36.ほつれた糸-3

 あれからティジはいくつか質問を重ね、たまに話が脱線しながらも俺の返答をノートに書き込んでいく。やがてノートへの書き込みがひと段落したティジは「よし」と頷いた。

「今日は色々話してくれてありがとう。でも不思議だな。ルイといるとなんかすごく落ち着く。こうしていたのが当たり前みたい。なんていうか……覚えてないのに懐かしいって感じ。変だね」
 ノートに視線を落としたティジは目を細めて『ルナイル・ノア・カリア』に関するページを撫でる。だがその微笑みにはどこか陰が……心なしか悲しげな色が滲んでいて。その表情に俺が何も返せないでいるとティジは「あ……っ」と声を詰まらせた。

「えっとその……いまのは何となく言っただけだから。ごめんね、気にしないで」
「……昔」
 言い繕うティジの言葉に重ねる。俺の呟きにティジは「え?」と目を瞬かせる。

「昔……俺がこの城に住み始めた時、ティジが城の中を案内してくれたんだ。それでその時にここを一番お気に入りの場所だって言ってた」

 真上に広がる青い空。咲き誇る花々。吹き抜ける風。あの頃と同じだ。あれから九年という時を経てもこの景色は何も変わらずここにある。

「あれからずっと、ティジには助けられてきた。ひとりが怖い夜は手を握ってくれて、寂しくならないように一緒にいてくれた。だから……」
 ベンチの上に置かれたティジの手に、自身の手を重ねる。

「だから今度は俺がそばにいる。俺がティジの力になるよ」
 彼と向き合い、その紅い瞳をまっすぐと見つめて言葉を紡いだ。庭園に、二人の間に風が吹き抜け、草花を揺らす。
 俺の言葉にティジは唖然とした様子でこちらの顔を見つめ返していて。やがて目を瞬かせると静かにその顔を下ろした。

「ありがとう、ルイ。……じゃあ、一つだけ聞かせて」
 ティジはベンチの上にある俺の手からスルリと自分の手を抜くと、その手を彼自身の胸元に当てる。そして息を吸い、ゆっくりと顔を上げて、言葉を紡いだ。

 

「ルイから見て俺は……『ティルジア・ルエ・レリリアン』はどういう存在で……どう映ってた?」

 控えめな笑みと共に投げかけられた問い。口元は緩やかな弧を描いているものの、その目元からは感情が読み取れない。
 答えに詰まる俺にティジは「ごめん、やっぱり大丈夫」と謝った。

「答えにくいなら言わなくて大丈夫だよ。突然変なことを聞いちゃってごめんね」
「いや、少し予想外の質問だっただけで……何でそれを聞きたいのか教えてもらってもいいか?」
 こちらの問いにティジは「えっと」と困ったように頬を掻く。

「何となくなんだけど……ルイは俺のことを一番よく知ってそうだなって思って」
「そんなこと……ないよ。俺は……」
 俺は何も知らなかった。過去の事件も。彼の内に秘められていた傷も。雷の日のティジの様子や日頃のクルベスたちの言動から垣間見えていたはずなのに、俺はそれ以上踏み込もうともせず。こんな状態になって初めて、人から聞かされて知った。

 

「結構話し込んじゃったね。もうそろそろ良い時間だしここら辺で終わりにしとこっか。エスタさんを呼んでくるから少し待ってて」
「あ……っ」
 俯いていた俺にティジはパッといつもの明るい笑顔を見せてノートを閉じる。

 ティジに気を遣わせてしまった。このままだと彼はエスタさんを呼びに行ってしまう。『ティジの力になる』と言ったのに。

 お前はそれでいいのか?これまでと同じように、何もしないまま、ここで黙って待っているだけでいいのか?

