03.木の芽時-3

 ティジが体調不良を訴えた翌朝。学校の正門前ではエスタがルイの手を取ってしきりに言葉を掛けていた。

「本当に大丈夫?やっぱり俺もついて行こうか?俺ここの卒業生だから中には入れるし、そのほうが絶対安全だよ……」
「そこまでしてもらわなくても大丈夫です」
「でもでも、やっぱり心配なんだよぉ……一人で行くなんて……」
 そう嘆くエスタに対してルイは「心配しすぎです」とあっけらかんと言った。

 

 これは一体どういう状況なのか。それを説明するには昨日ティジが食堂で体調を崩した後の流れを知る必要がある。

 ひとまず体を休める所へ、と保健室に移動したティジとルイ。迎えに来たエスタと合流して城まではなんとか自力で帰ることが出来たものの、その日の夜に熱を出したのだ。これについて王室専属の医師であるクルベスからは「風邪だな。普通に風邪。とりあえず今週いっぱいは安静にしてろ」との診断を受けた。

 さて、ここでエスタの中である心配事が浮上してきた。当然だがティジは風邪が治るまで学校を休まなければならない。ならばその間ルイはどうする?

 導かれる結論は一つ。ティジの熱が下がるまでの間、ルイは一人で学校に行かなければならなくなるのである。
 いや、厳密に言えば登下校は自分が送り迎えで同行しているので問題無いのだが、学校内ではルイ一人で行動することとなるのだ。

 

 本人は全くもって無自覚の端正なお顔立ちをしているルイ。レイジと似て大層整った容姿の彼が一人で行動するとなれば、良からぬ考えを持った人間が近づいてくるかもしれない。

「弟くんなら自分が何か危ない目に遭っても、周りの人に心配かけたくなくて『何も無かった』とか言うかもしれない……そんな弟くんの優しさに漬け込んで悪い奴が弟くんを酷い目に遭わせるかも……どうしよう、大変だぁ……!」と最悪の想像に体を震わせて、エスタは昨夜はろくに眠れていなかった。

 そして夜が明け、こうして正門まで送ったものの最後の最後に踏ん切りがつかず「やはり自分も同行したほうが良いのではないか」と訴えているが当然聞き入れられる様子も無く。かれこれ10分以上押し問答を続けていた。
 以上が現在までの経緯である。

 

「じゃあもし何かあったらすぐ連絡して!速攻で駆けつけるから!あと危ない目に遭いそうになったら大声で『助けてー!』って叫ぶんだよ!……ハッ!そういえば『火事だー!』って言うとその様子を見に人が来るとか聞いたような……そっちの方が人が集まるかな……とにかく!何かあったら絶対に連絡して!ぜったいぜっったい――」
「分かりました!何かあったらすぐ連絡しますから!もうそろそろ行かないと遅刻するんで離してください!」
 正門前で繰り広げられている二人の会話に登校中の生徒が『何だ何だ』と興味深げな目を向ける。その周囲の視線に耐えきれなくなったルイは半ば押し切るように声を張り上げると足早に校内へと駆けていった。

 

 教室にたどり着き、ルイはひとまず空いている席に座り、大きく息を吐いた。
 先ほどの会話はいったいどれだけの生徒に見られただろう。こんなことで悪目立ちしたくは無いし、何よりあの男が見たら絶対からかってくるに違いない。

「騎士君、おーはよっ。さっきの見てたよー。めちゃくちゃ大事にされてるじゃん」
 噂をすれば……というか口に出してもいないのに現れた。あからさまにため息を吐いたルイの様子を気に掛ける事なく、シンはいつも通り軽薄な笑顔を見せながら当たり前のように隣に座る。そんなシンに構う気力も起きずルイはシカトを決め込んだ。

「あれ?ティジ君の姿が見えないけど喧嘩でもしちゃった?ついに我慢出来なくなって手を出したとか?」
「風邪だ。アホなことを抜かすな」
 仏頂面のルイの返事にシンは「冗談だって」とカラカラと笑う。
 かくいうシンには昨日、食堂を出る前に「ティジは体調が悪いみたいだから帰る」と伝えていたはずだ。だから何も事情を知らないわけでもあるまいに、自分の反応を面白がってふざけた発言をしているに違いない。

 

「そっかー、ティジ君は風邪でお休みかぁ。ざーんねん。でもそれじゃあティジ君の風邪が治るまでの間、騎士君はしばらく一人ぼっちってことか。それであのお兄さんにあんなに心配されてたってわけね」
「なんだコラ。言いたいことがあるなら言え」
 ニヤニヤと不愉快な笑みを浮かべるシンをギラリと睨みつける。いや、普通に笑っているだけか?シンがやっているとどれも悪意を持ってやっているように思えてしょうがない。

「いやいや、別にバカにしているわけじゃなくてね。良いことだと思うよ。あそこまで気に掛けてくれる人がいるっていうのは。じゃあ心配掛けないように今日は俺が一緒についていてあげるよ」
「余計なお世話だ。いいからとっとと離れろ」
 そう言って突き放すもシンは「えぇー、騎士君つめたーい」とふざけた調子で返すだけであった。

 


 今回のエスタさんの心配様は、エスタさんが衛兵に就いてからルイが一人で行動するのは初めてだからです。正門前まで送る道すがらも『何かあったらどうしよう』とまごまごしていた様子。
 なお、当のルイは「ティジが見やすいようにノートのとり方もちゃんと考えておかないと」と意気込んでいたようです。