05.雪花-4

「うん、なるほど。よく分かった」
 青年はそう頷いてレイジの手から氷を受け取る。氷はひどく形を歪めて、ポタポタと水滴を落とす。先ほどクルベスたちの前でおこなった時と比べると幾分かマシだが、それでも尋常じゃない疲労感に襲われた。

「周辺の空気の流れは変化無し……でも氷には魔力の残留が見られる……それに加えて形状の著しい変化……」
 青年はレイジの背中をさすりながら目の前の事象を分析していく。手の中で氷を転がしていた青年はやがて「うん」とひとつ頷くとこちらに顔を向けた。

「きみの魔法の特性が分かった」
「そんな、簡単に……分かるんですか……?」
 レイジはゼェゼェと息を切らしながら顔を上げる。
「驚くのも無理はない。でもこれに関しては僕の得意分野だからね。きみの扱う魔法、魔術の仕組みは僕が扱う物と全く同じだ」
 青年の言葉に首を傾げる。クルベスたちの頭を悩ませていたコレが、この青年の扱う物と同じ?
「より深い理解を得るためには詳しく説明したほうがいいんだろうけど……きみにはまだ難しいかもしれないな。きっとすごく混乱させてしまう」
 だから簡単に説明するよ、と青年は自身の手をレイジの手に重ねた。

 

「一般的な『物を凍らせる魔法』は魔力を水の周りの空気に干渉させて熱を奪う。それによってその空間の温度を下げることで凍らせているんだ。間接的に……例えばそう、冷凍庫みたいな」
 いきなり家庭的な文言が出てきたことで少し肩の力が抜けてしまう。『冗談を交えて説明しようとしてくれてるのかな』と思ったが青年は真剣な表情だ。ふざけているわけでは無さそう。

「でもきみや僕が扱うのは自分の魔力を水に直接入れて、水と魔力を結びつけることで水そのものを自分の魔力と同等の物にする……言い換えれば自分の指揮下に置いてしまうっていうか……えーっと、ごめん。難しいよね」
 ひたすら頭に疑問符を浮かべる自分に青年は申し訳なさそうに謝る。
「……頑張って理解します」
「いや、たぶんもうちょっと分かりやすい言い方があると思うんだ。……人に教えるのは慣れてないからなぁ」
 青年はああでもない、こうでもない、とブツブツと呟くとやがて「これだ!」と何かひらめいた様子で表情を明るくさせた。

 

「濃縮させたジュース!水に溶かして飲むジュース!あれみたいな感じ!水にジュースの原液を混ぜると甘い飲み物になるだろ?あんなイメージで水と魔力を結びつけちゃうんだ!……あれ?ちょっと違った?」
「あー……だいたい分かったんで大丈夫です」
 もしかしたらこの青年は天然なのかもしれない。とりあえず先に進もう。じゃないとどんどん迷走する。
 青年は気を取り直してコホンと咳払いをする。その頬が少し赤くなっていたことには触れないでおいた。

「とどのつまり、きみや僕は水そのものの性質を変化させて直接的に氷を作ることができるんだ。今きみが変化させたこの氷も形がまるっきり変わっているのが証拠。それと涙が凍ってしまうのもこの特性ならではだね。魔法を直接的に扱える分、動揺すると自分が触れた物にすぐ影響を与えてしまう。一般的な魔法ではまだ扱い慣れていない状態でここまで変化を及ぼすのはほぼ不可能なんだ」
 そこまで話すと青年は氷を受け取り、瞬きする間に粉雪に変えて風に舞わせた。その見事な移ろいに思わず魅入ってしまうが、ハッと我に返る。

 

「結局のところ、これは何とかならないんですか!?そのためにここまで来たんです!あいつにも時間を使わせて……それなのに、俺は……!」
 最後に見たクルベスの表情が頭から離れない。怪我をするところなんて見たことの無いあいつの頬を切り裂いた時の苦悶の表情が。

「大丈夫。僕が何とかしてみせる」
 青年は力強い言葉を掛けるとレイジの瞳を見据えた。

「きみは魔法を使った際に対象……この場合は水か。それに魔力を注ぎすぎてしまうんだ。言うなればコップに一口分の水を注ぎたいだけなのに、蛇口を全開にしてコップいっぱいに注いでしまうって感じ。本来消費しなくていいはずの魔力が余分に出ていく」
 青年の説明はレイジが理解しやすいように慎重に言葉を選んでいることが見て取れる。
「そうするとまだ少ないきみの魔力はすぐに枯渇して、さっきみたいな倒れちゃいそうになるほどの感覚に襲われてしまうんだ。もっと分かりやすく言うと……命の危機だね」
 青年の指摘に全身から血の気が引くのを感じた。