 このままだときっと何も変わらない。そして全てが手遅れになってから俺はまた後悔する事になる。

 そんなの、嫌だ。

 

「――待ってくれ!」
 立ち上がり、エスタさんを呼びに行こうとしたその背中に声を張り上げる。その声にティジは足を止め、こちらへ振り向いた。
 
「今の質問、答えさせて」
「……いいの?」
 ティジの問いかけにコクリと頷く。俺の隣に座り直したティジは『本当にいいのだろうか』とこちらの顔を窺う。俺はひとつ深呼吸をして、今の彼から目を逸らさないように、自身の弱さと向き合うように、その瞳を見据えた。

 

「ティジは昔から本が好きで、自分の知らない事を知るのが好きで、興味を惹かれる物を見つけたらすぐそっちに行くほど好奇心旺盛だった。それに面白い物を見つけたら俺にも見せてくれたんだ。そんな明るいティジに見ていると……俺もすごく元気が出た。……それに今のティジだって。ティジ自身が大変な状況なのにめげないで色々考えて頑張ってて……正直凄いと思ってる」
「そう……かな」
「あぁ、凄いよ。だってもし俺が同じ状況になったら多分『わけが分からない』って目を逸らしたり落ち込んだりして、自分の状況と向き合えないと思うから」

 クルベスから事件のことを聞かされて、何も知らなかったのは自分だけと知って。その事実を受け止めきれず、俺はただ自分勝手に周りに酷い態度をとってしまった。
 ティジが目覚めた後だって。記憶を失くした彼に動揺して、取り繕うことすら十分に出来ず、周囲に助けを借りてばかりで。学校に復帰してからはまるで逃げるかのようにティジと関わることも減って……こうして彼と顔を合わせて話すこともずっとしていなかった。

「それとティジは相手のことを思って行動する優しさも持っている。俺もそんなティジにたくさん救われた。だけど……ティジは自分よりも周りの人のことを優先するところがあって……自分が苦しくても我慢とかしてしまうんだ。きっと俺が気がついていないところでも色々な物を抱え込んだりしていた……んだと思う」
 もしも俺がそれらに気がついていたら、ティジはこんな状態にならなかったのかもしれない。今更そんな事を悔やんでも、起きてしまった事は変えられない。それなら、俺に出来ることは――。

「俺にとってティジは優しくて、明るくて、見ている人たちを元気付かせるような人で……でも他の人と同じように辛い事や悲しい事があったら傷つくし、色々悩んだりだってする!きっとティジは俺とそんなに変わらない――普通の子どもなんだと、俺は思ってる!だから、だから俺は……!ティジが困ってたら助けたい……俺が絶対、助けるから……!」
 ティジの手を取って誓う。そしてそこまで叫んでようやく我に返る。ティジは鳩が豆鉄砲を食ったような顔をしていた。

 

「ご、ごめん……急にこんな事を言われてもって感じだよな」
「あ……いや、少し驚いただけだから……大丈夫」
 慌てて手を離したがティジは自身の手をその胸元でギュッと握っていた。知らず知らずのうちに強く握りすぎてしまったのかもしれない。

「……ありがとう。ルイのおかげでたくさん分かったよ。それじゃあクルベスさんも待ってくれてるだろうから、エスタさんを呼んでくるね」
 自身の失態に『なぜ俺はすぐ暴走するんだ……!』と頭を抱えている俺にティジは朗らかな笑顔を見せる。そして引き留める間もなくティジは今度こそエスタさんを呼びに走って行った。
 何というか……『困っていたら助けたい』と言ったくせに俺自身がティジを困らせているのではないか?

 

『ありのままの弟くんでお話したらきっと大丈夫だよ』

 こんな時に先刻のエスタさんの言葉を思い出した。おそらくエスタさんも俺があんな発言をするとは夢にも思わなかっただろう。俺だって自分で言って驚いてる。……ティジを困らせてしまったら本末転倒だろうが。

 


 今回の一連の話し合いで出たルイの発言は、クルベスさんやエスタさんが同席だったらきっと出てこなかった物がほとんどです。クルベスさんがいる時に少しでも会話に詰まったり、気まずい雰囲気が流れた場合、彼らは即座にフォローしてくれるので。ちょっと過保護なところがある。