02.ティジの一日

 カーテンから射し込む朝日に目をしばたたく。やがて、のそりと起き上がり軽く伸びをして窓の外を見る。
 小鳥の鳴き声が聞こえる。今日も見事な快晴だ。その事にホッと一息ついたティジは乱れた頭を整えた。

 

「おはよ、ルイ」
「……はよ」
 朝食の席に着くとまだ少し寝ぼけているルイに朝の挨拶を交わす。朝食は父も一緒だ。クルベスの姿は……まだ見当たらない。
「きのう、いろいろ、学校の用意してて……」
 若干かすれた声でルイが呟く。だいぶ眠そうにしている。そういえば夕べ、もうすぐ学校にも行けるようになるか、とクルベスが言っていた。
「それで……遅くまで……」
 今にも寝てしまいそうだ。ここまで眠そうにしているのは初めてみた。大丈夫かな。

「起きろールイ」
 背後から現れたクルベスがくしゃくしゃとルイの頭を掻き回す。
「う、あっ?いきなり何……」
 うつらうつらと舟を漕いでいたルイがクルベスに顔を向ける。
「おはよう、ダメだぞ夜更かししたら。俺みたいに背ぇ高くなりたいんだろ?」
「……いつの話だ、ソレ」
 無理やり起こされて少し機嫌が悪そうだ。
「お前がこんなちっさい頃」
 そう言って腰あたりまで手を下ろす。そんなの覚えてない、とそっぽを向くルイ。頬をつつくクルベス。その手をかなり強めに押し返す。よく見る光景だ。
「はやく座れ」
 見かねた父に諌められ、名残惜しそうな様子でクルベスは空いた椅子に座った。

 

「坊っちゃん、少しお待ちを」
 午前中の勉強を終えて教材を片付けていると、王室教師に呼び止められた。ちなみにティジを坊っちゃんと呼ぶのはこの人だけだ。小さい頃から学校に行けない日はこの人に教わっていたため、いつの間にかこの呼び方で定着してしまった。
「こちら渡そうと思いまして。以前話していらっしゃったでしょう?」
 その言葉と共に取り出したのは西の国の魔術に関する研究がまとめられた本。
「わぁ、これ、覚えていたんですか!」
 前に雑談程度にちらりと話したソレ。確かあまり流通していない物のはず。

「先日旅行に行ったときに古書店で偶然見つけたんです。本との出会いは一期一会ですからね。これを逃す手は無いと。そちら、坊っちゃんに差し上げます」
「え、でも良いんですか?だってこれ……」
 相当希少な本だったような。そんな物をおいそれと受け取ることなんてできない。そう告げて、人の良い笑顔を浮かべる王室教師に返そうとするが。
「お気になさらず。書き写しましたから」
「……それなら、ありがたく頂戴します。本当にありがとうございます」
 見たところ600頁ほどはありそうな分厚い本を全て書き写す執念に面食らったが、以前も似たようなことがあったので深くは触れないことにした。

 

 ――その後昼食を挟み、医務室にて。
「クーさん、いる?」
「ん?もうそんな時間か。ちょっと待ってろ、先にこっち片付ける」
 午後からクルベスに足の経過を見せる約束していたが、どうやら電話の最中だったようだ。少し立て込んでいる様子。とりあえず隅にあった椅子に座って待つとする。
「だからそれは前言っただろ。あー……分かった。明日そっち行く。空いてない?ならそっちの都合の良い日でいいから。……え、その日は……いや、行ける。あぁ分かった。じゃあ切るぞ」
 電話を切るクルベスを見つめる。
「……クーさん、本当に大丈夫?」
「今の電話のことか?大丈夫だって。何とか時間作る。無くても作ればいける」
 大丈夫ではなさそう。でも自分は部外者なので何も言えない。
「そんなことより、足。見せてみろ」
「あ、うん」

「よし、もう大丈夫だな。晴れて全快。よかったよかった」
 一つうなずいて、クルベスは上げていたズボンの裾を元に戻してくれた。
「ルイの傷も治ったし、諸々の調整も鑑みて……学校は来週にでも復帰できそうだな」
 顎に手を当て、宙を見つめるクルベス。その諸々の調整とやらでまた一つ仕事が増えたようだが、本当に大丈夫なのだろうか。
「で、あれからちゃんと眠れているか?」
「……うん、それなりに」
 先日の深夜の会話以来、まだ少しうなされることはあったけれど頻度は格段に下がった。
「なんかあったら言えよ。お前はすぐ我慢しようとする癖があるから」
 ティジの頭に手を添えて、胸元に引き寄せる。
「俺はいつだってお前の味方だからな」
 そのまま軽く頭を撫でられた。
「……クーさんってよく頭撫でるよね」
 少し照れ臭くなって話題をそらす。
「そうか?」
「うん」
 何か事あるごとにやっている。昔からそうだ。

