04.喧騒-4

 その夜、夕食を終えたティジはジャルアの私室に訪れていた。
「どうだ。学校はもう慣れたか」
「うん、もうだいぶ慣れたよ。でもルイに『絶対一人で行動するな』って言われちゃうかな」
 ジャルアの問いかけにティジは少し困ったように笑う。
 だがしかしルイの忠告は正しい。ティジの安全面もあるが、本人無自覚の方向音痴を考えれば当然だ。ルイも気が気でないのだろう。

 どうやら同級生とも会話をしたらしく「そのことでルイに心配させちゃった……」としょぼくれている。少し言葉を交わした程度なのに……あの子の将来が心配になってしまう。まぁ学生時代のクルベスも似たようなものだったので、血は争えないというやつか。

「何か不安なことがあったら言えよ。少しは相談にのれるから」
 ジャルアがそう告げるとティジは「そんなに心配しなくても大丈夫だよ」と笑う。
 それにしても上機嫌だ。それほど学校が楽しかったのだろう。するとティジはこれまた嬉しそうに顔を綻ばせた。

「父さんとこうして話すのって久しぶり。……実は俺、父さんとお話したいなって思ってたんだ」
 ティジがそう思っていることには気づいていた。それでも自分が接触することでこの子の記憶が戻ってはいけないと思って……いや、何より自分がこの子への罪悪感からまともに顔を合わせられなかった。
 自身の弱さのせいでこの子には多くのつらい思いをさせてしまっていたはずだ。
「ごめんな」と言おうとしたがすぐに口を閉ざす。おそらくティジのことだから『自分のせいで父さんに気を遣わせてしまった』と考えてしまう。
 普段通り、この子に不安を抱かせないようにしなければ。

 

「これからはこれまで以上に沢山お話できるぞ。そうだ、ティジがよければユリアの話もしようか」
「いいの?父さんが良かったら……その、俺も母さんのこととか話したいなって思ってて……」
 ティジのまとう雰囲気が和らいだことにジャルアは『やっぱり俺に遠慮してたか』と思案する。そんなに気負う必要はないのにティジはやはり周囲のことを気にしすぎるきらいがある。

「サクラも今度帰ってくるから、その時にでも家族水入らず昔のことを振り返るってのもいいな」
 ティジの双子の妹であるサクラ。彼女は現在、友好関係のある国の学校に留学している。結構楽しくやっているらしい。
 サクラが自分から『留学をしたい』と言ってきた時、ジャルアは驚きながらも『父上が予測した通りになったか……』と頭を抱えた。
 サクラは自分の知らない文化や他国の風習を知ることに大層興味があるらしい。ティジも新しい本が入荷されると食い入るように読んでいることから、好奇心旺盛なところは二人とも同じだ。たとえ性別が違っても双子は似るのかもしれない。

「い……っ」
 そんな久方ぶりの談笑を楽しんでいると、ティジは弾かれたように顔をしかめ、額に手を当てた。
「大丈夫か。……やっぱりまだ痛むな」
 レイジとの一件以降、ティジはたびたび頭痛に苛まれていた。おそらく記憶が戻ったことによる反動だと考えられる。劇場での出来事から約三ヶ月経っているが……こればっかりは時間に解決してもらう他ない。

「少し痛いってだけだから平気だよ。ちょっと疲れてるのかも」
 心配する俺にティジはすぐさま手を下ろし、少し引きつった笑顔を見せた。
「無理するなよ。記憶に関する知識はクルベスより俺のほうがあるから、何か不安なことがあったらすぐ話してくれ」
「でも……」と遠慮するティジにジャルアは「俺にも親らしいことさせてくれ」と告げる。するとティジは観念した様子で頷いた。

 ◆ ◆ ◆

 時を同じくして、クルベスの私室。
 その部屋の主にエスタは『本日の活動報告書』もとい、ティジとルイの様子をまとめた書類を差し出した。
「というわけで本日も異常無し。二人とも学生生活をエンジョイしてるみたいです」
「それルイが聞いたらキレるぞ」
 クルベスは渡された書類に軽く目を通しながら投げ掛ける。内容は今しがた報告された内容と差異はない。しいて言うなら、口頭での報告は身振り手振りを交えて説明していたので、見ていて飽きなかった。

