30.継ぎ合わせのページ-8

「……大丈夫?」
 サクラは心配そうにそして若干の同情の目でこちらを窺う。それに俺はつい一時間ほど前――父さんとの話し合いの際に強かにぶつけた後頭部を労りながら頷いた。

「うん、大丈夫。ちょっとコブにはなってるけどクルベスさんにもちゃんと診てもらったから多分すぐ治ると思うよ」
 俺の返事にサクラは「そっか。それなら大丈夫か」とホッと息を吐いた。
 サクラの手前「大丈夫」と言ったものの実際のところ、触ると結構痛い。ちょっとどころではなく、しっかりタンコブが出来上がってしまっている。とりあえず今夜は頭の向きに気をつけて寝なければ。じゃないと痛みで飛び起きることになる。

 

 それはさておき、サクラとの話し合いは彼女の私室でおこなうこととなった。例によってエスタさんには席を外してもらい、終わり次第連絡するという流れだ。

 さて早速サクラとのお話し合い……に入る前に、料理長さんから頂いた物を取り出す。現在の時刻は午後三時。世間でいうところのオヤツの時間にあたる。サクラとの話し合いの日程を知った料理長さんが「三時のオヤツに」とグレープフルーツのゼリーを作ってくれたのだ。
 グレープフルーツの酸味とわずかな苦味は冷たいゼリーと相性抜群。サッパリとした味わいのゼリーがつるりと喉を流れていく。誇張表現でも何でもなく、いくらでも食べられそうだ。

「料理長さんのお菓子、久しぶりに食べたー。料理長さんが作るお菓子はどれも美味しいんだけど、私はその中でもイチゴのタルトが一番好きなんだ」
 サクラは「旬はもう過ぎちゃったから次食べられるとしたら来年かぁ。遠いなぁ」と物憂げに呟く。ゼリーの器を片付けて、ノートにサクラの好物を書き留める俺に、すっかり和んでいたサクラは「あ、そうだった!」と当初の目的を思い出した様子で手を叩いた。

 

「じゃあ早速!私の名前はサクラ・ミア・レリリアン!誕生日は4月3日で兄さんと一緒!まぁ双子だから当然なんだけどね」
 一息に自己紹介をしたサクラはハツラツに笑う。
 そう、どうやら俺とサクラは双子らしい。それと先ほどから『兄さん』と呼ばれている事から分かる通り、俺が兄のようだ。

「そういえばサクラは学校ってどうしてるの?」
 自分と同い年ということは当然サクラも学校に通う年齢のはず。だがこんな平日の昼過ぎに自分との話し合いの都合がつけられるのは不可解だ。いや、たまたま今日は学校が休みだったという可能性もあるが。
 そんな自分の質問にサクラは一瞬「あぁ、えっと……」と返事を詰まらせた。

「普段は他の国の学校に留学してるんだ。でも今はちょっとお休みさせてもらってるの。その代わりに学校から課題が出ていてね、それがちゃんと出来ていれば成績は問題なしって感じなんだって。だから単位とか進級に関しては心配しなくて大丈夫だよ」
 サクラはそう応えてくれたが『なぜ学校を休んでいるのか』という点については語ろうとしない。
 もしや自分がこんな状態になってしまったから、ルイと同じようにサクラも気を遣って休んでしまっているのではないか。そんな考えが浮かんだが自意識過剰かもしれないし、サクラにも「大丈夫」と言い切られてしまったのでこの点に関してこれ以上追求することは出来なさそうだ。

 

「それじゃあ他の国の学校に留学してるって事だけど……留学している時に感じた事、こっちで過ごしている時との違いとか困った事ってある?」
 こちらの質問にサクラは「うーん……」と考え込む。

「他の国の食事も美味しいけれど、たまにこっちの国の料理が食べたくなるかな。ふるさとの味がー……懐かしくなっちゃう、みたいな感じ。あと困った事は……あ、そうそう。私の正体がうっかりバレちゃいそうになった事があったかな。あの時は焦ったなぁ」
 この国では18歳までの王位継承権を持つ子どもは安全上の理由などから『外部で活動する際は素性を隠して活動しなければならない』という一風変わった習わしがあるらしい。なのでサクラも当然、留学中は自身がレリアンという国の王女だと知られてはならないのである。万が一知られたら留学どころではなくなってしまう。

