20.萌芽-1

 朝、小鳥のさえずりが外から聞こえる。窓の外には八月の晴れ晴れとした空が広がっている。爽やかな、いたって何の問題もない朝。

 ――ある一点をのぞけば。

「うぁああ……もう何なんだよぉ……っ」
 先ほどまで見ていた夢。それによってもたらされた自身の悲惨な状況にルイは嘆く。

 いや、何より……ティジと顔を合わせられない。

 

 

「クーさん。ちょっと相談があるんだけど……いま時間あるかな」
 おどおどしながら医務室に顔を出したティジにクルベスは「いいぞ」と応える。ティジの様子に一抹の不安を覚えたが、それを悟られないよう注意しながら座るよう促す。

「どうした。お前から来るなんて珍しいな」
 もしかして記憶に歪みが発生したのだろうか。
 ティジの母親が亡くなってから約一年経っている。クルベスは『時間経過による綻びが起きてしまっていたら即座にジャルアを呼ばなければ』と緊張しつつティジの様子をうかがった。

「えっと、あの……俺……」
 ちなみに半年ほど前からティジの一人称が『僕』から『俺』に変わった。最初はルイがクルベスの一人称を真似たのが始まりだったが、それを見たティジが「自分も変える!」と謎の宣言をして変えたのだ。
 ……正直言うとティジには『俺』って似合ってない気がする。いや、本人の自由だから別にいいんだけど。

 

「俺……ルイに何かしちゃったかもしれない……」
「どうした急に」
 言いにくそうに告げられた内容はクルベスも全く予想していないことだった。
 ルイが『ティジに何かしたかも』と相談に来るならまだ分かる。そしてそういう時は大体ルイの考えすぎかティジが気を遣いすぎたことによる誤解、という結果に終わる。
 だがしかし過剰に周りに気を遣うティジがルイに何かするのは考えられない。

「最近のルイ、俺のことをずっと避けてる。今日なんか『おはよう』って言ったらすぐ逃げちゃって……」
「一応聞くけど何か思い当たることってあるか?」
 それにティジは「わかんない……」と落ち込んだ様子で首を振る。今にも泣きそうだ。
 そりゃそうか。俺だって二人が喧嘩しているところなんて見たことないし、常に一緒に行動している印象がある。(まぁティジの迷子防止のためという名目もあるが)

 

「どうしよう。俺、ルイに嫌われちゃった……?クーさん、どうしたらいいの?もうルイと一緒にいられない……?」
 そう目を潤ませながらも必死に涙をこらえるティジをクルベスはあやすように撫でた。

「心配するな。ルイには俺から聞いてみる。だから泣かなくても大丈夫」
 微笑みながら言うとティジは「……泣いてないもん」と意地を張った。人前ではめったに泣かない子なのに……ティジにとってルイはそれだけ大事な存在なのだろう。

 ひとまず、この子のためにもまずはルイを探さないとだな。

 ◆ ◆ ◆

「ルイ。何かあったなら話してくれ」
「いや、別に何も無いし」
 あの後、目的の人物は思いのほか簡単に見つかった。談話室で顔を真っ赤にして丸まっていたのだ。幸いにもルイはまだこちらに気づいていなかったため気配を消して忍び寄り、(強制的に)連行した次第である。
 ちなみにここはクルベスの私室だ。落ち着いて話をできる場所の代表格と言ったらここだから。

「ちゃんと人払いしてるから誰にも聞かれない。なぁ、何かあったんだろ」
「無いって」
 こちらの問いかけに対してルイはいつになく言葉数が少なく態度が冷たい。確実に何かあるな。

 

「ティジが不安がってる。『自分が気づかないうちにお前に何かしたんじゃないか』って」
 ティジの名前を出すとルイは肩を大きく跳ねた。図星だな。やっぱり何かあったか。
『さて、今回はどんな勘違いをしたのやら』とため息をつき、立ち上がる。

「とりあえず何か飲みながら話すか。ココアでいいよな」
 こちらも別に尋問しようってわけじゃない。何か口にしながらのほうが話しやすいだろう。
 戸棚に向かい、ティジ用に常にストックしているココアパウダーの缶を取り出す。
 クルベスは自分が愛用しているマグカップを手に取り『このマグカップも結構長いこと使ってるなー』と何の気なしに眺めていると、ルイが唐突に口を開いた。

 

「俺……ティジのことが好きなんだ」

 突如告げられた信じられない文言に、クルベスは手にしていたマグカップを落とす。
 重力にしたがって自由落下したソレは床に接触し、無惨に砕け散った。

「ティジのことを見てると……こう、胸が……ぎゅって苦しくなる……」
 その心情を表すようにシャツの胸元をくしゃりと握るルイ。
 マグカップが割れたことなどどうでもいい。いっそ幻聴が聞こえたのだと思いたかった。
 ぎこちない動きで振り返るクルベスの心情なんて露知らずのルイは言葉を紡ぐ。

 

「最初は……過剰に心配してるだけかと思って……でも、段々その、手が当たったら……ドキドキして……笑顔もすっごく可愛く見えて……声も……全部……」
「気のせいじゃないか」
 クルベスの返しにルイは「え」と顔を上げた。
 いや気のせいなんかじゃないって俺でも分かる。だって完全に恋する男子の顔してるもの。

「で、でも!これ絶対そうなんだよ!俺、ティジのことが好きなんだ!」
 だろうな。まぁルイ自身、その気持ちを確信してたから恥ずかしくてティジから距離とってたんだろうな。でも相手が良くない。

