20.夕暮れ時-3

「それにしても良かったのかい?もう帰るところだったんじゃ……」
「いえ、その……先生と話がしたくて。だから先生と会えて丁度良かったです」
 ルイはブレナ教師が抱えていた荷物運びを手伝うという名目で彼との会話に漕ぎつけた。
 向かう先は彼の担当教科である数学の準備室。そこでは補習なども行われるらしいが、安定した成績を取っているルイたちにはほぼ無縁であった。

「ティティ・ロイズ君とは仲が良いんだね。彼、きみと一緒にいる時は肩の力が抜けている」
 ブレナ教師がティジをよく見ていたことにルイは目を丸くする。

「えっと、ティジとは小さい頃から一緒にいてて……幼馴染みたいな関係っていうか……だから一緒にいるのが当たり前みたいな感じで……変ですかね」
 そういえば自分たちは常に一緒にいることに何の疑問も抱かないが、周りから見れば奇妙に映るだろうか。長いこと王宮の中という閉鎖的かつプライベートが保障される環境で過ごしてきたため『世間の一般的な感覚』が分からない時がある。

「いや、いいと思うよ。そういう友情は大切にしたほうがいい。そういえば話したいことって何かな」
 ブレナ教師の問いかけにルイは本来の目的を思い出す。そうだった。このために自分はクルベスたちも待たせているのだ。あまり時間をかけてはいけない。

 

「えっと……こんなこと直接言うのも良くないって思ってはいるんですけど……気を悪くさせてしまうかもしれないんですが」
 そう前置きしてスッと息を吸って意気込む。

「俺、ブレナ先生とどう話したらいいかちょっと悩んでて。その、大人と関わり慣れていないからかな……先生と話す時、いつも緊張してしまうんです」
 気まずさを紛らわすように荷物を持ち直す。ポケットに入れている(エスタからもらった)クマのキーホルダーがこぼれ落ちてしまわないか心配だが、荷物で両手が塞がっているので奥に押し込むことができないので殊更にもどかしくなる。まぁ、ぬいぐるみのマスコットキーホルダーとほどほどに大きい物なので落としても気付けるだろう。

「でもいつまでもこのままじゃ良くないからと思いまして。それで自分から歩みだしてみようと……思った次第です」
 あまりにもとっ散らかった説明。『これではかえって困らせてしまうのでは?』とブレナ教師の表情をうかがうと案の定、彼はポカンとした様子であった。

「決して先生のことが苦手とかじゃないんです!日頃よく気に掛けてくださっているのは感謝しているんですけど、先生を前にすると気を張ってしまうだけで……!」
 あたふたと弁明するも『必死で説明するのはむしろ気を遣っているように思われてしまうのではないか』と気付く。そんなルイを前にブレナ教師は目をぱちくりさせた後、こう口を開いた。

 

「そっか。そう言ってくれて良かった」
 自分から会話を切り出したくせに『もう帰りたい……』とうなだれるルイにブレナ教師はホッと息を吐く。予想外の反応にルイは目を丸くした。
「いや、実はきみが私の前だと身を固くしていたのは気がついていたんだ。こうして話しかけていることが負担になっているんじゃないかと思っていたのだけど、突然距離を置いたら周囲の生徒たちも不思議に思ってしまいかねないからどうしたものかと考えていたんだよ」
 ブレナ教師がそこまで良く見てくれていたことにルイは唖然とする。

「でもきみがこうして話してくれて、きみの思いを聞かせてもらって。そうでは無かったんだと知れた。それでつい『良かった』と」
「……すみません」
 自分が二の足を踏んでいる間、ブレナ教師も自分との接し方に頭を悩ませていたのだ。申し訳ない気持ちで一杯になり、謝罪するルイをブレナ教師はおかしそうに笑う。
「いやいや、きみが謝る必要はないよ。それじゃあこれからもこれまで通りきみたちに話しかけてもいいかな」
 ブレナ教師の申し出にルイは「もちろん」と何度も頷いた。

 

「私もきみたちみたいな仲の良い幼馴染がいたんだ。でも今は疎遠になってしまってね」
 郷愁に浸るその目は少し寂しさを滲ませている。心なしか歩みが遅くなったような気がした。
「先生が話せたらでいいんですけど、先生の幼馴染ってどんな人だったんですか?」
 少し踏み入った質問だが思い切って聞いてみることにしたルイ。その質問にブレナ教師は気分を害した様子も無く幼馴染について語り始めた。

「彼は破天荒というか自由な人でね。興味があることへの集中力は凄まじいんだけど、ちょっと周りが見えなくなってしまうところがあって。危なっかしいんだけど放っておけない人だったな」
 ブレナ教師が語る幼馴染の特徴を聞いているとティジのことを思い出すルイ。ティジも町中でチョコレートや書店を見かけると、(こちらの制止も聞かずに)勝手に駆け出してしまうきらいがある。

「彼は自分の興味がある分野を私にも話してきて、その度に『こんなに知的好奇心をくすぐられる不可思議な物は他にないというのに!何でお前はそう無関心でいられるんだ!』ってよく怒られたよ」
 ブレナ教師の幼馴染とやらは随分と尊大な態度を取る人物だ。しかし「それでも諦めずに熱心に話してくれてたな」と目を細める様子からブレナ教師は今でもその幼馴染のことを大切に思っているのだろう。
 荷物を抱え直したブレナ教師は「そういえば」と何か思い出した様子で瞬きをする。