「いいじゃないですか。年頃の男の子らしく、好きな子が自分以外の人間と話してるのを見てヤキモキしちゃうって。青春を謳歌してますよ羨ましい」
 何の気なしに茶化すエスタはレイジが行方知れずになって以降、そういう学生らしい青春からは自ら距離を置いたらしい。『レイジがいなくなったのに自分だけ普通に過ごすことはできない』と考えて。

「クルベスさんのことだからどうせティジ君が今日お話したっていう子のこと調べるんでしょ?弟くんたちに黙って。俺には教えて下さいよー」
 報・連・相ってやつ、とエスタは軽い調子で言うが本音なのだろう。本人はこちらを責め立てる意図はないだろうがやはり罪悪感に苛まれた。

「あぁ、今度はちゃんとすぐ話す。同じ過ちは繰り返したくない」
 レイジが現れた時、エスタにこのことを知らせるべきか躊躇してしまった。墓地で会った彼は、エスタが知る『レイジ』とはまるで違っていたのだから。
 それ故に『もう少し落ち着いて意志の疎通がはかれるようになってから話そう』と考えて……結果エスタは生きた状態で彼に会えることもなく、全てが手遅れとなってから知ることとなった。

 この城に帰還した彼にレイジの死亡を教えた際、声を荒げながら掴みかかられた。「なぜすぐに教えてくれなかったのか」と。
 日頃から『そんな言い方されると俺泣いちゃいますよ』と言いつつ本当に泣くこともなかった彼が、その時は確かに泣いていた。
 お互い気まずくなり、しばらくは業務上必要最低限にしか口を聞かなかったが、エスタの提案した旅行を経たことで再び言葉を交わせるようになった。

 正直、一生恨まれても文句はいえないことをしたのだ。エスタは彼自身が思っているよりずっと大人だ。
 少なくとも『彼が傷つくかもしれない』という言い訳を理由に、レイジのことを教えなかった自分よりも。

 

「……抱え込んでません?ダメですよ。ちゃんと頼るって言ってたじゃないですか」
 エスタにジトリとねめつけられ、クルベスは我に返る。
「悪い。つーかよく気づいたな」
 エスタは妙に鋭い時がある。ここに配属された時も『アレ』のことをものの見事に的中されて話さざるを得なくなったし。
 その指摘にエスタは得意げに「そりゃそうですよ」と笑う。

「どこぞのツンデレな親友のおかげで表情の変化には気がつきやすくなったんでね」
 本人が聞いたらわりと本気で殴られると思うが。『あとレイジってツンデレに分類されるのか?けっこう素直な奴だぞ』とは思うも、世代間で基準が違う可能性があるので適当に流しておく。『素直』というより『本人は隠してるつもりだけど分かりやすい』に該当するか。

 そういえば……これって聞いてもいいのか?

「なぁ、エスタ。ひとつ聞いてもいいか」
「なんです?めちゃくちゃ深刻そうな顔して。え、また上官からお説きょ……言伝でも頂いているんですか」
「いや、そうじゃなくて……思い当たる節でもあるのか」
 問うとエスタは目を逸らしながら「……無いです」と呟いた。アレは確実にあるな。また近いうちにエスタの上官もとい警備の責任者から愚痴を聞かされそうだ。

 

「お前さ、レイジのことどう思ってんだ」
「え?」
 エスタは『なんであいつの話?』と言いたげに間の抜けた返事をする。
「普通に親友ですけど」
 むしろそれ以外にあります?と首を傾げるエスタに思わず頭を抱えた。そんなクルベスにエスタはムッと不満をあらわにする。

「何?なんですか。何でそんな反応されなきゃいけないの?」
「いや、俺はその……てっきりお前が……レイジのことを好きなのかと……」
 言葉尻を濁しながらいった文言にエスタはぱちくりと目を瞬かせる。それから「ははっ」と乾いた笑いを漏らした。

