午後の手伝いも終わり、再度合流したティジたち。各所の模擬店では『完売』の文言が見受けられ、学園祭も徐々に終わりが近づいていることを実感させられる。
廊下を適当に歩きながら「次はどこ行く?」や「講堂で行われている演奏を見に行ってみるか」などと会話をしていると、ティジが掲示板の前で立ち止まった。
「ん?何か面白そうなものでも見つけた?」
どれどれ、とエスタはティジの背中から覗き込む。ティジが見つめる掲示物にはある企画の宣伝が載っていた。
「……ティジ君。いちおう確認するけどいま見ているのってコレ?」
エスタが指差した物にティジは遠慮気味に頷く。それは屋外で開催されている巨大迷路の案内だった。
本人無自覚かつ天性の方向音痴であるティジは『行ってみたい』という気持ちを微塵も隠せていない瞳でエスタを見つめる。
ティジが自分の要望を出すことは滅多にない。ここまで自己の主張を示すことは珍しい。とどのつまりティジの要望を無下にするなどできるわけがないのだ。
ティジを除く三人――ルイ・エスタ・クルベスは『よりによって迷路かぁ……』と不安に思いつつ「それじゃあちょっと行ってみるか」と迷路の開催場所へと足を向けた。
◆ ◆ ◆
迷路に同時に入場できるのは二人まで。エスタも俄然興味があったのでルイとクルベスに「健闘を祈っててくれ」とささやき、超が付くほどの方向音痴と共に迷路の中へと足を踏み入れた。
「そういえば前に本で読んだんだけど、こういう大きな迷路では壁に手を当てて、壁沿いに進んで行くと出口に辿り着けるんだって」
その仕組みを簡単に説明しながら、ティジは壁に付いた手を頼りに意気揚々と歩く。
「あぁ、俺も聞いたことあるな。……いや、ちょっと待って。ティジ君、それ最初から手ぇ付けてた?」
「ううん。いま付けた」
得た知識をすぐさま活かそうとする心意気は良い。だがしかし何故こうも迷子になりかねない選択ばかり取ってしまうのか。
「それ、たぶん最初から手を付けていないとダメだと思う。途中からやったら下手すると永遠に同じところをグルグル回ることになるんじゃない?」
ティジはエスタの指摘を頭の中で噛み砕き、少々考え込んだのち「あ、そっか」と得心して手を下ろした。
日頃から彼の迷子癖を目の当たりにしているが、巨大迷路となるとその(一瞬の才能とすら呼べる)特性は遺憾なく発揮されるらしい。
エスタは『このまま出られなくなったらどうしよう』と不安に苛まれるが、今更嘆いても後の祭りである。
「ティジ君が作ったプリン、クルベスさんもすっごく美味しいって言ってたよ。こういう物もあるのかーって」
エスタは黙って歩くのも何なので先ほどの喫茶店の話題を振る。クルベスが注文したプリンは若者に人気の生プリンという分類になる物だ。
「本当?あのタイプのプリンはあんまり作ったことが無かったんだけど、そう思ってくれたなら嬉しいな」
気に入ってもらえて良かった、とティジはホッと胸を撫で下ろす。エスタは「俺も頼めば良かった」と相槌を打ちながらティジについて行く。
それはさておきティジは迷路に入ってからずっと一歩先を歩いているが、何故こうも自信に満ちあふれた足取りで進んでいけるのだろう。
「ティジ君のことだからチョコ系のスイーツを作るのかと思ってたけど、プリンとはまた意外だね」
「チョコ系?それならガトーショコラも作ったよ」
ティジの発言にエスタは「何だって」と食いつく。
「でも午前中で無くなっちゃったんだ。もしかしたらエスタさんが来た時にはもうメニューから消していたのかも」
言われてみればそうだ。あのメニューにはやたらとマスキングテープが貼ってあり『メニューまで凝ってるんだな』と感心したが、あれは完売した料理をテープで目隠ししていたのか。
「悔しい……!ティジ君の超絶こだわりガトーショコラ、俺も食べたかったぁ……!」
日頃からチョコレートに並々ならぬ執念を燃やすティジが作ったとあらば美味しいのは当然。午前中で売り切れるのも何ら不思議ではない。
悔しさをあらわにするエスタにティジは「また帰ったら作るよ」と笑みを見せた
