32.継ぎ合わせのページ-10

 時刻はもうじき日付が切り替わる夜半前。日中の賑やかさとは様相を変えて閑散とした王宮の通路を歩きゆく影がひとつ。その影――ジャルア・リズ・レリリアンの表情は硬く、またその足取りにも焦りが滲み出ていた。

 日頃の彼の姿を知る者が見ればその並々ならぬ気迫に気圧されるであろう。だが通路には彼の他に人はおらず、その姿を見る者はいない。
 そうしてジャルアは誰にも呼び止められる事もなく目的地に辿りつくと、目の前の扉を歩いてきた勢いそのままに開け放った。

 

「うぉ、こんな時間に突然どうした。何か用があるなら呼んでくれればすぐ行くのに」
「今日の事について、話に来た。ただそれよりも……」
 突然の来訪者にクルベスは目を見張りながらも駆け寄る。対してよほど急いで来たのか息を切らした様子のジャルアは一度言葉を切る。そして二、三回呼吸を繰り返して息を整えると、キッと目つきを鋭くした。

「元老院が、ティジに接触してた」
「……はぁ!?いつ、ていうか何で!?」
 あまりにも想定外だったのかクルベスは数拍遅れて驚きの声をあげた。「それは……」とクルベスの問いに応えようとするジャルアに「ひとまず座れ」とソファに座るよう促す。それに甘えてひとまず腰を落ち着けるとジャルアは先ほど自身が見た事について語り始めた。

 

 今日の出来事――ティジとサクラの事について話そうとクルベスの部屋へと向かっていた事。その道中で何やら話し声が聞こえたので確認してみるとそこにはティジと元老院がいた事。
 ティジの話によると「気分転換のために廊下に出ていたら偶然会った」とのことだ。

「こんな時間に偶然、か」
 話を聞いてひと通り状況を把握したクルベスは苦々しく呟く。クルベスもきっと同じ事を考えているのだろう。
 これは偶然などではなく、元老院は始めからティジに会いにいくことを目的としていたのだと。

「まぁ俺が『ティジに用がある』って言ったらすぐ引き下がったし、あの様子から見てもティジが記憶を失くしてる件については勘付かれてない……と思う」

 

 だが心中穏やかではない。ジャルアは以前より元老院の者たちにはさほど良い印象を抱いていないのだ。

 クルベスたちへの態度もそうだが、それとは別にこちらを見る時の元老院の目。あれが気に食わない。いや、気に食わないというより、ある種の忌避感を覚えるといったところか。

 クルベスやルイに向けるものは軽蔑や侮蔑の色を滲ませている。だが自分に向けられるソレは明らかに異なる。

 一見すると興味、関心といったものを抱いているように思えるあの目。だがその内からはもっと不快なものが滲み出ている。まるで――実験用のマウスを観察するような醜悪的な意図が。

 あの目に変わったのはいつからだろう。それまでは密な関わりも無かったので明確な時期を挙げることは出来ないが……自分がこの状態になってから十年ほど経った頃から感じるようになった。

 

 とは言っても不快感はあるがそれだけだ。自分には何の実害もない。しかしいつからか、それが自分の息子にも――ティジにも同じ目が向けられている事に気がついた。

 なぜティジにも同じ目を向ける?あいつらはいったい何を考えているんだ?

 ティジにその目が向けられていると気付いた時からクルベスにもこの事は相談しようかと何度も考えた。――が、今日まで話すに至っていない。

 クルベスならば「その目を向けられるようになった事で思い当たる節はあるか?」と聞くだろう。もし自分がクルベスに同じ事を相談されたら同じ内容を聞く。

 だがその『思い当たる節』について話したら。
 今でさえあいつは俺に自責の念を抱いて生きている。過去の自分の未熟さを悔いている。

 そこへ嘘偽りのない真実を話してしまったら。きっとあいつは今以上に自分自身を責める。

 クルベスには、話せない。

 