「俺が!?あいつのこと!?なぁーに言ってんすか!え、クルベスさんもしかして恋愛脳だったりします?弟くんたちの距離感でちょっと感覚バグってんじゃないですか」
 意外ですわー!と声をあげて笑う。エスタはひとしきり笑った後、一つ大きく息を吐いてソファに座り込む。

「……そんなわけないじゃないですか。え、むしろ何でそんな考えになるんです?」
「いや、俺の勘違いだったんなら悪かっ……」
「何で、そう、思ったんですか?」
 有無を言わさない物言いに、クルベスは言葉を詰まらせてしまう。もしかすると踏んだらまずい物を踏んでしまったのかもしれない。

「一人の人間のために自分の人生捧げるって……誰が見ても……なぁ?」
「俺そんな献身的な振る舞いしてないです」
 即座に否定する。自覚が無いらしい。
「衛兵になった理由……」
「後悔と罪悪感からですけど」
 とんでもなく重い発言をさらっと言うな。そんなツッコミが喉まで出かけたが何とか飲み込んだ。

「事あるごとにレイジの話をするし……あいつの容姿とかこれでもかってぐらいべた褒めしてるっていうか……実のところあいつの顔好きだろ」
 学生時代のエスタがレイジの家に遊びに来ていた時、レイジの顔をまじまじと見つめていたことを思い出す。
 別に妙な雰囲気を醸し出すことも無かったからクルベスは気にも留めていなかったが、いま思い返せば『ただの友達』の顔をあんなに凝視するか?という疑問がわいてくる。ティジとルイ……あの二人もあれぐらいの距離感で過ごしているが。

「綺麗なモノって見とれたりしません?クルベスさんも分かってるでしょうけど、あいつめちゃくちゃ綺麗ですよ。超絶美人さん」
 歯の浮くような台詞をよくもまぁそんな平然と言えるな。『見とれる』って言葉の意味をちゃんと理解して使っているのか問いただしたくなる。

「いやマジで違いますって。違う違う。そんなわけない。昔っからこんな感じで付き合ってきてたんですし。クルベスさん疲れてるんですよ。ちょっとは休んだらどうです?」
 エスタは「本当にビックリしちゃうなぁ」と呟きながら、ひどく動揺した様子で目をグルグルさせる。これ以上追及しないほうが良い気がした。

 

「……俺もちょっと疲れてるみたいです。もう寝ます」
 深く息を吐き、スッと立ち上がったエスタの笑顔はひきつっていた。
「あ、あぁ……悪いな。こんな時間まで付き合わせて」
 あと変なことを聞いてしまったことも心の中で詫びる。かなり話し込んでしまった。最近は日が落ちる時間も早くなってきたのも相まって外は薄暗くなっている。
 エスタは「大丈夫ですって」と適当な返事でそそくさと退散しようとするも、距離感を見誤ったのか扉に勢いよく体をぶつけた。

「……家まで送ろうか?」
「いいです。何ですか、その気遣い」
 エスタは何事も無かったかのように振る舞うが、今度はドアノブに脇腹をぶつけたことに心配が尽きない。それこそフラフラしながら歩いて事故にでも遭いかねない。
 ドアノブがかなりいい角度で入ったのかエスタは涙目になりながら悶絶したのち、何か引っ掛かった様子で顔を上げる。

「ていうか知らないんですか。俺今日から詰所のほうで寝泊まりするんですよ」
 寝耳に水だが。そんなクルベスに「あれ?おっかしいなぁ……」とひとりごちる。
「弟くんたちの送り迎え……特に朝とか早くなるんで。詰所の昔使ってた書庫兼倉庫を片付けてそこで寝泊まりすることにしたんです。上官からもちゃんと許可取れましたし、クルベスさんにも話がいってるかと……、あ」
 何か思い当たることがあったのか「やっべ……」と声を漏らす。

「クルベスさんには俺から話しておくって言ってたわ……」
 また一つ、上官とやらの愚痴の種が増えたようだ。

 


 一方、ルイはクマのぬいぐるみをモフモフして怒りを鎮めています。不安な時とか心がモヤモヤしている時によくモフる。ぬいぐるみを抱いたまま寝落ちすることもあったり。