17.お出かけ-1

 国王の執務室。そこでジャルアとクルベスは膨大な量の書類の内容を確認していた。
 それは来月からティジとルイが通う初等部に提出する書類であった。

 ルイたち一家が何者かに襲撃されてから約四ヶ月。
 ルイもすっかりこの城に慣れて落ち着きを見せている。ティジのほうもルイとは仲良くなってくれただけではなく、雷に見舞われた日でもルイとは一緒にいられることが判明した。
 まさかそうなるとは思ってもみなかったがこれは僥倖だ。

 おかげでティジの初等部入学も現実味を帯びて、ついに実現できることとなったのである。

 

 入学時に必要な手続きや提出する書類について、ルイのほうは事件前まで通っていた学校から転校するだけなのでさほど苦労はなかった。
(転校するに至った理由はあの子の家族について知っている人間は少ないほうが良い、と考えたからだ。事件の詳細を知らない同級生が好奇心で色々と聞き出そうとするかもしれない。ならばいっそのこと全く新しい環境に変えてしまったほうが良いだろう)

 だがティジの場合はそうもいかない。

 ティジは王位継承者だ。そのため安全上の理由などから、成人するまでの間は外部にその素性が知られないようにしなければならない。
 簡単に言うと『ティルジア・ルエ・レリリアンに関する個人情報は別の物に改ざんする必要がある』ということだ。

 まずは名前。王室のファミリーネームである『レリリアン』を表に出すなどもってのほか。
 それと出生や家族の情報については間違っても彼が王室に連なる者だと気づかれてしまわないよう入念に書き換えなければいけなかった。

 

「お前の時もこんな感じでやってたのかな」
「かもな」
 クルベスの発言にジャルアは記載内容に不備は無いか、最終確認をしながら粗雑な返事をする。

 ティジが学校に通うことができる、という事が嬉しいのか、ジャルアも先ほどから表情が緩みっぱなしである。サフィオじいさんも存命だったらきっと喜んでいたに違いない。

 

「いよいよか。あの子のは一回おじゃんになっているから何か感慨深いな」
 来客用のソファに腰掛けているエディがしみじみと呟く。なぜエディがいるのかというと、通学時の警備態勢や有事の際の対応方法の確認のためだ。

 エディが言う『一回おじゃんになっているから』というのは、本来ならば8歳の十月という中途半端な時期ではなく、約一年前――ティジが7歳の時に他の同世代の子と同じタイミングで入学するはずだったことを言っているのだろう。

「あれで警備態勢は一から全部見直し。個人のプライバシーを優先するのも大事だけど、有事に対応出来なかったら意味がない。で、こういう対策になったわけか」
 エディがヒラヒラと揺らす書類にはティジに施す警備方法の提案書。

 

「俺なら嫌だけどなー。こんなの黙ってされてたら」
「一度試してみて問題無さそうだと判断したら、改めてあの子に了承を取るよ。とりあえず運用テストも兼ねて今日はお出かけだ」
 今日のお出かけでは無断で行うことには、クルベス自身も後ろめたい気持ちはある。しかし出来るだけ自然体の状態でテストをしたいのもまた事実。

「お疲れ。まるで保護者だな。パパー、俺も一緒に遊びたーい」
「だとよ。パパ」
「誰がパパだ。てかお前も乗るな」
 エディの軽口とそれに便乗したジャルアの茶化しに呆れながら、クルベスは「じゃ、行ってくる」と部屋を後にした。

 ◆ ◆ ◆

「わぁ、可愛いクマさんだね!」
「さわ……る?」
 ティジはぬいぐるみに関心があるかどうか分からなかったため遠慮がちに聞くルイ。だがそれも杞憂だったようでティジは「いいの?」と聞き返した。
「うん。ティジなら良いよ」
 ルイがそう言うとティジはクマのぬいぐるみの手に触れる。最初は指先でソッと触れる程度だったがやがてぬいぐるみと握手をするように優しく握った。

 

 ここはルイの私室。自分の宝物であるクマのぬいぐるみをティジに見せている真っ最中だ。

 ティジにこうしてクマのぬいぐるみを見せているのは、以前ティジに言った「お母さんからもらったクマのぬいぐるみもティジにも見せたい」という発言から。
 クルベスが急患の対応で深夜に一人きりになってしまって泣いていた時。あの時もクマのぬいぐるみを持ってはいたが、こうして落ち着いた状況になって改めてティジに見せているのである。

 自分の大切な物をこうして褒めてもらえると、なんだか自分まで嬉しくなって胸のあたりがポカポカする。

 そこへクルベスがやってくる。ティジとルイの和やかな交流に目を細め、二人の頭を順々に撫でた。

 

「クーさん、そろそろお出かけ?」
 ティジは待ちきれない様子でクルベスを仰ぎ見る。
 先日、クルベスに「今度から学校に行くからその予行演習も兼ねてお外にお出かけしようか」と言われたのだ。そして今日はそのお出かけの日。そういうわけでルイと一緒にクルベスを待っていた、ということである。

「あぁ。その前にティジ、今日は少し寒いらしいからこっちにしとけ」
 クルベスは薄手のパーカーを持っていたティジに少し厚手のパーカーを羽織らせる。今は九月中旬。秋の訪れを感じる季節だ。

 

「ルイ。外ではティジのことは絶対『ティジ』って呼ぶようにしてくれ」
 ティジに「外では手を繋ぐこと」「何か気になるものを見つけても勝手に走っていったりしないこと」「とにかく。何があってもぜっっったい離れるな」と口酸っぱく繰り返していたクルベス。
 その注意がひと段落するとルイに改めて向き直った。

「えっと……ティジが王子様ってバレちゃいけないからだっけ?」
「そう。よく覚えてたな。まぁルイは普段からそう呼んでるから大丈夫だと思うけど。お出かけの前に注意が多くてごめんな。でも大事なことだから」
 そう言ってまたもルイの頭を撫でた。
 クルベスは癖なのか、よく人の頭を撫でる。ルイとしてはこうして頭を撫でてくれるのは嬉しいのでされるがままでいた。

「クーさん。なんかね、前に読んだ本で『やるな』って何回も言う時は『やってくれ』って意味だって書いてた」
「そうか。それはな、親しい間柄でしかも相手が『本当はやってほしい』と思ってると確信できた時にだけすることなんだ。俺がいま言ってる『やるな』は『絶対にやらないでほしい』って意味だからな。ていうか分かってて言ってるだろ」
 それにティジは「うん。ちょっと言ってみたかった」と笑う。

 

「よし、それじゃあそろそろ行くか。二人とも、準備は?」
 その声にティジは「できてる!」と元気よく返事をし、ルイはコクリと頷いた。

 


 今度はティジたちが八歳の時。第二章(19)『陽だまりと雨-3』の後です。

 お話の中でのクマのぬいぐるみのくだりは第二章(13)『新たな居場所-3』のティジの部屋でのこと。クマのぬいぐるみはルイにとって大切な物。これから大切な物がたくさん増えていくといいですね。