ルイの送迎を終えて城に帰還したクルベス。自分の仕事場でもある医務室の扉を開けるとエスタとティジが「おかえりなさい」と出迎えられた。
「ただいま。悪い、もしかして待たせたか」
「いえいえ、今さっきティジ君からのインタビューが終わったところなんで大丈夫です」
「あぁ、電話で言ってた件か。俺たちのことを知りたいってやつ」
クルベスの言葉にティジはノートに書き綴る手を止めて「うん」と頷き、エスタは「それです」とノリ良く応えた。
「いやー、めちゃくちゃ話しましたよ。こう……ティジ君から質問されてみて改めて自分を見つめ直すことが出来たと言いますか。自分について考える機会ってあんまり無いですからね。なんか俺、今めっちゃ頭良さそうなこと言ってる」
得意げに語るエスタにクルベスは『最後の一言で台無しになってるけどな』と心の中で呟いた。
「とりあえず俺については一通り聞き終えた感じなので……え、終わったのかな?うん、終わったみたいなのでお次はクルベスさんの番ですね!あんな事やこんな事まで包み隠さずぜーんぶ話しちゃってください!」
一度ティジに確認を挟んだエスタは「さぁさぁ言っちゃって!」とノリノリでクルベスを指す。ティジのほうはというと「ちなみにエスタさんに聞いたことはノートにも書いてるよ」とクルベスにノートを手渡してきた。
こんな感じ、とティジが示した箇所をクルベスも目を通す。その内容は好き嫌いや趣味などのごく一般的な質問の他、城の中でのお気に入りスポットや衛兵に就いてからあった印象的な出来事などの少し変わった質問も見られる。
『これは俺も知らなかったな』と普通に読み進めながら次のページをめくろうとしたその時、ヌッとエスタの手が伸び、ページの端を押さえてきた。
「えーっと……この先はちょっと……見ないでください。クルベスさんに見られたら恥ずかしいことを答えちゃったんで」
そうボソボソと呟くエスタの顔はまるで夕陽のように真っ赤に染まっていた。大変珍しい表情を見せるエスタにクルベスも目を丸くする。それをエスタは『まずい事を言ったんじゃないだろうな』と追及されていると捉えたらしく「いや、その……」と狼狽えた。
「聞かれたのは、俺から見たクルベスさんの印象というか……普段どういうふうに思ってるのかー……って事です。あの……これぐらいで勘弁してください。何て答えたのかなんてめちゃくちゃ恥ずかしくて言えない」
クルベスとしては『そんな言い方をされたら余計に気になるのだが』と思うもののエスタの必死な様子に配慮してあえて指摘しないことにした。
「今にして思えば何で恥ずかしげもなくそんなことまで答えちゃったんだろ、と思ってますけど。ティジ君にいろいろ聞かれてるうちに気づいたらスラスラと口から出てしまいまして……ティジ君すごいね。もしかして聞き上手?」
「聞き上手は意味が違うだろ」
クルベスの冷静なツッコミにエスタは大量の汗をかきながら「あれ、そうだっけ」とあたふたする。そんな彼にクルベスは『本当になんて答えたんだ』と呆れた目を向けた。
「でもエスタさんと二人きりだったから聞けたと思うんだ。多分クルベスさんも一緒だったら聞けなかったよ」
「それはそう。本人を目の前にして言えない」
ティジの発言にエスタは腕を組んで同意する。その顔はまだ依然として赤い。
「まぁノートの内容はティジが寝ている間に逐一見せて貰っているんだけどな」
「え!?それってつまりアレですか!?俺がなんて答えたのか今日の夜にはバッチリ見られちゃうってこと!?」
ギョッとするエスタにクルベスは「そうなるな」と相槌を打つ。
「もし嫌だったらそこだけ見ないでおくが……」
「いや、俺も腹をくくります……漢気ってもんを見せてやりますよ……でも見た後も態度を変えたりしないでくださいね。温かい目で見るとか。『本人に知られちゃってるんだー』って意識して恥ずかしくなるんでマジでそれだけはお願いします」
とうとう諦めがついたエスタは「後生ですから」と懇願する。クルベスはその言動だけでエスタが日頃どのように思ってくれているのかだいたい察してしまえたがノートを見るまで気付かないふりを決め込むことにした。
「えーっと……それでちょっと話を戻すけど。これについて少し考えてることがあって」
エスタたちの会話が落ち着いたのを見計らってティジは軽く手を叩く。
「俺、他のみんなとも二人きりでお話したいな」
無邪気な提案にエスタとクルベスは思わず「え」と声を揃えた。二人の反応が予想外だったのかティジは疑問符を浮かべる。
「そのほうがみんなも話しやすいかと思ったんだけど……俺、変なこと言ったかな?」
「いや、二人きりである必要はないんじゃないかなぁ……?俺も同席した上でみんなに質問ってかたちでも良いんじゃない?」
「でもエスタさん。クルベスさんについてどう思ってるの〜って事は、クルベスさんがいたら言えなかったんでしょ?」
「うん、言えないね。言え、ない、けど、も……!」
エスタはそれ以上反論することが出来ず、何とも言えない顔で押し黙る。こんな状況になるとは思ってもみなかったのでクルベスとしては『お前なにしてくれてんだ』と問い詰めたくもなるが、エスタは善意で質問に答えただけであって糾弾されるいわれは無い。
エスタとクルベス。二人はいま同じ懸念を抱いている。
自分たちは何を聞かれても良い。十一年前の事件について触れないよう、またそれについての記憶が戻ってしまわぬよう細心の注意を払って質問に答える事は出来る。これまでもずっとそうして来たのだから何ら難しい事ではない。ジャルアやエディも同様に心配は要らないだろう。
だが子どもたちはどうだ。十一年前の事件の内容を知ってからどう関わっていいのか分からずティジをずっと避けてきたサクラと、今もなお困惑が見られるルイは。
質問の場にはエスタも同席させるものだと考えていたから心配はいらないと思っていたのに。不安定な状態のサクラやルイが今のティジと二人きりになって、質問に滞りなく答えられるのか?
