22.薄藤と墨-1

「――すごい、この計測器がぶっ壊れたみたいな数値!同じだ!本当にいたんだ!」
 鉛のように重いティジの頭に、高揚し歓喜にわく声が入る。まぶたを開けるとそこは全く見知らぬ部屋で。寂れた部屋に置かれたこれまた大きな椅子に縛り付けられていることに気がつく。
 背を向けて立っている白衣をまとった人物はふとこちらを振り向いた。

「あ、起きた?おはよう、気分はどう?」
「……っ」
 こちらに歩み寄る白衣の男は薄紫の髪を揺らして呼びかける。『どういうつもりだ』と言わんばかりに男を睨みつけるティジの頭が鈍い痛みを訴えた。どうやら頭を負傷しているらしい。

「あぁ。ソレ、連れていくときにね。ちょっと手荒なことしちゃった。痛い?でも薬で眠らせたりしたら、計測結果に狂いが出ちゃうかもしれないからさ。嫌なんだよね、変なもんが混ざったデータとか」
 そういえば意識を失う直前――背後から誰かの声が聞こえて振り返った瞬間、頭に強い衝撃を受けた気がする。痛みにうめくティジに白衣の男は「ちょっと強くやりすぎちゃったかな」と呟く。

 

「それにしても……間近で見るとはっきり分かるね。人工的に作ったような紛い物じゃない、本物だ」
 白衣の男はそう言ってティジの頬に手を添えて上向かせると、その容姿を愛おしそうに見つめた。

「……あんた、だれ。何のつもりでこんなことした」
「ん?僕?僕はニィス。ニィス・ヴェント。今回はお前にとっても興味があってこうしてお呼び立てしたんだ」
 予想に反してあっさりと自身の素性を明かす男に困惑する。その考えを見透かしたように白衣の男――ニィスはクスリと笑う。

「人に自分のこと教えんのって嫌いなんだけどね。お前はすっごく興味深いから特別に教えてあげる。変に隠しても時間の無駄だし」
 ただ意味もなく時間を浪費するのは嫌いだ、と告げる。

 

「というわけで、さっそく本題。――ねぇ、リメルタ・エミンズって知ってる?」
「……?」
 全く聞き覚えのない文言に首を傾げるティジ。
「え、何その反応……本当に知らない?リメルタ・エミンズ。この名前に心当たりは?」
 さしづめ人の名前だろうが思い当たる人物はいない。そんなティジにニィスはあからさまに落胆した態度を見せる。

「えぇ……本当に知らないやつじゃん。こんなに一緒なのになぁ……ますます興味深いやつだね、お前」
「……同じってなんだ」
「それはこれからじっくり教えてってやるよ。ずっと黙ったまんま実験すんのも退屈になるかもしれないからそのお楽しみにね」
「実験……?」
 聞き返すティジにニィスは目をぱちくりとさせる。

「何とぼけてんの?そのためにここまで連れてきたのに。あぁ、そっか。お前気づいてなかったんだ。だから僕のことを聞いたんだね?」
 じゃあ話してあげよう、と続ける。

 

「僕はね、とある研究機関に所属しているんだ。まぁ、色々面倒臭くてもう抜けたけど。でも抜けてからも色々と気の向くままに研究をしてる。それでたまーに実験台とか調達したりしているんだ。八年前にも、ね。この格好もヒントになるか。ここまで言えば分かるかな?」
 そう言うとニィスは大仰に白衣の裾を拡げて見せびらかす。

 白衣。八年前。実験台。

『あいつは、白衣の男は君を諦めていない』

 数ヶ月前、病室でレイジから聞いた言葉が頭をよぎった。

「――っ、お前は!」
「よかった、ちゃんと話したんだアレ。一から説明すんのってダルいからさ。最後に役に立ったじゃん」
 目の前で嘲笑を浮かべるこの男こそ、ルイの兄であるレイジを苦しめ、死に追いやった人物だ。

 

