「それじゃあティジ君、終わったら迎えに行くから連絡してね。ジャルアさんとのお話、楽しんでくるんだよ」
エスタさんに俺はコクリと頷く。でも自分が目を覚ましてから――記憶を失った状態で目覚めた日以降、父さんとはろくに言葉を交わせていない。そんな状態で会話を楽しむことなんて出来るのだろうか。そんな気持ちが顔に表れていたのかエスタさんは縮こまっている俺の肩にポンと手を置いた。
「大丈夫。俺もジャルアさんとお話したことがあるけど結構お茶目っていうか独特な空気感というか……面白い人?いや、王様を面白い人って言うのは良くないのか……?とりあえず怖い人ではないから。あっと、そろそろ行かないと話す時間が無くなっちゃうか。それじゃあまた後で」
またね、と手を振って立ち去るエスタさんに「うん、また後で」と手を振り返す。そうしてエスタさんの姿が見えなくなるまで手を振り、前に向き直る。目の前には荘厳な扉が佇んでいた。
扉の横には警備の衛兵が立っており、この先が並々ならぬ場所だという雰囲気が漂っている。緊張をほぐすため二、三回深呼吸すると意を決して扉を叩いた。
『こんな立派な扉だったらノックなどしても聞こえないのではないか』という不安が頭をよぎるが、それも杞憂だったようで扉の向こうから「入っていいぞ」という声が聞こえてくる。俺はその声に返事をするように、見た目だけでなく握り心地もいい取手に手を添えて、その扉を開けた。
「いらっしゃい……って言い方も変か。よく来てくれた。あー、なんかこれも違う気がする……まぁいいや。ごめんな、ゆっくり時間とれなくて」
「ううん、大丈夫」
執務机の向こうから歩み寄る父さんに俺は扉が閉まったことを確認しながら首を振る。俺がそのまま扉の前で立ちっぱなしでいると父さんに「とりあえず適当にそこ座って良いから」とソファを勧められたので俺はそれに甘えてソファに腰を下ろした。
今日は父さんとのお話し合いの日。だが父さんもとい現国王であるジャルア・リズ・レリリアンは多忙を極める身の上であるため、この執務室で昼食を摂りながらおこなうこととなったのだ。『むしろ無理をさせているのではないか』と申し訳なく思っているとそれが表情に出ていたらしく、父さんは戸棚から茶器を取り出しながら微笑んだ。
「お前とは一度ゆっくり話したいと思ってたから楽しみにしてたんだ。夜だったら時間も空いてるからもう少し落ち着いて話せるんだけど、親の立場として子どもに夜更かしさせるのは良くないしな。さてと、それじゃあちゃっちゃと準備するか。ティジ、料理長から何か持たされてるんだろ?それ出してくれないか」
父さんはそう言うと俺の手元――料理長から持たされていたランチボックスに目を遣る。ちなみに中身については料理長から『開けてみてからのお楽しみ』と言われたので自分も何が入っているのか知らない。
料理長から持たされていたランチボックスを開けるとその中には3つのケースと水筒、それに小さなカードもといメニュー表が入っていた。水筒にはじゃがいものポタージュ。3つのケースにはそれぞれチキンライス、サラダ、そして最後に……。
「お、タラの香草パン粉焼き。俺の好きなやつだ」
横から顔を覗かせてきた父さんがメニュー表の文字を読み上げる。その弾んだ声と「どれかなー。こいつか!違った……じゃあこっちか!」とウキウキしながらでケースを開ける様子から相当好きな料理らしい。そんな父の姿に自分は『なるほど、料理長は父さんにささやかなサプライズをしようと自分にも中身を秘密にしていたのか』とひとり納得する。
それから食事の準備を終えて「それでは頂くとしよう」と上機嫌な父の先導の元、昼食に取り掛かることとした。食事の合間に質問を適度に挟んでいくが、流石に食事中に書き物をするわけにはいかないので回答はひとまず記憶しておいて後で書き留めることにした。
さて、和やかなお食事会もひと段落して後片付けも終えた頃。ひとまず食事中に質問した内容をノートに書き留めていると父さんがおもむろに口を開いた。
「そういえばあれから結構経ったけど何か困っていることとか分からないことは無いか?」
あれから、というと自分が記憶を失くしてからという事か。困ってることや分からないことは全く無いわけでは無い。エスタさんやクルベスさんの協力のおかげで城のことや周囲の事などはだいぶ知る事ができたがそれでも未だに把握していない事のほうが多い。
だがそれを素直に口に出していいのか分からず言い淀んでいるとそれを察したのか父さんは「あー……っと」とばつが悪そうな顔をした。
「そうだよな、こんな状況じゃあ分からないことのほうが多いもんな。すまん、俺の考えが浅かった」
「いや、父さんが謝ることないよ。俺のほうこそなんていうか……これは俺の問題だし……」
互いに気を遣った結果、二人して黙りこくってしまう。あとに残ったのは気まずい沈黙だけ。
ティジは父親とどれだけ仲が良かったのか分からず未だに距離感を掴めていない。
ちなみにジャルアのほうはというと自分の話をするよりも相手が楽しそうに話しているのを「うんうん」と頷きながら聞くほうが好きであり、そしてどちらかというと口下手なタイプだ。そのためこのように話題に詰まってしまうと何を話したら良いか分からなくなってしまうのであった。
だがしかし、せっかく話す機会が出来たというのにこのまま無為に時間を浪費してしまうのはあまりにももったいない。何とかしてこの状況を打破しなければ。