迷いを見せる二人をティジはジッと見つめる。この状況を長引かせるのは悪手だ。このままだと『なぜ二人はここまで難色を示すのか』と訝しむ可能性が高い。
これまでと同じように、この子が不審がらないように意識を逸らさねば。
「良いぞ。二人きりで話せるよう、ジャルアたちには俺から話を通しておく。でもこっちからも一つ約束してほしいことがあるんだ。聞いてくれるか?」
クルベスの提案にティジは「分かった」と首を縦に振る。
「サクラとルイ。もしかしたらこの二人はお前が記憶を失くしてるって事実をまだ受け止めきれていない可能性がある。だから質問している時に二人の様子が変だと思っても指摘しないであげてほしいんだ。約束できるか?」
サクラとルイが動揺しているのは事実。しかしそれは十一年前の事件の内容ならびにティジがそれを思い出したことによって記憶を失くしてしまったという事による物だ。だがそれについては触れない程度の偽りの理由を言い聞かせた。
嘘をつく時は本当のことを少しだけを混ぜると真実味が増す。事実、ティジはその理由で納得したらしく「あ……っ」と気まずそうに声を漏らした。
「ごめんなさい……俺、そこまで考えてなかった」
「いいや、お前が謝ることはない。お前だって今の状況が不安だったから言い出したんだろ」
クルベスの指摘は図星だったようでティジはドキリと跳ねる。そして『何で分かったの?』と見上げる顔にクルベスはフッと微笑みかけた。
「俺はお前が物心つく前から見ているからな。何か不安に思ってたらすぐ分かる」
「あとクルベスさんって周りのことをすっごく良く見てるからね。察する力はピカイチ」
エスタの軽口にクルベスは「そうか?」と返し、ティジの方へ向き直る。
「焦らなくていい。大丈夫。俺たちみんながついてるから」
そう告げたクルベスはティジの頭の上に手を乗せると優しく撫でつけた。その手つきがあまりにも優しく、じんわりと胸の奥から温かくなる。
そう言えば上官さんからも言われたっけ。『クルベスさんにはよく頭を撫でられていたらしい』とか。
そんなことを考えながら撫でられていたティジの脳裏にとある光景がよぎる。
――そっか……そう思ってくれてたなんて嬉しいよ。
また、あの声だ。
木漏れ日の中、ベンチに座る自分の頭を撫でる『誰か』。その『誰か』はとても嬉しそうにしていたという記憶はある。でもその顔がどうしても思い出せない。
――いつかは……――さんのことをみんなに紹介したいな。
自分はその『誰か』にそう言ったはずだ。だが『誰か』の名前の部分だけ声が不明瞭になって聞こえない。
――ティルジア。
雨の音。ザァザァと降りしきる雨の音が頭の中埋め尽くしていく。
「じゃあ今度はクルベスさんの番ですね。それでは俺はしばらく席を外しておくとしますかー」
「あぁ、終わったら呼ぶ」
エスタとクルベスの声でハッと我に返る。窓に目を向けるが空は清々しいほど青く晴れ渡っていて、雨など全く降っていない。
外の様子に目をぱちくりとするティジにクルベスが「どうした?」と問いかける。
「えっと、上官さんから『クルベスさんにはよく撫でられてた』ってお話を聞いてたからこんな感じで撫でられてたのかなーって。懐かしい……かは分からないけど何だか心がポカポカする」
「おっと気をつけなよティジ君。クルベスさんってあたま撫でるの大好き人間だから、そんなこと言ったら一生あたまナデナデされちゃうよ」
「何だそれ。俺は新手の怪物か何かか?」
呆れた様子のクルベスに対してエスタは「でも酔った時とか本当にすごいですし」とぼやき、ティジも思わず吹き出す。あれだけ鳴り響いていた雨の音はすっかり聞こえなくなっていた。
クルベスさんって人の頭を撫でるの好きだよねって事は周知の事実。特に彼と親しくしている人たちは一回は撫でられてます(エディさんについては彼らが二十歳の時に酒で散々酔わせた際に一回だけ撫でられた)。
撫でる理由はその時々による。『安心させたいから』とか『愛おしいという気持ちが溢れ出てしまって』などの理由が多い。