「最後に会った時にひどい喧嘩をしたんだったか。いや……でも最近会ったような気が……?」
 立ち止まり、一人ごちるブレナ教師にルイも足を止める。しばし黙り込んでいたブレナ教師はやがて「すまない。私も疲れているのかもしれないな」と首を振った。

 

「少し自分語りをし過ぎてしまったね。すまない。どうもきみといると気が緩んでしまうみたいだ」
「俺と、ですか?」
 人当たりの良いティジならいざ知らず。自分は気の利いた受け答えもできないのに、と首を傾げる。

「きみを見ていると親しみを覚えるんだ。どう言ったものか……昔教えていた生徒と再会したような感覚」
「あ……えっと……兄がここの中等部に通っていたのでそれかもしれないです」
 中等部と高等部の校舎は隣接している。もしかしたら兄――レイジの在学中に少しばかり交流したことがあったのかもしれない。
「そういうことだったのか。ダメだな。長いこと勤めていると記憶が曖昧になってしまう」
「長いこと……先生はいつ頃からここに勤めているんですか?」
 若く見えるがそんなに長く教鞭を執っているのか、という疑問からブレナ教師に問いかけるルイ。その質問にブレナ教師は「確か……」と宙を見上げる。

 

「六年前からだ。もうそんなに経つのか」
「六年前……?」
 時の流れは早いな、と笑うブレナ教師にルイは違和感を覚えた。

 ルイたち一家が襲われた事件は八年前の出来事だ。これと同時にレイジも失踪している。
 ブレナ教師が教育実習でここを訪れていたとしてもやはり時期が合わない。

 この人はいったいどこでレイジと知り合ったのだろう。

「先生。その、兄は……っと!」
 前方不注意。いつの間にやら目的地である数学準備室の前まで来ていたらしい。ルイは扉を開けるために立ち止まったブレナ教師に思い切りぶつかってしまった。
「あ、すまない。怪我はしてないかな」
「いえ、こちらこそすみません。ちょっとボーッとしてました」
 危うく荷物をぶちまけそうになったが何とか持ち堪えた。荷物運びを手伝うのに余計な手間をかけさせてしまうところだった。

「荷物は適当に置いて大丈夫だから。今日は本当にありがとう。外もだいぶ暗くなってきたから気をつけて帰るんだよ」
「あ……はい。今日は先生と話せて楽しかったです。先生も今日はゆっくり休んでくださいね」
 ルイはこちらを振り向きながら笑顔で礼を言うブレナ教師の雰囲気に当てられて、レイジのことを聞くタイミングを逃してしまった。

 

「私も楽しかったよ。それじゃあまた来週……ニィス?」
 部屋の奥を見つめ、呆然と呟くブレナ教師。つられてルイもその方向へ視線を向ける。
 その先には部屋の最奥に置かれた机に腰掛ける男性がいた。

「ニィス!こんなところで会えるなんて!久しぶりだね、また会えて嬉しいよ!」
 ブレナ教師は声を弾ませて男性に駆け寄る。ニィスと呼ばれた男性は結った薄紫の髪を指先でいじりながらわざとらしくため息をついた。

「毎度毎度そう言われるのは少し傷つくな。まぁ、そうしたのは僕なんだけど」
 そう告げるとニィスは髪をいじるのを止めてヒョイと机上から下りる。
 開け放たれた窓から吹く風が、彼がまとう白衣をなびかせるとニィスはブレナ教師に向かって一言告げた。

 

「――18番。そいつを捕らえて」
「え、――ッぐ!」
 どこかで聞いた覚えのある台詞に気を取られて反応が遅れる。壁に背中を打ちつけてようやく、自分がブレナ教師に首を締め上げられているのだと気付いた。
 床に足が届かない。首に全体重がかかり、呼吸がままならない。

「……レナ、せんせ……っ、――!」
 自分を壁に押さえつけるブレナ教師に呼びかける。目の前の人物と目を合わせたルイはヒュッと息を引いた。

 先ほどまで見せていた物とはまるで違う。冷たい、いや――無を感じさせる表情がそこにあった。

 それを目にした時、あの記憶が走馬灯のように頭を駆け巡る。

 八年前。自分を、家族を襲った男の虚ろな目を。

 

「首の骨は折るなよ。気を失わせるだけだ。もう目当ての物は手に入れたけど……お前はアレの弟だからね。有用性はありそうだからついでに来てもらうよ」
 せめて気道を確保しようと背後の壁に足を着けて登ろうとするが、努力の甲斐もむなしくその場をズルズルと滑るだけ。

「せん、せ……は、なし……っ」
 目に涙を滲ませて訴えるも首にかかる圧は着実に増すばかり。
 腕に爪を立てて抵抗するも意味をなさず。

 やがてルイの手足から力が抜け、その視界は暗く落ちていった。

 


 第三章において起承転結でいうところの『転』の回。マスコットキーホルダーって結構大きいイメージがあります。