 

「し、ぬ……ってこと……?このままだと死んじゃうってことですか!?なんで、何でそんなのって……!」
 鼓動は速くなり、動揺して呼吸がうまく出来なくなる。
「やだ、いやだよ……!おれ、まだなんにもできてない!ルイに何も教えられてない!お父さんとお母さんに全然返せてない!あいつに『ごめんなさい』も言えてないのに、迷惑かけてばっかりなのに……やだ、死にたくないよぉ……!」
 これまで当たり前にあった日々が消えて無くなる。先ほどは『消えてしまいたい』と願っていたが、いざそれが現実味を帯びるとどうしても受け入れられない。
 そう泣きじゃくるレイジを青年はソッと抱きしめた。

「落ち着いて。大丈夫、大丈夫だからね。ごめん、僕の説明が足りてなくて怖い思いをさせてしまったね」
「何とか……なるの……?」
 青年は涙でぐずぐずになったレイジの頬に触れ「うん」と確かに頷いた。

「きみの魔力が過剰に出ないように僕が調整する。そうすれば今の『魔力が過剰に放出される状態』は改善される」
 いとも簡単に言う青年に言葉が出てこない。
 そんなの、神様でもないとできない。

 

「信じて。会ったばかりの奴にこんなこと言われても難しいだろうけど。僕はきみを助けたい……普通の人と同じように幸せに生きてほしいんだ」
 そう告げた青年は真摯な眼差しでレイジを見据えた。
「他に解決する方法は無い……んですよね」
「かなり難しい……と思う」
 青年の目に嘘は見られない。それにそう語る声もわずかに震えていた。

「それなら……いいよ。あなたを信じてみる」
「……いいの?」
「そっちが言ったんでしょ。『信じて』って。ここまでちゃんと向き合ってくれたあなたを信じるよ」
 少しでも不安な気持ちを抑えようと気丈に振る舞ってみせる。すると青年はなぜか泣きそうな顔で「ありがとう」と言った。

 ◆ ◆ ◆

「どう……?何か気分が悪いとか体に変化とかは無い?」
 恐る恐るこちらの様子をうかがう青年。それにレイジは「今のところ何ともない」と返した。

 青年による『調整』とやらは意外とあっさり終わった。
 自分の手を握ってしばし目をつむった青年に『今から何をされるんだろう』と緊張しながら待っていたレイジ。しかしそれから劇的な変化が起こることもなく。ほどなくすると青年は目を開けて「終わったよ」と言ったのだ。こう言っては何だか拍子抜けである。
 特に体調に変化は無い。握られていた手も問題なく動くし、思いっきり深呼吸しても空気が特別美味しいわけでもない。

「目に見えるような変化は出ないんだ。……期待させてごめん」
 青年の言葉はばつが悪そうに謝る。おそらく『これ本当にできてるの?』という気持ちが態度に滲み出ていたのだろう。

 

「少し確認したほうがいいか。もう一度これを操ってみて」
 青年はまたもそつない動作で氷を作るとポンとこちらに手渡す。身を固くしたレイジに青年は「僕がいるから大丈夫」と声を掛けた。

 緊張や不安は拭いきれないが覚悟を決めて目の前の氷に意識を集中させる。
 すると先ほどよりは少し控えめではあるものの、手のひらの氷は確かにその形を変えた。

「っ、はっ……え……?なんで、さっきはあんなに疲れたのに……!?」
「良かった。ちゃんと出来たみたいだね」
 青年は心の底から安堵した様子で息をつく。
 あんな、ちょっとでも気を抜いたら倒れてしまいそうな感覚に襲われない。でも氷はちゃんと姿を変えている。

 

「今は調整したばかりだから思うように力を使えないけど、これから少しずつ練習していけばもっと色んなことができるようになるよ。色んな形や大きさの氷を作ったり……あと雪を降らせることもできるかな」
 まじまじと氷と自身の手を見つめるレイジに青年は微笑ましい目を向ける。
「でも使いすぎたらまたこの『調整』が不安定になってしまう。何事もほどほどに。それがこの力とうまく付き合っていくコツだ」
「不安定になると……どうなるんですか?」
 聞かなければいいのに興味本位で青年に問いかける。