「確証ないだろ」
「ある!!」
 なおも否定するとルイはムキになったように声を張り上げた。

「だって俺、見るんだ!夢で……っ」
 そこまで言いかけたルイだったが途端にカァっと赤くなり口をつぐんだ。
「夢で?」
 おうむ返しに聞いてもルイは『絶対言わない』というかの如く首を横に振る。その仕草にクルベスは『あ、ちょっと言いにくい内容の夢を見てるな』と察し、それ以上の追及はしなかった。

 

「ティジは次期国王だって分かってる……こんな気持ち、持っちゃいけない。叶うわけないって分かってんのに……っ」
 最後のほうは声を震わせてぽろぽろと涙を落とすルイ。

 そうだよな。お前が一番よく分かってるはずだ。
 ティジが『将来は父さんやじぃじのような色んな人に慕われる立派な国王になりたい』と言ってるのを一番近くで見てきている。
 だからこそ、その淡い初恋が叶わないという現実も。

 

「でも、でも勘違いじゃないんだ……じゃないとあんなの見ない……」
 ルイがこぼしているのは先ほど途中まで言いかけた『夢』のことだろう。……杞憂かもしれないがどんな夢を見てるのか不安になってきたな。あとでエスタを呼び出すか。

「落ち着け。今その気持ちを伝えても向こうは驚くからとりあえず置いとけ。ティジを困らせたいわけじゃないんだろ?」
 それにルイがコクリ、と頷いたことに内心ホッとする。聞き分けのいい子で助かった。

「だけど、どう関わったらいいか分からない……顔合わせらんないぃ……っ」
 恥ずかしいっていうより申し訳なさそうに嘆き、うずくまってしまうルイ。その様子に『談話室で丸まってたのもこういう経緯か』と得心した。

「一度気持ちを整理しろ。いま頭の中がぐっちゃぐちゃだから混乱してんだ。大丈夫、はい深呼吸」
 本格的に泣き出したルイの背中をさする。

 ……でも困ったな。まさかこうなるとは。

 ◆ ◆ ◆

「てなわけで頼んだ」
「無理ですって!!え、分かってます?『緊急事態だー』って言うから来たらとんでもない無茶を頼まれる俺の気持ち、ちゃんと分かってます?」
「お前しか頼れない。後生だから」
 クルベスさんに手を合わせて頼み込まれるが俺も流石に了承できない。

 ちなみに俺ことエスタ・ヴィアンが衛兵に着任してからもう四ヶ月経つが、わりとうまくやっている……と思う。直属の上司である警備の責任者からは『問題児』と呼ばれているが……まぁ見放されてないので親しみの表現だろう。そういうことにしておく。

 

「俺は!恋愛経験無いんです!!それなのに弟くんの相談に乗って?あわよくばどんな夢見ちゃったのーって聞き出す?どんな野次馬根性ですか!いいご趣味をお持ちですねぇ!」
「俺にこんなこと言わせないでください!」とキレるとクルベスさんに「まぁとりあえず聞いてくれ」とたしなめられた。
 いや、勢いに任せて『こんなこと言わすな』って言ったけど恋愛経験の有無は俺から言い出したわ。

「そんな趣味ないって。まだそういう知識には触れさせてないから、おおかた一緒にデートしちゃうとか同棲するような夢見て悶えてるんだろうけど……でもなんか不安なんだよ。一応確認しておきたい」
 クルベスさんは塩らしい態度で頭をかく。そんな姿は珍しかったのでとりあえず話だけは聞いておくことにした。

「そういう知識って……あぁ、あの二人にはまだちょっと早いですもんね」
 少し考えて相槌を打つ。いや、クルベスさんの発言の真意は分かってるけど。それを口にしたら殴られかねない。前に『良くて左遷』って言ってたし何されてもおかしくない。

「不安の芽は摘んでおきたい。杞憂だったらそれで御の字。もし万が一……そういう知識が関わるような内容だったらどこで知ったのか聞き出してくれ。速攻で対処しないとまずい」
 だから夢の内容を聞き出せってか。いや無茶言うな。

 

「それならクルベスさんのほうが断然聞き出しやすいじゃないですか。親みたいなもんでしょ」
「お前、親に自分の性事情話せるか?」
「……かーなり勇気がいりますね」
 クルベスは俺の返事が分かっていたように「だろ」と返す。えぇ……でもそれじゃあ俺なんてますます無理じゃん。

「親には話しづらくても友人とか……兄弟なら話せることってあるんだよ。お前、ルイの兄みたいな存在でありたいとか言ってたろ。それに賭ける」
 物憂げに目を伏せて「だから頼む」と三度言われる。ここまで言うとは。これ以外、本当に策が無いのだろう。

 とにもかくにも真剣な眼差しで頼み込まれたら断ることなんてできない。話してることは『どこで性に関する知識をつけたのか聞き出す』というろくでもない内容だが。

 

「まぁここに入ってくる物は検閲もしてるし、多分そんなにキツイ内容ではないはず。ルイのことだからちょっとしたことでも恥ずかしくてしょうがない……んだと思う」
「弟くん、考えてることとか表情に出やすいですもんね」
 外では常に澄ました顔のレイジとは大違い。まぁ、あいつも弟くんの前では結構色んな表情見せてたけど。

「そういう知識をつけちゃったなら知った経路をそれとなーく聞き出してくれ。それで俺に報告。あとできればルイの心のケアと下手に行動を起こさないよう注意しておくのも頼む」

 多い多い。なんでちゃっかり増やしてんの。いや、俺も弟くんのことが心配だけどさ。

 


 前回のお話から時間は進み、ティジとルイが13歳の時。エスタさんも衛兵の職に就いてから約四ヶ月経ってだいぶ板についてきた感じ。