」
 自分よりもはるかに知識があるあの人のことだ。多分この子が気に入るような本は沢山知っているだろう。

 それにしてもこの子には感心させられる。先ほど本について話していた時、本の内容を要約しようとしていた。やはり難しかったのか途中で断念していたけど、そういうことに挑戦する姿勢が大切なのだ。こういうのは言葉だけじゃなくてなにか分かりやすい形で褒めてあげたいのだが……。
 何かないかと机の上を見る。ふとそこに置かれていたガラスの入れ物に目が留まった。
「なぁクルベス。これ大丈夫かな」
 ガラスの入れ物に入っていた小さな包みを取り出し、ティジの付き添いで一緒に来ていたクルベスに問いかけた。
「あぁ、アレルギーとかないし大丈夫だぞ」
 何をしようとしてるのか察したクルベスはにやけた顔で返す。まぁ自分でもこんなことするのは珍しいって分かってるけど、そんな顔されると無性に腹立つな。

 

「ティジ、手だして」
 ティジの元へと歩み寄り、差し出された手のひらにキャンディー型の小さな包みを二つ乗せた。ちなみに二つという数に深い意味はない。ガラスの入れ物から取り出した数がたまたま二つだっただけだ。ティジは不思議そうに目をぱちくりさせて俺を見上げる。
「チョコレートだよ。こんなに難しい本を読めてティジはすごいなって」
「いいのっ!?」
 これ以上にないほど嬉しそうにしているので「もちろん」と頭を撫でた。

 ティジが驚くのも無理はない。俺の公務が忙しくてティジとゆっくり話す機会なんてほとんどないのでこうしてお菓子をあげた経験も無かったから。それに俺が下手に接触して、万が一アレを誘発させたら。本当はこうして直接ふれることすら恐ろしい。
 でも今後のことを考えたらずっと避けているわけにはいかない。だから精神が安定している今なら、外が晴れている今ならば危惧していることは発生しづらいだろうと考え、撫でてあげることにした。本当はもっと、こんな感じに普通の親子のように接してあげたいんだけどな……。

 

「食べていいんだぞ。甘くて美味しいよ」
 ちなみにこのチョコレートは先代国王……父上から貰った物だ。本人曰く『頭を使う仕事だから。甘い物でも食べて適度に休むんだよ』とのこと。気がついたら私室の机に週に一度のペースで置いてある。高さ10cmほどの正方形の箱に結構しっかり詰められているのは正直言うとやりすぎだと思う。まぁ、これでも少なくなったほうだけど。
 ティジは俺が物をくれたということがあまりに意外だったのか、手のひらに乗った二つの包みをまじまじと見つめて固まっている。その様子に笑いを漏らすとティジはわたわたしながら包みを開き、中のチョコレートを口に入れた。よほど美味しかったのか足をパタパタと動かす無邪気な姿にますます頬が緩む。

「……俺もルイたちに何か渡そうかな」
 どこぞの伯父バカの発言はスルーしておく。
 そういえば下の子……ルイといったか。その子はティジと同い年だったな。ティジにもいつか会わせてあげたいな。こちらが『様子はどうだ』など聞かなくてもクルベスが(勝手に)語りだす内容からルイ君はきっとティジとすぐ仲良くできるだろう。
 それと上の子……なんだっけ……そうだ、レイジだ。その子は以前にもティジと仲良さそうに話とかしてくれてたみたいだし、こちらも大丈夫だろう。まぁティジのほうは覚えていないみたいだが。
 前まではクルベスから護身術とか魔術について教えてもらいにここに来ていたが、今は外部から人を入れること自体を制限しているのでそれも無くなってしまった。あの子にも悪いことをしているな……また会えたときには謝っておかねば。

 

「そう、ジャルアからチョコレートを貰ったんだ。よかったね」
 ジャルアの父であるサフィオは目を細め、自身の膝の上に座るティジの頭に手を添えた。するとティジは満面の笑みを向け、その小さな手にのった包みを差し出す。
「これ、じぃじにあげる!」
「ううん、私は大丈夫だよ。それはジャルアがティジに『よくできました』ってあげた物だからね」
「でも、一人占めはよくないし……」
 本当にこの子は優しい子だな。でもその目はチラチラと自身の手を見つめている。本心は自分が食べたくてしょうがないはずだ。

「チョコレート、美味しかったんでしょ?私は美味しそうに食べるティジが見られればそれで十分」
 そう告げるとティジは少し迷った後、その手にあったチョコレートも口にした。嬉しそうに体を揺らす姿がまた可愛らしい。よっぽどチョコレートが気に入ったのだろう。チョコレートをあげた時のことを直接ジャルアに聞いても恥ずかしがってしまうだろうから……うん、後でクルベスに聞いてみよう。彼なら多分喜んで話してくれるはずだ。
 今度からはジャルアに贈る菓子はチョコレートを重点的に入れていくか。そしたらティジにあげるという口実で交流する機会も増やせるかもしれない。
 きっとジャルアもこの子との接し方を探っているのだろうな。クルベスもまだ苦しんでいるみたいだし……二人が持ち直すまでの間、ユリアさんと私がこの子のそばにいてあげないと。

 