「さっきまでの状態になる。『調整』そのものがなくなるわけでは無いからしばらく安静にしていたら戻るよ。だけどそれでも使い続けたら……魔力が暴走してかなり苦しい思いをするから、絶対に無理はしないように」
「かなり苦しい思いって……?」
 脅すような文言に思わず自分の手を握り合わせる。
「血を吐く。それから体が燃えてるみたいに熱くなって想像を絶する痛みに襲われる。あと息もまともにできなくなるね」
「ひっ……!」
 青年は怖がらせようとしているわけでもなく淡々と告げる。「あの感覚だけは慣れないな」という口振りから青年はそれを幾度も経験していることがうかがえてしまう。
 何にせよそれだけ聞けば十分だ。『絶対に無理はしないでおこう』と心に誓ったレイジであった。

 

「あぁ、それともう一つ。魔法っていうのは不思議な物でね。この力とうまく付き合っていく上で大事なことがあるんだ」
 青年は人差し指を立てて「それは――」と告げる。

「この力のことを認めるってこと」
「認める?」
「うん。言うなれば『好きになる』ってことかな。きみも『お前なんか嫌いだー』って言う奴とは仲良くしたいと思わないでしょ?」
 そんな曖昧な認識でいいのだろうか?相手は人ではないどころか意思すら無い物なのに。

「……好きになれないです」
「正直だね。でも気持ちはすごく分かる」
 おかしそうに笑われたのは何か心外だ。それはそうと青年も自分と同様にこの力を嫌っていたことがあったのが意外である。

「あなたはどうしたんですか」
「僕?僕はねー……『この力が好きだ』って言ってくれる人に出会えたんだ。その人の真っ直ぐな思いに触れて、ようやく『少しずつでもいいから僕も向き合ってみようかな』って思えるようになった」
 照れくさそうに、でも大切な記憶を語るように青年は目を細める。

 

「それだけで好きになれるものですか」
「保証はできない。でも、一人でも誰かに『好きだ』って……この力と向き合ってくれる存在がいるだけで気持ちはだいぶ変わるよ。少なくとも僕はそう」
 だからね、とレイジの頬を撫でる。

「きみもいつかきっと出会えるよ。その力を『好き』って言ってくれる誰かと。まるでおとぎ話みたいに、ね」
 彼の言葉とともに涼やかな風が流れる。その心地よい風は、あたたかな陽光に照らされてきらめく青年の長い髪を揺らした。

 

「そろそろ戻れそう?」
「あっ……はい。色々ありがとうございました!えっと……名前なんですか?」
 勢いよく頭を下げた自分に青年は途端に言葉を濁す。
「名前……無いってことにしちゃダメかな」
「あるんですね」
 自分の指摘に青年は「うっ」と苦い声を出した。

「ある……あるよ……でも、その……教えられない。お互い名前も知らない人同士でいいんじゃないかな……?」
「俺はレイジ・ステイ・カリアっていいます」
「うわぁ……この子、先手を打つタイプだ……」
 先に名乗ったレイジを前に青年は目を泳がせる。そうさせていることにレイジは内心申し訳なく思いながらも口を開いた。

「だって……俺、いやです。こんなにお世話になったのに、どこの誰かも知らないままサヨナラするなんて。俺はこれから先『名前も知らない誰かさん』に感謝していく日々を送るんです。何か素っ気ないと思いませんか」
 どうやらかなり効いているようで青年は非常に困った様子で視線を右往左往させる。レイジは感謝してもしきれない相手を困らせている矛盾からはあえて目を逸らした。

「じゃあ……約束してほしいんだ。それを守れるなら僕の名前を教える」
 青年の発言に対して『名前くらいでそんな大袈裟な』とは言わない。彼にも何か事情があるのかもしれないし。それに同意したレイジに青年は『約束事』を告げる。

 

「今日、僕と会ったことは誰にも言わないこと。今日会ったことが問題じゃない。『僕』と関わったことを絶対に誰にも言っちゃいけないんだ。そうじゃないと……きみが危ない目に遭う」
「……どうして?」
「知らないほうがいい。僕を知っている、僕と関わりがあると知られたら、多分きみはひどい目に遭う。きみだけじゃない。きみの家族ももしかしたら……」
『知られたら、って誰に?』という質問も許さない神妙な面持ちで青年は「分かったね?」と問いかける。その気迫に圧されて、こくりと頷いた。

「ごめんね。こんなわけのわからない約束させて……でももう誰も巻き込みたくないんだ」
 スッと息を吸うと彼は重い口を開き、自身の名を告げた。

 

「僕の名前は……リメルタ・エミンズ」

 


 魔法とか魔術の解説は自分でも『お前は何が言いたいんだ』となりがち。何となくフワッとしたイメージでやっているツケがこういうところで回ってくる。

 今回お話の中で出てきた『水に溶かして飲むジュース』は、この時期だとお中元の候補にあがるあのジュースです。乳酸菌飲料のアレ。ぶどう味とかソーダも美味しいあのジュース。