23.薄藤と墨-2

「お、こっちもお目覚めか。それに随分と抵抗したみたいだね」
 ニィスはブレナ・キートンの手によって床にうつ伏せに押さえつけられているルイを見下ろす。無理に押さえつけられているため、ルイの頬や手には無数の擦り傷が付いていた。

「それ以上暴れないほうがいいよ。そいつは加減ができないから次はもっと直接的に痛めつけることになっちゃう」
 痛い思いをしたくなかったら大人しくしていてね、と子どもに言い聞かせるようにルイを諭す。

 

「おまえ、お前が……父さんも母さんも……兄さんもお前のせいで……!」
「こっちはわざわざ説明してあげなくても分かってくれたか。手間が省けて嬉しい限りだよ」
 さてと、とルイの前に膝を下ろすと、ニィスは家族の仇を睨むルイの鋭い眼光を物ともせずに目を細めた。

「仲良くしてた先生が自分の親を殺した奴だと知ってさぞ驚いただろうね。それに気づかなかった自分の愚かさにはどう思ってる?」
 ニィスの言葉に何も言い返せなかったルイは歯を食い縛る。

「でも18番……ブレナ・キートン先生のほうはそうじゃなかったみたいだ。何年も一緒にいたお前の兄と重なったのか、何かとお前のことを気にかけていた。18番としての記憶は無いはずなのに不思議な事ってあるんだね」
「何で……先生は、お前の友達だったんだろ……それをこんな……」
「あぁ、そうだね。僕と18番……そいつは世間一般で言うところの『友達』って関係だったんだろうね」
 一瞬見せたニィスの表情はどこか影を感じさせた。

 

「先生は!お前のことをあんな楽しそうに話してたのに、それなのに何で――」
「ちょっと話したぐらいで分かった気になるな」
 ルイの髪を掴み、無理やり顔を引き上げる。息を詰まらせるルイに構うことなくニィスは続ける。

「僕だってそうだった。ブレナと一緒にいる時が一番楽しくて、息苦しい事なんて全部忘れられる一時だったさ」
 それまでの飄々とした態度と一変して、人間味のある激情がひしひしと伝わる。

「信じてたのに。お前だけは何があっても、何を知っても見放すことなく、ずっとそばにいてくれるんじゃないかって……それなのに『苦しんでいるように見える』だって?そんなはずない。僕は自ら進んでこの道を選んだはずだ。向いてないわけでもなかったから何も苦労なんて感じてない。もっと自由に生きていい、なんて何を知ったような、何も知らないくせに……!」
 顔を歪めて絞り出すような声で吐き出された言葉は、目の前のルイではない別の誰かに向けられているように見えた。

 

「いけない。僕としたことが少し取り乱してしまったようだ。まぁ端的に言うと『色々あった』ってことだよ。最終的に面倒くさくなってブレナには僕の言うことを聞いてくれるよう、少しいじった。その結果『18番』の出来上がりってわけ。これで満足?」
 じゃあこの話はおしまい、と一方的に話を打ち切り、ルイの髪から手を離して乱暴に地面へと下ろす。呻くルイにニィスは「でもなぁ」と呟く。

「さっきの態度はすごく不愉快だったな。うーん……やっぱり少し痛い目を見てもらったほうがいいか。18番、こいつ適当に痛めつけて……いや、こんな指示じゃ難しいか。じゃあ八年前こいつに付けた所と同じ場所に同じ程度の傷を負わせといて」
 それを聞くとブレナは器用にもルイの体を仰向けに反転させ、両腕を片手でまとめ上げた。そんなブレナにニィスは「あくまで殺さない程度に、ね」と念を押す。

 

「僕は別に加虐趣味があるわけじゃないから、また落ち着いた頃にでも戻ってくるよ。でもあの子は本当に凄いね。怪我の治りも速かったし、あの子の父親は記憶操作の魔術に長けてるからそっちも期待が持てる。魔術は一通り全部扱えそうだ。お前の兄もすごかったけど、あの王子様はやっぱり段違いだよ」
「それってまさか――待て!」
 去り際に吐いた文言にルイが食いつくも、ニィスはヒラヒラと手を振って姿を消してしまう。

「あいつ、ティジに何かしたのか……!?くそっ、はやく追わないと、いけないのに……っ!」
 必死に拘束から逃れようとするも上から押さえつけられている時点で勝ち目はない。
 それどころかブレナのその虚ろな瞳と目が合うと、体が石になったかのように動かなくなるのだ。

 

 そうこうしている間にブレナがスラリとナイフを取り出す。その鈍く光る刃に、全てを呑み込んでしまうような漆黒の瞳に、八年前と同じ恐怖に震える自分が映った。

 八年前につけられた右腕の傷が、もう塞がっているはずの傷痕がジリジリと焼けるような感覚に包まれる。
 説得も命乞いも、喉で詰まって。浅い呼吸を繰り返すだけ。

 助けて。お父さん。お母さん。お兄ちゃん。
 誰か、誰か助けて――!

 八年前、男に襲われた玄関で何度も繰り返した言葉が頭の中で反響する。

 あの時は兄が助けに来てくれた。
 でも今はもういない。もう誰もいないんだ。

 

「おっ――らぁ!!」
 涙で滲む視界の中。目の前の漆黒が、割り込んだ別の声ともに横から飛んできた衝撃によって吹き飛ぶ。

「まずは一発目ぇ!弟くん、大丈夫!?」
 拳をかたく握りしめた人物。
 薄暗い部屋の中、エスタの金色の髪は一際輝いて見えた。

 


 サブタイトルの『薄藤と墨』は白衣の男ことニィスとブレナ先生のことだったり。文中では出せなかったけどニィスの髪の色はライラックが一番イメージに近い。