 そんな『困った事』の範疇を軽く飛び出す衝撃的な暴露に俺は「それってすごく大変な事だったのでは……」と震えるが、当の本人であるサクラは「えへへ、ちょっと危なかった」とイタズラっぽくと笑うだけ。『結果的にバレなかったからセーフ』という考え方らしい。

 サクラとここまで話してみたが、とても明るく活発な子という印象を受けた。あととてもよく喋る。今は留学先であった話をしてくれているが、次から次へ引っ切りなしに新たな話題が出てきてノートを書く手が追いつかなくなりそうだ。とにかくよく喋る。一体いつ息継ぎをしているのだろう。ちょっと心配になる。

 

 それからひとしきり喋り倒し、こちらの手が限界を迎えそうになったところでサクラはようやく「ちょっと休憩」と水を口にする。そんな彼女に俺は酷使した手をグッパッと握ってほぐしながら、少々気になっていた事を尋ねてみた。

「ひとつ聞きたいんだけど、俺たちって双子だけどいちおう俺がお兄さんなんだよね?……俺ってサクラに何かお兄さんっぽいことは出来てたのかな」
 現状、自分とサクラの関係性というかどれほど親しかったのかが分からない。話している雰囲気からして険悪な仲ではなかったとは思うのだが……。そんな意図を含んだ質問にサクラは「お兄さんっぽいこと……」と首を傾げる。

「うーん、どうだろ……どっちかというと私といる時よりもルイと一緒にいる時のほうが、そのお兄さんっぽい振る舞いをしてたと思うなぁ。かくいう私もルイの前ではちょっとお姉さんっぽさを意識してたり」
 サクラは何故か「ふふん」と鼻高々と胸を張る。サクラが言うにはルイの誕生日は7月14日と俺たちよりも後なのでルイのことは弟のように見ているのだとか。だとすると俺、サクラ、ルイの三人の中では俺が一番お兄さんになるのか。

「昔の話はルイのほうが色んな話を知ってるんじゃないかな。兄さんはルイとよく一緒にいたし。それに私はその……小さい頃は兄さんとあまり遊んだ事が無くて……一緒に何かしたって思い出はあんまり無いんだ」
 サクラは「ごめんね」といたたまれない様子で謝る。サクラは何か思う事でもあるのか、彼女の表情には陰りが見える。だが彼女はそれ以上語ろうとはしない。
 記憶を失う前の自分がサクラとどう関わっていたのか。気にならないと言ったら嘘になる。だがきっと、何か理由があって口を閉ざしているのだろう。それを無遠慮にほじくり返すことなんて、そんな事はとても出来ない。

 

「じゃあ今度ルイと話す時はそのあたりも聞いてみようかな。ありがとう、話してくれて」
「ごめん……気を遣わせちゃって」
「そんな事ないよ。どうしてサクラが謝るのさ」
「どうしてって、それは……」
 サクラの目は落ち着きなく揺れるも続く言葉はなく、口をつぐむ。
 だが次の瞬間、飲み込んだ言葉の代わりにその瞳から大粒の涙がこぼれ落ちた。突然の出来事に仰天するが、サクラ自身も予想外だったのかギョッと目を見開く。

「あ、あれ……何で……?ごめん、泣くつもりないのに……っ」
 狼狽えるサクラは手で拭うが、その双眸からは次から次に涙があふれ出して、止まる気配はない。

「あ……えっと、とりあえずエスタさんを呼んでくるね!部屋の外で電話するからちょっと待ってて!」
 サクラも不本意なかたちで涙が出てしまっている状況だ。サクラの気持ちを考えればそんな姿など自分に見られたくはないだろう。

 エスタさんとの連絡用に、と渡されていた携帯電話を取り出しながら部屋の外へと飛び出す。そんな俺にサクラは扉を閉める直前まで「ごめん……ごめんね……っ」と謝っていた。

 


 サクラが外で過ごす時の名前は『サーシャ・ロイズ』。ファミリーネームは母方の姓を使用しています。ティジが外で名乗る名前も『ティティ・ロイズ』とファミリーネームが同じです。父親が国王だという事は知られるわけにはいかないけれど、兄がいるという事は別に隠す必要はないので。