「それじゃあティジ。今日はどんな本を読もうか」
「男の子と妖精さんのお話!」
 身をのりだし間髪入れずに言う姿に「ティジは本当にこのお話が好きだね」と笑みをこぼす。そこでふと、ある本の存在を思い出す。
「そうだ。ティジも気に入っているこのお話にはもう一つ違うお話があるんだよ。少し難しいかもしれないけど聞いてみる?」
「聞く!」
 お話に出てくる妖精と同じ、紅い瞳を瞬かせる。
「それじゃあ『男の子と妖精さんのお話』を読み終わったらそちらのお話もしてあげるね」
 ティジは大きく頷き、私の膝の上に座りなおした。

「でもぼく、お外いきたいなぁ。お外の図書館ってここよりいっぱい本があるんでしょ?」
 いいなぁ、と呟くティジに困ったように眉をへたらせる。
「うーん、でもティジはまだ小さいからなぁ。私の体調がもう少しよくなったら一緒に行けるんだけど」
 私がそう言うとこの子は決まって私の体調を気遣う。そんなことは百も承知だった。
「あ……やっぱりぼく大丈夫だよ!じぃじが苦しくなったら嫌だもん」
「……ごめんね」
 ううん、と首を振るティジに胸が痛んだ。

 

 読み聞かせていた本を閉じ、脇によける。私に体を預けて眠っている、年相応の穏やかな寝顔を静かに見守った。

 私の身体が弱いのは本当だ。でも、全く外に出られないほどじゃない。この子の優しさにつけこむかたちとなっている現状に罪悪感が押し寄せる。
 それに近頃は以前にも増して体調が悪くなる頻度が上がっている。嘘から出たまことというべきか……いや、この子の優しさを利用した罰が当たったのかな。この子と一緒にいられる時間はそう永くないだろう。
 だめだ、考えすぎるな。病は気から。プラシーボ効果によってますます体調が悪化したらいけない。できるだけ永く、この子に寄り添ってあげたいのだから。

 その白い髪をすくように撫でていると、心地よい風が自身の亜麻色の髪をなびかせる。開放していた窓に目をやると見知った影があった。
「あぁ、久しぶりだね」
 ここ最近は慌ただしくて、彼もそれを端から見ていたのだろう。ようやく落ち着いたのを見計らって足を運んでくれたようだ。よくまわりを見ている人だし、今も『何かあったのか』と問いかけられる。
「少しね、色々と大変だったんだ」
 話すと長くなるし今は話せない。するとその空気を察したのか彼はそれ以上追及することはなかった。
 ふと、彼は脇に置いていた本に目を留める。

「これはね、この子に聞かせてたんだ。……とても気に入ってたよ」
『男の子と妖精さんのお話』のあとに読み聞かせた本。ティジはこのお話のことを「あたたかい感じがする」と朗らかな笑顔で言っていた。
「遠慮しないでこっちに入ってきたらどうかな。しばらくは人も来ないし」
 いや、クルベスが唐突に訪ねてくることもあるけど。そしたら……ベッドの下にでも隠れてもらおう。彼はいそいそと遠慮がちに窓枠を乗り越える。いつまで経っても慣れない様子に吹き出してしまいそうになった。

 

 床に足をつくと彼は落ち着かない様子でティジをしきりに見る。やっぱり何があったのか気になるかぁ……。どうしよう、話したほうがいいかなと考えていると『この子に触れてもいいか』と聞かれた。『あれ、私が考えていたほうじゃなかったか』と肩透かしを食らった気分だが、念のため頭には触れないことと魔術は使わないことを注意しておいた。
 彼はその注意だけで何があったのかおおよそ察したようで『貴方が危惧しているようなことは絶対にしない』と言って、力強い瞳で私を見据えた。
 まぁ彼との付き合いも伊達じゃないので了承の意を込めて微笑みで返すと、彼はまるで割れ物を扱うかのような手つきでティジの手首に触れた。
 すやすやと眠るティジを一瞥し意識を集中させるようにその瞳を閉じる。そしてすぐに目を見開いた。

「この子――」
 泣きそうな顔で彼は告げる。この子の魔力がこれから更に増えていくこと、魔法の発現もそう遠くないこと、そしておそらく……この先、この子が歩む道は平坦ではないということ。
 何か隠してるなぁ、とは思ったが追及しないことにした。彼が隠し事をするなんて滅多にないのだから彼なりに考えてその上で言わなかったのだろう。彼がそう判断したのなら私たちにできることなんて何一つない。

 

 一つに結われた彼の長い三つ編みが風に揺れる。時計を見るともうすぐ午後三時になるかというところだった。
「おっと、もうそろそろ人が来てしまうね」
 そう言うと彼はハッとしたように慌ただしくて窓枠に手をかける。まぁ堂々と人前に姿を見せられないのは分かるけど……というかそこから出た後はどうやってここから抜け出しているのか気になってしょうがない。お得意の魔術でどうにかしてるのか、それとも普通に警備の目をかいくぐっているのか。
 出る直前に彼がこちらを振り返ったので、自分の腕の中で眠るこの子も大好きな『男の子と妖精さんのお話』になぞらえて別れの挨拶を告げる。

「じゃあね、綺麗な妖精さん」

 またいつか、会えるといいな。

 


ティジが6歳の時、なんだか肌寒い日が増える11月のとある一日の出来事。じぃじは色々なことを知ってます。

『男の子と妖精さんのお話』の詳細は番外編『おとぎ話は雪解けと共に』にて。その後に読み聞かせたという『もう一つの違うお話』は『第二章(13)新たな居場所-3』にてティジの部屋に置いてある本のこと。「番外編とは?」って思われそうですが自分もそう思います。