08.境目-3

 今日も今日とて学校を終えて城に帰宅したルイとエスタは帰ってきたことを報告するため、クルベスの元へと向かっていた。
 その道すがら、どこかへ向かう途中だったのかトレイを持ったクルベスと偶然出会う。トレイには水差しとコップ、それと錠剤のシートが載せられているのが見える。
 ルイたちの姿を目にしたクルベスは「お、帰って来てたのか」と言い、それに対してエスタは「ただいまですー」と軽い調子で挨拶をした。

「さっき帰ってきたところなんですよ。でもこんなバッタリ会えちゃうなんて幸先良い的な、何か良い事ありそう」
 何か良いご報告とか無いですか、とご機嫌な様子で聞くエスタにクルベスは「良い事かぁ」と呟く。

「あ、そういえばお前の上司が呼んでたぞ」
「良い事どこ行った。いやいや、もしかしたらここから挽回する可能性も……何かもう少しヒントとか無いですか」
「何だ、ヒントって。あぁでも、このあいだ提出した物がどうとか言ってたな」
 クルベスの言葉にエスタは「うむむ……」としばし考え込む。その隣でルイは内心『ここで考えるよりも早く上官のところに行ったほうが良いのでは?』と思案していた。おそらくクルベスも同じことを考えているだろう。
 この間にもルイはクルベスが持っているトレイについて伺おうかと思っていたが、エスタの「思い出した」と言う声に遮られた。

 

「たぶんアレだ。俺が自分で考えたトレーニングメニューのことです」
「そりゃまた面白い事してるな」
 苦笑いを浮かべるクルベスに対して「いや、これにはちゃんと理由があって」と弁明する。

「このあいだ上官から直々にご指導いただいたんですけど、その時に『体の作りがなってねぇ。いっぺん自分でトレーニングメニュー考えてこい』って言われまして。一緒に渡された参考資料とにらめっこして作ったんです。その内容で何かあったのかなぁ……」
「あぁ、そういうことか。それで『実際に一通りやらせたら分かるか』とかぼやいてたんだな」
「待って、今すごい不穏な言葉が聞こえたんですけど」
 なるほどなぁ、と頷いているクルベスにエスタは「一人で納得しないでください……!」と青ざめている。

「まぁ……さっさと行ったほうが良いぞ。こういうのって下手に長引かせても良い事ないし」
「うぇえ、マジですか……じゃあ今日の送り迎えの報告は後でしますんで。今日も色々あったので楽しみにしていてください」
 あと出来れば健闘を祈っててほしい……と泣き言を漏らしながらエスタは早足でその場を去る。それにクルベスは「おぅ、頑張れ」と軽く返事をして見送った。

 エスタの姿が見えなくなった後、ルイは黙って立ち去るのは少し気が引けてしまい、手持ち無沙汰にその場にとどまる。そんなルイにクルベスは柔らかく微笑んだ。

 

「ルイ。おかえり」
「……ただいま」
 あらためて言われると妙に気恥ずかしくなる。それを誤魔化すようにルイはクルベスが手にしているトレイに目を逸らす。その視線にクルベスは「あぁ、これか?」とトレイに目を遣った。

「ティジの。まぁ昼の時点でだいぶ治ってたからいらないと思うけど念のため」
 たぶん明日には完全に治ってるだろ、と付け加えるのを聞き、ルイは安堵の息を吐いた。

「学校に通い始めて一年経ったからなぁ。その疲れが一気に出たんだろ。ルイは今のところ何ともないか?」
 ルイはその問いかけに「大丈夫」と応え、しばし逡巡したのち言葉を発した。

「ティジのところに行くなら……俺もついていくよ。学校で貰った資料とか授業のノートとか渡そうと思ってたし」
 まだ少し心配だから様子を見に行きたい、と言うのは照れくさくてもっともらしい理由を付け加えたが、かえって言い訳がましくなってしまった気がする。だがクルベスはそれを指摘することなく「それなら一緒に行くか」と言うと、ゆっくりと歩き出した。
 身長が平均を軽く超えているクルベスは他者と比べて歩幅が長いだろうに、一緒に歩いていて置いていかれたり疲れた経験が無い。もしやわざわざ歩調を緩めてくれているのだろうか。

 

「……ティジは結構我慢するところがあるからルイがいてくれて本当に助かってる」
「なに?いきなり」
 自分とクルベスの歩幅や歩く速さを見比べていたルイだったが、クルベスの発言に意識を引き戻される。

「いやさ、俺じゃどうしようもできないこともあるから。例えば……雷の日にティジと一緒にいてくれてることとか。そばにいるだけって思ってるかもしれないけど、それが一番助かっているんだ……ありがとな」
 頭を揺らし、目を細めて笑うクルベス。日頃見せることの無い、しおらしい態度に引っかかりを覚えた。

 

『騎士君はその逆。気になる事があってもそこで足を止めちゃうタイプでしょ?不必要に踏み込むべきじゃないって、どこかで遠慮してる』

 ふとシンから言われた言葉がルイの頭をよぎる。
 ここは「何かあったのか」と聞くべきだろうか。だがクルベスはそれ以上なにも言おうとしない。ならば不躾に足を踏み入れるのは良くないはずだ。

 そう自分に言い聞かせるとルイはクルベスとの間に流れた沈黙を払うかのように息を吐いた。

「……やめろよ、らしくない。それに俺はこれぐらいしかできないし」
「もっと誇れって」
 ルイが照れ隠しでぶっきらぼうな言い方をしたと思ったのかクルベスは微笑ましい目を向ける。その間もルイの胸の奥では先ほど感じた引っかかりがとどまり続けていた。