「そうだ、お菓子食うか!ほら、お前の好きなチョコレート!たくさんあるぞ!」
『何か話題のきっかけになりそうな物はないか』と頭をフル回転させていると父さんは急に立ち上がる。そして執務机の上に置いてあったガラスの入れ物から小さな包みを取り出すとこちらに手渡した。俺はそれに「あ、ありがとう……」と驚きつつも礼を言い、父さんに促されるまま中身のチョコレートを口に入れた。
食事を終えたばかりなので空腹感は無いがそれでもこのチョコレートは格別だ。口の中で甘くほどける甘みを堪能していると、そんな俺を父さんは目を細めて見つめていた。
「お前が小さい頃にもこうしてお菓子をあげた事があってな。その時のお前、まるで宝石でも貰ったみたいに大喜びしてたんだ」
当時を懐かしむその顔はとても優しく、その出来事が父にとっての大切な思い出のひとつなのだと感じられた。
「もしかしたら俺、それでチョコレートが好きになったのかも。父さんから貰ったって事がすっごく嬉しかったんだろうなって」
きっとその時の自分もこのようにあたたかい気持ちになって、その思い出もあわさってチョコレートが好きになったのだろう。
「そうかな。だとしたら嬉しいな」
父さんは穏やかな笑みを浮かべてそう呟く。その眼差しは窓から射し込む陽の光のようにあたたかい。
「じゃあせっかくだ。ここに入ってる物も全部あげよう」
「流石に全部は難しいんじゃないかな……?」
「そうか?チョコレートだしお前なら多分いけると思うぞ」
冗談で言っているのか、それとも記憶を失う前の自分はチョコレートならばあれだけの量を食べ切ることができたのか。父さんの表情や言葉遣いだけでは判断できそうにない。
父さんは執務机に置いているガラスの入れ物のフタを取り、入れ物を丸ごと持っていこうとする。しかし持ち上げる際に少しバランスを崩してしまい、ガラスの入れ物は落とさなかったものの中に入っているチョコレートをいくつか床に散らばしてしまった。
「悪い、やらかした」
「あっ、俺が拾うよ」
父さんが拾おうとするのを止めて、チョコレートを拾い集める。ひとつひとつ綺麗な包みでラッピングされているチョコレートが床に散り散りに落ちている様はまるで空にきらめく星のようで『ちょっと綺麗だな』と思った。
ひとまず全部拾い終わったかな、と周囲に目を凝らす。すると先ほどまで昼食を広げていたテーブルの下で何かがキラリと光った。テーブルの下を覗き込むと、やはりあった。チョコレートだ。こんなところにまで転がってたのか。
テーブルの下に潜り込み、キラキラと光を反射するチョコレートの包みを手に取る。これであらかた全部拾えただろう。
いやはや、でも父さんとの話も和やかに進んで良かった。最初はあんなに緊張していたのにもうすっかり落ち着いている。父さんについてだけでなく共通の思い出も聞けた。
思い出話も今日の事も、そしてこの気持ちもノートにしっかり書いておこう。大切な人から贈り物をされるのってこんなにもあたたかくて、嬉しい気持ちになるんだなぁ。
――きれい……――さん、ありがとう。大事にするね。
ふと、自分の声が聞こえた。その声はまだ幼い。その時の自分は何か持っていた気がする。そうだ、何か貰ったんだ。誰から?いったい何を貰った?
木漏れ日に包まれたベンチ。自分は何か手に持っているが手元だけ不鮮明になり何を持っているのか分からない。
――ティルジア。
また、あの声。俺はあなたから何か貰ったの?
その時、自分が今どこにいるのかも忘れたまま顔を上げたので勢いもそのままにテーブルの天板に思いっきり頭をぶつけた。
「いっ、たぁ……!」
ゴンッという鈍い音を立ててぶつけた頭を抱えて、テーブルの下で悶絶する。せっかく拾い集めたチョコレートを全部落としてしまって、テーブルの下にこれまた見事な星図を描くがそんな事に感動できる状態ではない。
「大丈夫か、今すごい音鳴ったぞ」
「あたま……ぶつけた……」
テーブルの下を覗き込んできた父さんはそれを聞くと「それは大変だ」と怪我の具合を見ようと手を伸ばす。だが俺の頭に触れる寸前で手を止めた。
「あー……後でクルベスに診てもらったほうがいいな。あの感じだと多分たんこぶになってるだろうし」
伸ばしかけていた手を引っ込めて、代わりに周囲に散らばっているチョコレートを拾い集める。拾ったチョコレートをテーブルの上に置くと「ほら、出てこれるか」と呼びかける。ぶつけた頭をかばいながら、また頭をぶつけてしまわないように慎重にテーブルの下から脱出した。
「エスタ君には俺が連絡入れておくから。とりあえず座っとけ」
父さんの提案に大人しく頷き、ソファに避難する。穏やかなお話し合いがとんだ終わり方をしてしまった。よほど強くぶつけたのか頭がぐわんぐわんしている。父さんからの連絡を受けたエスタさんが大量の氷のうを抱えて飛び込んできたのはそれからまもなくの事であった。
お昼のお話し合いに際して、ジャルアさんは三日ほど前から見張りの衛兵やら関係各所に「この時間はよほどの緊急案件でない限り来るな」と根回ししている。お子さんとの交流に取り組む姿勢がかなり本気。
今回途中で会話に詰まった場面。もしもクルベスさんだったら一瞬会話が止まってもどうにかして会話を繋ごうとします。あと弟さんやルイなど身内の話だったら延々とできるので会話に詰まる事は基本的に無い。このジャルアさんとクルベスさんの良き友人ことエディさんもお喋りが好きだし会話のネタも豊富。この大人組の中ではジャルアさんが一番話さないタイプです。