「でもお前、あのリメルタ・エミンズと比べるとすこーしだけ数値が低いんだよなぁ。そこがちょっと気に掛かるけど……まぁ、あんなのがいくつもいてたまるか」
 よし、割り切ろう、と手を叩くニィス。彼が先ほどからたびたび口にしている『リメルタ・エミンズ』とはいったい何者なのだろうか。

「そろそろ向こうも目覚めているかなー?あっちもまぁもしかしたら使えるかもしれないし」
「向こうって……」
 含みを持たせた笑みに嫌な予感がした。

 

「黒……っていうか焦げ茶の髪に青い目の。あの無様に死んでった兄と似てる子」
 刹那、保健室で別れた幼馴染みの顔がよぎる。

「ルイに何した!」
「そんなに大きな声ださなくても。まだ何もしてないよ。『まだ』ね?そのルイとやらはアレの弟だから結構良い実験台になってくれるかなーって思ったからついでに連れてきただけ」
 いまはまだ別の部屋で待機させてるだけだから安心して、と目を細める。

 

「でもお前さえ手に入れば他の有象無象なんてどうでもいいから、すぐに用済みになるかもしれない。じゃあせめて兄と同じ所にいかせてやろうかなぁ。あ、でも兄の方はお前の親を――人殺しちゃってるから同じ所にはいけないか?」
「――お前!!」
 馬鹿にしたように笑って告げたその一言で、我慢してた何かが切れた。

 レイジの意思で殺したんじゃない。お前のおぞましい実験のせいであの人は――

「まぁ、そもそも天国とか地獄とか信じてないけどね。おっと、そろそろ様子を見に行かないと。あんまり抵抗されると18番は手加減できないからなぁ。貴重な実験台が減ったら大変だ」

 それじゃあまた後でね、と言い残しニィスはパタパタと慌ただしい足取りで駆けていった。

 

 取り残されたティジは周辺と自分の状況を確認する。
 自分はいま大きな椅子、さながら電気椅子のような物に四肢を固定されて座らされている。
 あの男が戻ってくるまでここで大人しく待つつもりなど毛頭ない。

 自身の手首を固定している物に目をやる。見たところネジを締めて固定する簡素な仕掛けの物だ。これなら自身が扱える魔術――物質の魔術で解錠できる。
 意識を集中させてネジを緩める。魔術による鍵の解錠なんて久しぶりだ。魔法の発現時にどんなことが出来るのか確かめたくて片っ端から試していった時以来か。クルベスからこっぴどく叱られて『緊急時以外は絶対に使うな』と再三言われたっけ。
 過去におこなった感覚だけを頼りに解錠を試みる。少し手間取ってしまったが何とか外すことができた。

 そのまま自由になった手で両足の拘束も解いて立ち上がった。その際に目眩に襲われたが、おそらく頭部の怪我による出血だけでなくニィスがいくらか血液も採取したのだろう。

 自分の状態などどうでもいい。あの男の発言が真実でルイもここに連れて来られているのだとしたら。無事かどうかも怪しい。
 早く見つけて、ここから逃げないと。

 


 前回クルベスさんは『電話を掛けることなど滅多にない』との記載がありましたが、それについての補足。

 クルベスさんとしては携帯電話は極力使いたくない、とのこと。昔はそうでもなく、彼の弟でありルイの父親でもあるセヴァともよく電話をしていたのです。幼少期のルイとかレイジともそこで話したり。『第二章(8)とある事件の記録-1』でも普通に電話に出てる。

 でも上記の件(ルイたち一家が襲撃された事件)以降、携帯電話の音がとても苦手になってます。思い出しちゃうんでしょうね。弟さんから電話が掛かってきた時のことを。
 とどのつまり、そんなクルベスさんが電話を使うってよっぽどのことなのです。

 え?『第二章(2)ティジの一日』で電話掛けてることにはどう説明するかって?
 あれはアレです。ティジたちの復学にあたって凄まじい懸念点があったのでその話し合いのために国家警備隊&彼の良き友人エディさんから「どっかで落ち合えない?あ、俺の都合の良い時間で」というご連絡だった、という背景です。補足が長い!