24.薄藤と墨-3

 クルベスと二手に分かれて捜索することになったエスタ。人の声がしたためそちらに駆けていくと、そこにはルイに覆い被さる男と、眼前にナイフの切先が差し迫っていたルイがいて。

 その姿を目にしたエスタは気がついたら地面を蹴り出していて、その拳を目の前の男に叩きつけていた。

「弟くん!大丈夫!?」
 エスタは地面に倒れたままのルイを抱き起こしながら今一度声をかける。唖然としていたルイであったがエスタの顔を見た途端、その双眸からはらはらと大粒の涙がこぼれ落ちた。

 顔や手に擦り傷はあるものの目立った怪我はない。右腕を強く握っているのは過去の恐怖が蘇ったことに起因するのだろう。
 当たり前だ。もし仮説が正しければ先ほどルイにナイフを向けていた男――ブレナ・キートンは八年前にルイの両親を殺め、彼に瀕死の重症を負わせた人物なのだから。

 

「大丈夫。俺とクルベスさんが来たからもう大丈夫だよ。ひとりでよく頑張っ――」
 声を押し殺して泣き続けるルイを抱き寄せようとするもそれは叶わなかった。地面に倒れ伏していたブレナが起き上がり、エスタの体を一切の躊躇いもなく蹴り飛ばしたのだ。
 ルイの無事を確認できたことに安堵していたエスタは反応が遅れ、受け身を取ることもできずにそのまま弾き飛ばされた。

「元気ですねぇ……俺思いっきりぶん殴ったんですけど……!」
 脇腹にもろに入ったようでエスタは何度も咳き込みながらブレナを睨む。

 骨、折れてないといいけど……とりあえずアザは確実だな。

 ズキズキと痛む脇を庇いながら立ち上がる。今の攻撃は自分だけが喰らったらしく、ルイは先ほどと同じ場所にいた。
 ブレナは恐怖で言葉を失っているルイに目もくれず、漆黒の瞳はエスタを見据えていた。

 推測するに先ほどエスタが殴打してきたことで攻撃対象をエスタに変えたのか。むしろ好都合。ブレナを見上げ、恐怖で動けなくなっているルイへ注意が向けられる前にかたをつけなければ。

 頭を切ったのか流れ出る血で視界が悪くなる。そんなエスタにブレナは一気に距離を詰めてきた。
 その手にはナイフが握られており、かろうじて横に振り抜く予備動作が見えたが警棒を構える猶予は無い。

 一か八か――!

 体をくの字に曲げて――腹部を後方に避ける。刹那、先ほどまで自分がいたところにナイフが空を切った。

 

「あっぶね……!」
 八年前の襲撃時に、レイジは腹を切りつけられたと聞いた。
 今回も同じ行動パターンで来るかどうかはかなりの博打だった。何とか当たってくれたことに感謝する一方で『この男は本気で自分の命を刈り取るつもりなのだ』と実感し、冷や汗が頬を伝う。

 ブレナは攻撃が空振ったことで体勢が崩す。その隙を逃さず、エスタは即座に警棒を取り出し、手首を折る勢いで叩いてナイフを落とさせた。

 有事に備えて対人訓練はしているもののエスタ自身、実践経験は無いに等しい。加えて今のブレナは人を傷つけることに一切の躊躇がない状態だ。体力・力の両方で押し負ける可能性は高い。
 長引けばこちらの不利は確実。最短で終わらせないと。

 

 スッと息を吸い、エスタは大きく腕を振りかぶる。握られている警棒にブレナの警戒が向けられているのを肌で感じる。

 ――かかった。

 そう心の中で呟き、エスタは警棒を握っていた手から力を抜く。

 まさか目の前で獲物を取り落とすなんて思いもしなかっただろう。おかげでこっちは丸腰だ。

 ――騙し討ちなんてガラじゃないんだけど。

 あえて警戒を向けさせていた警棒が二人の間を落ちていく。

 それを目で追うブレナの側頭部に、それまで無警戒だった左腕を叩き込んだ。

 

 エスタの腕をまともに喰らったブレナの体が傾く。さっき殴ったのと今ので二発も頭に入れたんだ。さすがに効いて――

「ッ、グ――!」
 漆黒の瞳がエスタを見ると同時に、その首を目掛けてブレナの腕が伸びる。左腕にありったけの力を込めていたエスタはなす術なく、そのまま地面に押さえつけられた。

