02.喧騒-2

「ルイ、ちょっと待って……!」
 ティジは自分の手を引き、ズンズンと先を進む背に呼び掛ける。機嫌が悪いのは火を見るより明らかだ。ここまで不機嫌になっているルイは初めて見た。

「俺は平気だから。別に変なこと聞かれたりしてないし……」
『自身の出自については探られていない』と伝えたいがここは外だ。誰に聞かれているか分からないため下手なことは言えない。

「そんなことより。ねぇルイ、聞いて――」
「そんなこと、じゃない」
 ようやく振り返ったその顔はやはり苛立ちを隠しきれていなかった表情を浮かべていたが、すぐにハッと口元を覆った。

「ごめん……ティジは悪くないのに当たるようなこと……」
「ううん。ルイが心配してくれてるのは分かってるから。少し見た目のこと聞かれただけ。本当に大丈夫だよ」
 いつもと変わらない様子で笑顔を見せるティジを前にルイは『そうではない。たいして親しくもない人間が無遠慮に触れていることにひどく腹が立ったのだ』とは言えなかった。醜い嫉妬を覚えた自分に、より一層苛立ちを覚えてしまう。

 

 墓地でのレイジによる襲撃以前、四月から五月始めまでの約一ヶ月間は学校に通っていた。しかしその時はあんな風に馴れ馴れしく接してくる輩はいなかった。一貫校にしては珍しい外部生とあって、皆から距離を置かれていたからだ。

 これからはあんな関わり方をしてくる人間が増えるかもしれない。
 ティジ自身は他者に好意的に接してくるし物怖じもしない性格だ。もし外部生という特殊な立ち位置でなければもっと多くの人に囲まれて過ごせるような人好きのする……そんな魅力的な人物だ。
『自分以外の人間と親しくするのは嫌だ』なんて言えるわけがない。

「……っ」
 ぐっと奥歯を噛み締める。『落ち着け。ティジに気を遣わせてどうする』と自身を律しながら。

 

「ていうかその、ルイ……カバン……」
「え?あ……」
 ティジの指摘でようやく気付かされる。ルイは自分のスクールバッグを教室に置いたまま出てきてしまったのだ。さっさとあの人物から離れようと、それしか頭になかった。何もかもうまくいかない。

「正門にエスタさんが待ってるからそこまで送る。で、そのあと俺が一人で取りに戻る。エスタさんから離れるなよ」
 ティジは王位継承者であることに加えて無自覚の方向音痴だ。送り迎え兼護衛のため正門で待っているエスタの元に一人で向かわせるわけにはいかない。

「でも……そうしたらルイが余計に歩くことになっちゃう。そんなことしないで一緒に教室に戻ればいいんじゃないかな」
「……あいつがまだいるかも」
 先ほどの飄々とした態度を思い出し、一度は鎮まりかけていた怒りが再び沸き上がってくる。それと同時に相手の名前を聞いていなかったことに気がついた。
「カバンを取りに行くだけだから大丈夫だよ」
 譲りそうにない様子にルイは渋々頷く他なかった。

 

 

「おかえり。早かったね」
 呑気に手を振る姿にルイは思わず舌打ちをしそうになったが、行儀が悪いのでなんとか抑えた。
「そういえば、君にはまだ自己紹介してなかったっけ。俺の名前はシン・パドラっていうんだ。ところでお探しの物はこれかな?」
 ほれほれ、と指し示していた目当ての物をシンの手から即座に奪い取る。

「……なに勝手に触ってんだ」
「ダメだよ?ここは公共の場なんだから自分の物は自分で管理しないと盗られちゃう」
 ルイの辛辣な態度とは対称的に、シンはまるで小さな子どもに言って聞かせるように微笑む。
「お前みたいな奴に、か」
「盗られないよう見張ってただけ。ルナイル・ノア・カリア君」
「人のカバンの中、勝手に見るのはいいのかよ」
 こちらは名乗っていないはず。それにも関わらずシンはルイの名前を一切違えることなく呼んだ。ルイの中ではシン・パドラという人物の印象は最悪になっていた。

「ハズレ。ネームタグに書いてた。これは受け渡しの際に間違った人へ渡されるのを防ぐために付けてあるだけだから、取ってもいいんだよ」
 シンの発言に『ネームタグなんて付いてたか?』と確認するも全く見当たらない。
「前面のポケット。その内側」
 小馬鹿にしたような笑みをひっぱたきたくなる。しかし学内で暴力沙汰など言語道断なのでなんとか堪えた。
 ちなみにネームタグはしつけ糸で仮留めされていた。ハサミは持っていなかったので、取るのは城に戻ってからになるだろう。

 

「ティティ・ロイズ君はちゃんと取ってる?」
「うん。……あれ?名前言ったっけ」
『ティティ・ロイズ』とはティジが城の外で活動する際に使用している仮の名前だ。それを詰まることなく呼んだシンに首を傾げる。
「目立つから覚えちゃった」
『その減らず口、塞いでやろうか』と殺気立つルイに構うことなくシンは顔を綻ばせる。

「ティジってあだ名?お互いあだ名で呼ぶなんて仲がいいんだね。俺も『ティジ君』『ルイ君』って呼んでいい?」
「帰る」
「わっ……ルイ!」
 ここまで黙っていたが流石に我慢の限界だ。
 シンの問いかけに応えることなく、ティジの腕を引きながら競歩の速度でその場から立ち去った。「これからよろしくね」などとのたまう声がしたが無視だ無視。

 


 終始不機嫌なルイ。慣れない環境・久しぶりの外部との交流とあってかなかなか大変そうです。