 話題を変えよう。元老院について話し続けたらクルベスに話さざるを得なくなる。

「まぁ元老院の事は気に掛かるが……目下の問題はティジだ。サクラのほうにも話を聞いてみたが、かなり自分を責めてる状態だな」
 若干強引に話題を変えてしまった気がするがクルベスの表情に不審感は見られない。ジャルアはそのことに人知れず安堵しながらサクラの様子について話し始めた。

 どうやら話し合いの折にティジがふと口にした『どうしてサクラが謝るのさ』という文言。これが今回の事態に深く関わっているらしい。
 この言葉は会話の合間にサクラがしきりに「ごめん」という謝っていたため、『気にしていない』との意味合いを込めて、ティジなりに気を遣ってそう告げたようだ。
 もちろんティジはサクラを糾弾するつもりで言ったわけではない。だがその言葉がサクラの内に溜め込んでいたものを決壊させてしまった。

 ティジの行方が分からなくなった際にもっと自分も頑張って考えていれば早く見つける事が出来ていたんじゃないか、という後悔が。
 事件の詳細を聞いた際に、ティジに一瞬でも嫌悪感を覚えてしまった事への罪悪感が。

『どうしてサクラが謝るのさ』という言葉が、母親が亡くなった直後のティジに、引き泣きながら言われた『どうして』という言葉に重なって。

 ずっと堪えていたものがその言葉で決壊してしまったのだ。

 

「予定ではこの週末にするんだろ。ルイとの話し合い」
「あぁ、だが今日の件を考慮すると延期も視野に入れたほうがいい……と思ってるんだが、ルイ本人は『やる』の一点張りだ」
「ティジも同じだ。サクラの件についてはかなりショックを受けているがやめる意思は全く無かった。……もうここまで来たら最後までやり切る、って雰囲気だったけどな」
 二人そろって深いため息をつく。
 親としては本人の意思を尊重してあげたい。それと同時に親だからこそ、子どもが傷付く可能性がある事柄からは遠ざけたいのだ。

 だがしかしルイとの話し合いが無事に終わったとしても……その先はどうなる?今日話した様子からしても、ティジに記憶が戻ってる気配は微塵も感じられなかった。
 こちらの返答に対する反応。雑談混じりの思い出話。その際の様子も注視したが、いずれもどことなく他人事といった、あまり実感が湧いていないように見受けられた。おそらくクルベスも同じ印象を抱いているだろう。

 

 少しでも事態が好転する可能性に望みをかけて、今からでも俺の記憶操作の魔術でティジの記憶に接触してみるか?

 ……いや、最後にあの子の記憶に接触した時の事を思い出せ。クルベスからティジの記憶が軒並み全て消えてると聞いて、あの子の状態を視た時のことを。
 あのとき俺はティジの記憶に干渉する事はおろか、触れる事すら出来なかった。あの子は外部から来るもの全てを拒絶している状態だった。

 あの状態のティジが記憶を取り戻すには、ティジの手で自発的に思い出してもらうほかない。
 仮にティジが自ら記憶を取り戻せたとしてもまた自らの手で記憶を消そうとする可能性は十分高い。
 そもそも次も無事に記憶を消せる保証なんてない。自分自身に魔術を掛けるなんて真似、しかも記憶を消すなどという芸当は常人ではなし得ない行いだ。失敗すればそのまま目を覚まさない可能性だってある。

 

 不安がるあの子に自分は「大丈夫」と言った。その実、自分たちが一番この現状を不安視している。

 そして同時に自分たちが一番理解していた。俺やクルベスではあの子を助けることはできない。

 


 お城の探検もひと通り終わっているティジ。クルベスさんたちへのインタビュー以外の時間は、エスタさんと一緒にお勉強をしています。国の歴史をおさらいしたり、教科書に載ってる問題とかを軽くやってみたり。

 勉強中は「えぇ……俺こんなの習った覚えは無いぞ……?七年も経つと教わる内容も結構変わるのかなぁ……」と頭を抱えるエスタさんの姿がたびたび見られる。なおクルベスさんから「この方程式はお前も習ってるはずだろ」と冷静なツッコミを受けてる。「俺の年度だけ省いたとか?」という冗談を言ってみたものの「んなわけあるか」と一蹴されてる。