13.学び舎の催事-1

 サクラに暫しの別れを告げ、着々と学園祭の準備を進めていく。準備期間中、ティジが勝手に行動して迷子になってしまわないようルイは片時も側を離れなかった(流石に用を足す時は中まで同行することは無かったものの、無事に戻ってくるかひどく心配した様子であった)

 慌ただしくも全てが新鮮な体験。そんな楽しい時間に限ってあっという間に過ぎてしまうのが世の常。

 

「もうすぐ始まるね。何だか緊張するな」

 同級生と共に準備してきた企画スペースもとい喫茶店の調理スペースにて、ティジはルイに話し掛ける。もちろん準備の手は止めない。とは言ってももう仕込みなどはあらかた済んでいるので、念のため使用する調理器具の数が揃っているか確認しているだけだ。
 ティジは手元の貸出表に記載された数量と一致していることを確認し、ひとつ頷くと貸出表を所定の位置に戻した。

「まぁ俺たちは調理担当だから外部の人と接触することもないだろうし、落ち着いてやれば大丈夫だろ」
 あくまで冷静を装った体で返事をしているもののルイは落ち着きがない様子で袖をいじる。先ほどから何度も時計を確認していることは指摘せずにティジは「そうだね」と笑った。

 

「それにしてもクルベスたち『絶対行く』って言ってたけど、俺たち裏方だから見に来ても意味ないんじゃ……あっ」
 ルイは手持ち無沙汰に袖のボタンをいじっていると糸がほつれたのか、袖からダラリとボタンが垂れ下がってしまった。
「うっわ……」
 やってしまった、と苦々しい表情を浮かべるルイ。

「ちょっと向こうで切ってくる。すぐ戻るから」
 ここは食材を扱う場所なので万が一にも糸くずが混入してはいけない、とルイは早足でその場から離れた。
 ちなみに食材の取り扱いに関する注意事項は王宮の料理長やその面々に口酸っぱく教えられた。ティジたちが学園祭で喫茶店を営むと聞きつけ「料理のことなら任せなさい」と食い気味に教えてくれたのだ。

『すっごく緊張してるなぁ』と温かい目でルイの背を見送る。ティジは自分以上に緊張しているルイに内心微笑ましく思っていると、そう離れていない距離から呼び掛けられた。

「ねぇ、手が空いてるならちょっとこっち手伝ってもらえないかな」
 ティジの周囲は調理の手順を再確認していたり、材料の在庫確認をおこなっている。今ちょうど手が空いているのは自分しかいない。
『ということはこの呼び掛けは自分に向けられたものか』と声が聞こえた方向に顔を向けると、チョイチョイと手招きをするシンの姿があった。
 確認のため『俺?』と自分自身を指で差すとシンは『そう、俺』と頷いた。

 ◆ ◆ ◆

「ごめんね。開催直前だっていうのにテーブル汚しちゃった子がいて」
 テーブルにはテーブルクロスも敷かれていたがもれなくテーブルにまでシミが出来たという。その際に椅子にまで被害が拡大し、急遽テーブルと椅子を予備の物に変えることになったとか。
 流石に一人で運ぶのは難しいため、ちょうど手が空いてる様子のティジに白羽の矢が立ったというわけだ。

 同じ階の少し離れた場所にある空き教室(在校生以外は立ち入り禁止)に予備のテーブルがあるため運ぶのを手伝ってほしい、という申し出をティジは二つ返事で引き受ける。
 ティジに簡単な経緯を話し終えたシンは「もうすぐ始まるっていうのにとんだハプニングだよ」とさして困った様子もなく笑い飛ばした。

 シンはティジたちとは違い、注文の受付や配膳などのウェイターを担当しているため、白シャツにカフェエプロンという格好をしている。
 調理担当のティジはカフェエプロンではなく通常の胸当てエプロンを着用しているのだが、ティジ個人としてはシンのカフェエプロン姿がほんの少しだけ羨ましいと思ってしまった。

 

「とりあえずソレは端のほうに置いといて。で、予備の分は確かこっちに……」
 ティジに汚れてしまった椅子を適当な場所に置くよう指示し、シンは目当ての物を探していく。
 他の学級も使用しているのか、衝立やロッカーなどが乱雑に置かれている間を掻い潜るように奥へと進む。それらが遮蔽物となり、入り口からは教室の奥までは見ることがかなわない。
 ティジは『まるで迷路みたいだ』などと考えながらシンの後についていく。

「あった。もー、誰だよ。こんな奥に仕舞った奴」
 取り出す身にもなれって、とシンはぶつくさと文句を言うと後ろのティジに顔を向ける。
「ティジ君ちょっと来て。どこか引っかかってるみたいなんだけど、俺じゃあ狭くて確認しづらい」
 それは暗に『ティジ君のほうが体格が小さいから見やすいよね』と言ってるのではないかと思ったが、おそらく考えすぎだ。ティジは自身の身長や体格のことになると少し神経質になっている気がしながら、言われるままに予備のテーブルの下を覗き込んだ。

