「あの二人、大丈夫かな……」
迷路の外でティジとエスタを待つルイは心配そうにひとりごちる。ティジの迷子癖にほとほと困らされているルイとしては不安でしかない。気を紛らわせようとエスタが買ってくれたクマのキーホルダーを握る。
そんなルイの頭を無言で撫でてくるクルベス。彼なりに気を遣ってくれたのだろうが、外でするのはやめていただきたい。誰か(軽薄な笑みを絶やさない同級生とか)に見られたらどうする。
「学校はどうだ。何か困ってることとかないか」
「別に。普通」
『またレイジみたいな返事して……』と思うもクルベスはあえて指摘せずに「そうか」と相槌を打った。クルベスの言う「困っていること」には『変な輩に言い寄られたりしてないか?』という質問も含まれているが、自身の容姿に無自覚なルイには当然伝わらない。
「……でもあいつ気に食わない」
「あー……同級生の子?」
シンのことを挙げたクルベスに、ルイはムスッと不快をあらわにして「そう」と頷く。
「普段からやたらと突っかかってくるし、そのくせティジにはベッタベッタ触れるわで嫌い」
ルイが自身の気持ちを包み隠すことなく『嫌い』と明言するのは珍しい。不機嫌なルイに「そういえば」と昼過ぎの出来事を思い出す。
「午後の手伝いの時、何かあったのか?ほら、あのパンケーキが運ばれた時とか」
人がいる場であそこまで敵意を見せるのはルイらしくない。ちゃんと周囲を見て行動することができる子のはずなのだが。ルイは自分の手をいじりながら「あぁ、あれは……」と呟く。
「あのパンケーキ、ちょっと変だと思わなかったか?その……何か物足りないって」
「シンプルにまとまったパンケーキだったな。俺は良かったと思うしエスタも満足そうにしてたぞ」
『生クリームも絞られているおかげで途中で飽きることなく美味しく頂けますね!さっすが弟くん!』と言ってあっという間に平らげていた。(おそらくメニューは統一されているはずなので、ルイ以外の者が調理しても同じパンケーキが出されるだろう)
それをルイは「まさにそこだよ」と頬を膨らませて続けた。
「あれには最後の飾り付けにクリームの上にブルーベリーを載せるんだ。それなのにあいつ、それをする前に持っていきやがった……!あれがあるか無いかで見た目の印象もだいぶ変わるのに!そんな中途半端な物がよりにもよってエスタさんに渡って……絶対許さない……!」
強く握りしめられたルイの拳が怒りでわなわなと震えている。怒り心頭のルイの様子にクルベスは『ブルーベリー載せられなかったぐらいでそこまでキレるか?』と心の中で呟く。
「あいつとは根本的に合わない。この間も今日も俺がいない隙を狙ってティジに近寄るし……」
ルイはそこまで言って何故か急に言葉が尻すぼみになる。
「ルイ?どうした」
先ほどまでルイの中で暴れ狂っていた激情が急速に引いていくのが見て取れる。クルベスの声にルイは目を泳がせ、チラリと迷路を見やると重い口を開いた。
「これ、ティジには言わないでほしいんだ。……俺、ティジの邪魔になってる……かも」
ルイがこぼした言葉にクルベスはパチクリと目を瞬かせる。
「ティジと何かあったのか?」
この二人に限って喧嘩など絶対にありえない、と思っているクルベス。そんな彼にルイは「そうじゃないけど……」と首を振る。
「学校では一人にするのは心配だから極力ティジと一緒にいるようにしてるんだけど……なんか最近、俺が常に一緒にいることがティジの足枷になってるんじゃないかって思ったんだ。……本当は俺だけじゃなくて、もっと他の人とも関わりたいとか思ってるのかも……って」
『ティジ君のことを考えているなら、彼の交友関係を狭めるようなことはしないほうがいいと思うなぁ』
先日、ティジが倒れた日に保健室でシンから言われた言葉。それに何も言い返せなかった。
それがずっと心の中で引っかかっていた中。今朝の学園祭開幕直前にティジがシンと共に戻ってきた時、こんな考えが浮かんだ。
自分はシンのことを嫌っているが、もしかしたらティジはシンと交流を深めたいのではないか、と。
「一回ティジとちゃんと話せ。まぁ、俺のほうからティジの気持ちを聞き出すってのもいいけど。お前としては人づてにティジの気持ちを聞くより、あいつと直接顔を合わせて話すほうがいいだろ?」
「それはそうだけど……それができたら苦労しない」
顔をしかめて苦言を呈するルイに「まぁな」と再びクシャリと髪をかき乱すように頭を撫でる。
「それにクルベスは勘違いしてるかもしれないけど俺は意気地なしのままだ。泣き虫だったあの頃から何にも変わってない」
学校で自分たちのことを気に掛けてくれるあの人にも申し訳ない。あんなに親切にしてもらっているのに、自分はまだあの人の目を見て話せない。なんて情けない。
外部の大人と関わることが久しぶりだからだろうか。両親を失ったあの事件――あの直後も大人が怖くて仕方がなかった。
ティジやクルベスと共に過ごしていくうちにその感覚も忘れていたが……自分はまだ、あの日の恐怖から抜け出せていないんだ。
――学校でティジと行動を共にしているのも本当は『ティジが心配だから』ではなく『自分が独りになりたくないから』ではないか?