 そうこうしているうちにティジの部屋の前に到着する。クルベスはトレイを持っていたため、自分が開けてやることにした。おそらくクルベスならば片手でトレイで持って扉を開けることも出来るだろうが、何もせずに突っ立っているのは気まずい。

 ドアノブに手を伸ばした、その時。

 

「――っひ、あ゛ぁあぁあ゛あぁっっ!!」

 空気を切り裂くような悲鳴が響き渡った。
 突然のことに、伸ばしていた手が止まる。

「え、」
「まさか――っ!」
 扉の向こうから聞こえてきた悲鳴にルイが困惑していると、何かに気づいたクルベスが器用にトレイを片手で持ち、ドアノブを回した。クルベスに遅れてルイも部屋の中へと入る。

 そこには、ベッドの上で頭を掻き乱して絶叫するティジがいた。

 

「やだ!やだぁ!!ごめんなさ、もうやめて、やだ、あぁああぁあ!!」
 声を枯らして泣き叫ぶティジ。こちらのことなど全く目に入っていない。その異様な姿に固まっていたルイの前でクルベスはティジの肩を掴み、何度も呼びかけていた。

「ティジ!ティジ!!聞こえるか!ここはお前の家!お前の部屋だ!あいつはここにいない!!だから落ち着け!」
「い、やだぁ!ぼく、もう、おうちかえりたい!なんで、どうしてこんな、やだよはなして!やだぁ!!」
 ティジは半狂乱になって手を振り回す。クルベスはその手を避けながら、泣き叫ぶティジを無理に押さえ込むことをためらっていた。

 全身を使って暴れていたティジだったが、ふとクルベスがサイドテーブルに置いたトレイの存在に気がつく。その上に載っている物を目にするとティジは小さく息を引いた。

「まずい――っ」
「おく、すり、なんで」
 青ざめるクルベスは錠剤のシートを手で床に払い落とす。だがその甲斐も無く、ティジは体を縮こまらせてガタガタと震えながらむせび泣き始めた。

「ごめ、ごめんなさい……っ!もうでない、ひっぐ、かってにおそとでないから、ぅ、やだ……それ、やだ……!」
 ティジは先ほどまで暴れていたのがまるで嘘かのように、ただひたすらに謝りながら泣きじゃくる。

「……ティジ?」
「――ル、」
 やっとのことで出た声にティジは一瞬こちらに目を向ける。目が合った次の瞬間、ティジは電池が切れたように気を失った。

 

「な――、ティジ!」
「やめろ」
 ルイはたまらず駆け寄り、触れようとしたがその寸前にクルベスの手に阻まれる。彼の顔からは血の気が引いていて、自分を阻んだ指先も小刻みに震えていた。

「触れるな。……医務室に運ぶ」
「なぁ、今の……」
「……あとで話す」
 クルベスは短く告げると、ぐったりと力の抜けたティジを抱きかかえ、足早にその場をあとにする。
 一人取り残された部屋の中。状況が飲み込めず呆気に取られていたルイは、ふと足元に何かが落ちていることに気がついた。

「これ……」
 手に取った物を見る。青い押し花が印象的な、人の手で作られたような素朴なデザインのしおりだ。裏返すと『あいをこめて』というメッセージが書かれていた。

 今の異様な状況から何となく無関係ではない気がして。それを手にしたままルイはクルベスのあとを追った。

 

 

 医務室に着くとティジはベッドに寝かされていた。ティジは依然目を閉じたままだ。

「……なんで、いったい何がきっかけで……」
 その横でクルベスは苦々しい顔で額に手を当て独り言を呟いていた。こんな様子の彼に話しかけるのは気後れするが、ルイは意を決して声を掛ける。

「クルベス、これ……」
「悪い、ちょっと待ってくれ。いま、――それ、どこで!」
 ルイが手にしていたしおりを見ると血相を変えて奪い取った。

「ティジの部屋に……落ちてた」
「部屋……?あそこは粗方探したはずなのに何でよりによってこんな物……」
 くそっ、と腹立たしそうに吐き捨てる。見たことのないクルベスの様相にそれ以上声をかけられないでいると扉が開く音が耳に入った。

 

「……クルベス」
 扉を開けて中に入ってきたのは神妙な面持ちのジャルア。「何故ここに?」という疑問が出る前にクルベスが口を開く。

「来たか。……悪い、ティジが思い出した」
 それを聞くとジャルアは首を振り、深く息を吐いた。

「気を失ったから今はそこで寝かせている……本当に、ごめん」
 クルベスは「あんなに気をつけてたのに……」と覇気を失った声で呟く。ジャルアはクルベスの横を通り、ベッドで横になっているティジを見る。まるで色を失くしたかのように白い顔を見るとジャルアは強く唇を噛んだ。

「お前は悪くない。……でもなんで思い出したんだ。温室は閉まってるはずだろ」
「部屋にこれが落ちてた。……多分どこか見落としてたんだと思う」
 ジャルアはクルベスからしおりを受けとると「あいつ、こんなもん渡してたのか……」と声に怒気を含ませる。

 

「ルイに、話してもいいか?」
「見たんだろ。なら話すしかない……ティジは俺が見ておくからその間に行け」
 それだけ告げるとジャルアはティジのベッドの隣に小さな椅子を置いてそこに座る。クルベスはジャルアの背にいま一度謝ると、それまで蚊帳の外だったルイを連れて医務室から退出した。

 


 第五章、本格的に始まります。