「二人とも何やってんだ」
 ルイが医務室の入口から声をかける。いつの間に。
「ただのスキンシップ。なぁ、俺ってそんなに頭撫でたりしてるか?」
 適当にはぐらかしながら飛ばされたその問いかけにルイは目をパチクリさせる。
「自覚無かったのか!?」
「え、そんな驚くほどやってた?」
 その返答に、わざとやってんのかと思ってた……とひとりごちるルイ。
「癖……なのかもしれないな」
 俺も人のこと言ってられないな……とクルベスは呟いた。

 

「それ、どうしたんだ?」
 医務室でクルベスと別れたティジとルイ。各々の自室へと戻る道すがら、ルイはティジが大事そうに抱える分厚い本に視線を送る。
「先生がくれたんだ。俺が前に話してた物だろうって」
 廊下を歩きながら経緯を説明する。周りに人はいないので並んで歩いても道が塞がる心配はなかった。
「でね、これに書かれてるのはかなり昔の話で、それこそ今みたいに魔法とか魔術が一般に知れ渡る前の時代のことが書かれているんだ。ある領主の家庭のお話が関わっているんだけど、どうやらそこの子どもたちが魔術を使えたらしくて。でも何でかあまり記録が残っていなくて、だけどその時代に魔術が使えた人ってだけですごく珍しいって言うか、こんな文献として残っているってことは何か明確に目的があって使われた可能性が高いし、一体どんな魔術を使ってたんだろうって」
「あぁ、うん。分かった。とりあえず一旦落ち着こうか」
 いつになく目を輝かせながら語るティジを制す。いや、魔術のことになるといつもこうなるな。それほど魔術のことが興味深いのだろう。
 ……そういえば自分がこの城に移り住んだばかりの頃にも、魔法の種類を分かりやすく丁寧に教えてくれたっけ。

 突如、窓の外が光る。遅れて轟音が鳴り響く。
 ――雷だ。

「――っ」
 息をのみ、咄嗟に耳を塞ぐティジ。大事そうに抱えていた本はその足を掠めて床に落ちる。
「ティジ、ティジ。大丈夫。部屋に戻ろうか」
 体を固くしたティジになるべく優しい声で語りかける。
「ぅ、やだ……かみなり……こわい、やだ……っ」
 声を震わせて、目に涙を溜めるティジの肩を抱く。本は脇に抱えた。
 ――今日の天気は晴れのはずだったのに。ましてや雷が鳴るなんて。
 雨が降り始めた窓の外をにらみながら、足早にその場を後にした。

 二人はとりあえずその場から一番近かったルイの部屋に入った。外は雨の勢いを増している。雷が鳴る度に大きく肩を跳ねるティジに大丈夫、大丈夫だからとしきりに声をかけながら寝室に向かう。
「ひっ、やだ、こわい……かみなり、やだぁ……っ!」
 泣きじゃくるティジをベッドに寝かす。
「大丈夫。俺がいるから。大丈夫、大丈夫」
 耳を塞いでボロボロと大粒の涙をこぼすティジを、共に横になってその体で包み込む。
 泣き疲れて眠ってしまうまでこの状態は変わらない。それまでの間せめて一人にしないように、とこうしてそばにいるのである。
 なぜこんなにも雷を恐れているのかは分からない。前にティジは教えてくれた。雷の音を聞くと否応なしに恐怖が込み上げてきてそれ以上は何も分からないのだ、と。

 初めて見たときは驚いた。その日は偶然クルベスやジャルアの外交が長引いていて。ティジは一人で雷が鳴り響く暗い部屋の中、布団にくるまって震えていた。
 普段の屈託のない花の咲いたような笑顔とは真逆のひどく怯えたその姿は今でも脳裏に焼き付いている。その日初めてルイに助けを求めたことも。
 
『……そばにいて……ひとりに、しないで』

 それから雷が鳴る日はこうしてそばを離れないようにした。クルベスからも、できればそうしてやってくれと言われた。もちろん、言われずともそうするつもりだ。
 
 ――少しでも早く、おさまってくれ。
 体を寄せてむせび泣くその姿に胸を軋ませながら、変わらず雷鳴が轟く窓にそう強く願った。

 


今回は少し趣向を変えてティジの一日をお送りします。