「そうやっていま悩んでいることをちゃんと言葉にして俺に話せている。ルイは自分が思ってるより立派に成長しているよ」
思い詰めるルイにクルベスは「大丈夫」と不安を溶かすような温かい声色で告げる。
クルベスの声と大きな手に危うく涙腺が緩みそうになったルイは「あんまり甘やかすな」と自分でもわけの分からない返事をしてその場をやり過ごした。
◆ ◆ ◆
「何とか……帰ってこられました……!」
非常に疲れた様子で汗を拭うエスタにクルベスは「おかえり」と健闘を称える。
ティジたちが迷路に入ってから20分は経過した頃。一向に出て来ないティジたちに「そろそろ受付に相談したほうがいいんじゃ……」とルイが言った時、ようやくティジの手を引いたエスタが出口にたどりついたのだ。
「俺、なめてました……ティジ君の迷子能力を完全になめてた……」
一生出られないかと思った、と震えるエスタ。どうやら中ではティジが先導していたらしく、そのおかげでかなりの時間さまよっていたのだとか。『これは何とかしないと』と思い、自分が先を歩いたらあっという間に出口にたどりついた、とエスタは息も絶え絶えに説明した。
「弟くん、俺を癒してー……」と言ってエスタはルイに抱きつくが、恥ずかしくなったルイはすぐさま引き剥がそうとする。その様子にクルベスは『癒しを求めて男子高校生に抱きつくのはどうかと思う』と考えるも口にはしない。
「やっぱりティジ君のほうが収まりがいいな……身長とか体格差の問題?」
ルイの抱き心地を十分に堪能したエスタは迷路の中でティジを抱きついた時の感覚を思い返す。エスタがボソッと呟いた文言にティジは「……そこまで変わらないもん」と膨れっ面で反論した。
「ごめん。ティジ君のことを悪くいったつもりは無くて……」
「気にしてないです。服のサイズも同じだし。あー、迷路すっごく本格的で楽しかったなー」
ティジはエスタに気にしないよう言ったっきり、不自然なほどに話題を変えようとする。身長の話になるといつもこうだ。
付け加えるとティジとルイは服のサイズは同じであるものの、ティジが着用した場合はかなり緩い着こなしになってしまう。5cm以上も身長が違うのだから当然か。
「ねぇルイ、迷路いまからでも入ってみようよ。まだ入れるって」
「いや、二人を待たせるのも悪いし大丈夫」
自分が入ったらクルベスとエスタを待たせることになる、とティジの誘いを断る。それでもティジは本当に楽しかったのか、ルイを迷路の受付に案内しようとした。
「ていうか……別に俺じゃなくても。クルベスとか他に一緒に入りたい人とかいたら、そっちのほうがいいんじゃないか」
ルイは後ろめたそうにティジから目を逸らす。ルイの頭の中では先ほどクルベスと交わした内容が反芻していた。
ティジはそんなルイの手を取り、しっかりと握る。
「俺はルイと入りたい。ルイと一緒が一番楽しいから」
花が咲いたような明るい笑顔。その笑顔と言葉にルイの胸が詰まる。
「行ってきたらどうだ。ルイもこういう参加型の企画はやってないだろ」
微笑ましい目で二人を見守っていたクルベス。「それじゃあ……」と遠慮気味にティジについて行こうとすると、ちょうど学園祭終了のアナウンスが鳴った。
「あ……もうそんな時間だったか」
「また今度挑戦してみようか。俺、鏡の迷路とか遊園地で見たことあるよ」
気落ちするルイにエスタが別の機会を提案する。『鏡の迷路』という言葉に目を輝かせるティジにクルベスは『普通の迷路でさえこうなったんだから、鏡の迷路なんて入ったらとんでもないことになるぞ……』と憂いた。
前回のお話の一方で、という回。
前回ティジと一緒に入った人がなぜエスタさんだったのかというと「巨大迷路って興味あったから」という理由。
案内図で巨大迷路のことを知ったものの「でもそれを言えばティジ君もぜったい興味持つだろうからなぁ……」と思って黙っていたエスタさん。だけどティジのほうから「行きたい」と言われたので「じゃあせっかくだから自分が一緒に入る。入りたいです」という流れであの組み合わせになりました。