「ん?うーん……あ、いけた。これで動かせるんじゃないかな」
 何度かガタガタと動かすと引っかかっていた所が抜けた感覚が伝わった。あとはこれらを持って戻るだけだ。ティジはエプロンを整えながら『もうすぐ始まるから早く戻らないと』と立ち上がる。

 振り向いたその時、後ろから影が落ちた。

 

「……シン君?」
 ティジは自分を壁に縫い止めるように手を付くシンに問い掛ける。
『これはいったいどういう状況だろうか』と思考を巡らせるも、シンが自分を壁に押し付けているということ以外全く分からない。

 いや、厳密に言えばシンに押さえつけられているわけではないか。自身の背後の壁に手を付かれているためシンと壁の板挟み状態となり、結果的にその場から動くことができなくなっているという状態だ。
 何にしろこのままではテーブルを動かせない。

「えーっと……どうしたの?」
 首を傾げるもシンはニコリと微笑むだけ。
 静寂に包まれた空き教室の中、壁に掛かった時計の音がやけに大きく聞こえた。

「これ持っていかないと。もうすぐ始まっちゃうよ」
「俺ね、ティジ君とこうして二人っきりでお話してみたいなって思ってたんだ」
 シンはティジの呼びかけに声を重ね、その頬に触れた。

「最近は騎士君とずーっと一緒。近づいても騎士君が『こっち来んな』って目で睨んでくるし」
 頬を撫でた手はそのままティジの髪をもてあそび始める。
「それはその……気付かなくてごめんね?」
 とりあえず謝ったティジにシンは「謝ることないよ」と首を振る。

 

「ティジ君さ、あんまり自分の感情を表に出さないよね」
「そうかな……?」
 ルイやクルベスからも言われたことのない指摘。このような至近距離でそんなに踏み込んだ質問をされるとは思わなかったので、適当にかわすこともできなかった。

「そうだよ。喜怒哀楽の『喜』と『楽』しか見せない。残りの『怒り』と『哀しみ』……なんていうか負の感情は全く出さない。今もそう。困惑はするけど不快の感情は見せないまま。常に周りに気を遣ってる良い子ちゃん。それはそれで良いことではあるけれど、もっと自分の好きなように振る舞ってもいいと思うな」
 ティジはどう返事をしたものか思案するも、シンが何を言いたいのか全く分からないため「えーっと」や「その……」などの意味のない言葉しか出せない。

 

「俺、ティジ君にとっても興味あるんだ。いつまでも他人行儀じゃなくてさ、少しぐらい腹割ってお話しようよ」
 そう言うとシンはエプロン越しにティジの腹部に左手を当て、下から上へと指先を滑らせた。その奇妙な感覚に肌が粟立ち、ティジは咄嗟にシンの手を掴む。その反応にシンはフッと微笑み、顔を寄せた。

「お腹はイヤ?それならどこらへんがいい?」
 耳に息を吹きかけるように囁き、頬の近くの髪をいじっていた右手が首筋を這う。
「ちょっ、シン君どうしたの……くすぐったいから止めて……っ」
「じゃあもうちょっと本気で嫌がってよ」
 その言葉にティジが小さく首を振って止めるよう訴える。だがシンは「そんなのじゃ俺はやめないよ」と告げ、首筋から這い下りた手がティジの鎖骨を撫でた。

 いったい何が目的なのか分からない。どうにかしてこの行為を今すぐ止めてもらわないと。
 でもひどく頭がザワついて上手く考えられない。どうすれば止めてくれる?そもそも何故こうなった?何がきっかけでこんな状況になったんだっけ。

 シンに何度も止めるよう訴え掛けながら、回らない頭でグルグルと思考を巡らせる。

 

「お腹、首、あと耳もか。結構いろんなところ弱いんだね。ほら、手の力も抜けてきた」
 その言葉通り、ティジに掴まれていたシンの左手が拘束から解かれた。
 自由になった手がティジのエプロンの腰紐に掛かった瞬間、ハッとここに来た経緯を思い出した。

「もう、すぐ始まるからっ!みんなのところ、戻らないと!」
「ん?……あぁ、そうだったね。テーブルが足りないって大騒ぎになったら大変だ」
 そうなったら俺が怒られちゃう、とシンは何事も無かったかのようにパッとティジから離れ、予備のテーブルを運び出そうとする。
 触れられていた感覚がまだ残っている気がしてエプロンを握っていると、テーブルを持ち上げようとしたシンが振り返った。

 

「ごめんね。反応が面白くてついからかっちゃった。でも君に興味があるのは本当。――学園祭、楽しもうね」

 


 いよいよ始まる学園祭!頑張って準備した分、本番が楽しみになる学校行事の代表、学園祭!

 準備期間中、少し帰りが遅くなる日は送り迎え担当のエスタさんにちゃんと連絡を入れています。その際にエスタさんが「いっそのこと俺も準備手伝おうか?」と冗談で言ったら、ティジとルイの両方から「別に大丈夫」と普通に返されたそう。
 エスタさんはティジたちが通う学校の卒業生なので、やろうと思えば学内に入れます。在学中大変お世話になった先生も沢山いるからね。