人でごった返す校舎内とは違い、軽快な音楽が流れるこの空間に他者の視線は無い。ティジは口にこそしないものの、自身の容姿に向けられる好奇の目に相当気疲れしているはずだ。それを裏付けるように迷路に入ってからのティジは終始明るい表情だった。
とはいえそろそろ出口に辿り着きたい。かれこれ20分以上はさまよっている。学園祭の企画程度ではそこまで大規模な物は作れないと考えているのだが、どうすればこの状況を打開できるか。
「――それじゃあまた後でね。ブレナ先生」
『大声でクルベスさんを呼んだら駆けつけてくれるかな』と危機感を覚えるエスタの耳に聞き覚えのある名が飛び込む。ティジの手を取り、声が聞こえた方角へ進むとブレナ教師の後ろ姿を見つけた。
「ブレナ先生ぇ……!先生も入ってたんですね……!」
エスタは迷路に入って初めて自分たち以外の人と出会えたことで涙ぐみそうになるもグッと堪える。手を繋いだままのティジがエスタの背中越しにブレナ教師を見つめる。
さっきブレナ教師とは別の声が聞こえた気がしたが、そこにはブレナ教師ただ一人。もしかするとさっきの声は偶然ほかの生徒と顔を合わせただけで、さっさと別れたのかもしれない。
エスタの声にブレナ教師が振り向く。ティジたちを視界に入れたブレナ教師は少し間をあけて、ようやく口を開いた。
「ティティ・ロイズ君と……エスタ君、でよかったかな。こんなところで奇遇だね。ここは私も準備を手伝ったのだけど、完成した物は見たことが無かったから少し入ってみたんだ」
エスタは「出口がどこにあるか分かりますか」という切実な思いが喉まで出掛かったが『ティジ君の前でそんな情けない姿は見せられない』と己を律して飲み込む。
先ほどブレナ教師を見つけた際の感極まった声は聞かれてしまっているが、自分が言及しなければティジも触れないだろう。
「でもこういう企画は複数人で参加したほうがより楽しめそうだね。君たちみたいに仲が良い人と一緒に回れば特に楽しそうだ」
ブレナ教師はいまだに手を繋いだままの二人に微笑む。
「そうです。俺たち仲良しなんです。ねー、ティジ君」
エスタはわざわざティジの後ろに回り、背後から抱きついてこれ以上になく仲良しアピールをする。
ティジは少し驚くが拒む様子も見せずエスタの呼びかけに同意を示した。
実際の立場としてはこの国の王子と城内警備担当の衛兵ではあるが、二人の間にはそんな堅苦しい関係は感じられない。仲の良い従兄弟のような絆があった。
「仲の良いのは良いことだ。友人は大切にするんだよ。それじゃあ、私はまだ見れていない企画があるからもう行くね」
ブレナ教師はティジたちの様子に顔を綻ばせ「学園祭、めいっぱい楽しんでね」と手を振って去っていった。
「エスタさん、どうしたの?」
ブレナ教師が去った後もしばらく抱きついたままのエスタに、ティジが問いかける。
「ん?暖を取ってる。最近寒くなってきたからね。ティジ君はあったかいなぁ」
そう言うとエスタはティジの肩口に顔を寄せてさらに密着してくる。何とは無しに触れたエスタの指先は冷たく、少しでも温かくなってもらおうとティジは何度か優しく握る。確かにここ最近は肌寒い日も増えてきた。時期的にもうすぐ冬に入るのでそれも当然か。
「人の体温って落ち着くねぇ。今ごろ弟くんたち、どうしてるんだろ」
ティジの体温を感じながら『あ、ブレナ先生について行けば出口にたどり着けたのに』と後悔してももう遅い。これ以上遅くなればルイが心配してしまうので早いところ出口を見つけなくては。
「ねぇティジ君。今度は俺が先を歩いていい?あ、それともこのまま歩こうか」
「いや、先に歩いていいよ。あとこの体勢で歩くのは難しいと思う」
ティジの了承を得たエスタは「それなら早速」とティジに回していた腕をほどき(迷子防止のため)しっかりと手を繋いで先を急いだ。
何とか午後のお手伝いも(乱闘騒ぎに発展すること無く)平和に終わりました。「でもやっぱりティジ君と弟くんのカフェエプロン姿見てみたかったなぁ……!」という嘆きにクルベスさんは無言で頷いたとさ。
今回登場した「迷路では壁に手を付いて壁沿いに進むと出口に辿り着ける」は迷路の攻略法の一つで『右手法』(左手法とも言う)と呼ばれるもの。ところで迷子になる時って地図とか案内板を見ていても迷いますよね。とっても不思議。