「か……っ、ゲホ……!」
 情け容赦なく首を絞め上げられる。向こうは片手で絞めているはずだが、それでも人とは思えないほどの膂力だ。エスタはその腕を剥がそうと爪を立てて抵抗するが、何の意味もなさない。

 そもそも上からのしかかられている状態だから力負けするのは当然だ。加えて暴れないように脚で動きを封じられているし。さすが、こういうのはお手のものってわけか。

 その時。血が通わなくなり、遠くなっていた耳が微かな金属音を拾った。
 
 ――あれ。そういえばナイフって落とした後どうしたっけ。

 そんな考えが過ぎるもその答えをすぐ知ることとなる。
 真上からナイフが垂直に落ちてきたのだ。

 

「う、っそだろ……!」

 エスタは朦朧としていた意識を覚醒させ、迫るナイフを両手で掴んで受け止める。切れた手のひらから流れ出した紅い雫が、額の出血で汚れていた顔面に落ちていった。

 ナイフ、すぐそばに落ちていたのか……!それを器用に足で蹴って手元に持って来たってわけか!

 警棒でナイフを落とした時、遠くに蹴り飛ばしていればこんな窮地に陥らなかった。自分の浅はかな行動を悔いてももう遅い。

 そういえば以前クルベスさんにも言われたなぁ……!詰めが甘いって……!

 ナイフを掴む手が自身の血で滑り、ナイフと自分の顔面との距離が狭まる。それを押し返そうにも、ブレナのもう片方の手が自身の首を絞めているので徐々に力が入らなくなって。でも自分の両手は目の前のナイフを止めるので精一杯だ。

 守るって決めたのに。あいつの分もちゃんとそばで見守るって、弟くんたちが笑って過ごせるよう頑張るって、そう誓ったのに。

 

「う、ぁあぁあああ!!」

 霞む視界の中、突如割り込んだ叫び声と共に鈍い音が鳴る。するとブレナの頭がグラリと揺れ、糸が切れたようにくず折れた。

 一変した状況に頭が追いつかなかったエスタであったが即座にナイフを奪い取り、部屋の端まで投げ飛ばす。久方ぶりの新鮮な空気を肺に取り入れながら、自身の上に覆い被さるようにして倒れ込んだブレナを退かした。
 するとそこには――

「おとうと、くん……?」
 ゼェゼェと息を切らしたルイがへたりこんでいた。その手には警棒が握られており、それでブレナの頭を殴打したのだと窺えた。

 

「見てるだけなんて、守られているだけなんて、もう嫌だ……っ、もう誰も失いたくない……!」
 そう呟くとルイはカラリと警棒を落とす。エスタを助けようと恐怖に立ち向かったのだ。
 そんなルイに呆然としていたエスタはハッとブレナの様子を気に掛ける。……どうやら気を失っているだけのようだ。

 良かった。当たりどころが悪く万が一にも彼の命を奪うこととなっていたら。
 彼には聞かねばならないことがごまんとあるし、何より弟くんが人を殺めてしまうこととなったら。最期までこの子を守ろうとしたレイジに顔向けできない。

「弟くん、ありがとう。弟くんのおかげで助かったよ。……本当に、よく頑張ったね」
 まだ息が荒かったルイの頭を撫でて、そう声を掛ける。すると緊張が解けたのか次第にルイの呼吸が安定していった。

 とりあえず起きた時にまた暴れ出さないよう手錠で拘束しておかないと。
 そう考えて倒れたままのブレナの手に手錠を掛けようとするが、ナイフで受けた傷による出血で手が滑るのと遅れてやって来た痛みでなかなか上手くいかない。

 

「そうだ、ティジ……!」
 もたついていたエスタがその声に振り向くと、顔面蒼白のルイが立ち上がっているのが目に入った。
「一緒にいた奴が何か言ってたんだ!もしかしたらティジもここに……!」
「待って!一人で行くのは危ないよ!」
 駆け出したルイを引き止めようとするも、ルイはエスタの手をすり抜けて走り去ってしまう。

「弟くん待っ――」
 エスタはすぐさま後を追おうとするが、ガクリと膝から崩れ落ちる。先の攻防で力を出し切ってしまったのか。
 立ち上がる余力も残っていなかったエスタは、ルイの背に手を伸ばすことしかできなかった。

 


『第一章(11)彼の人の行方』以来のアクションしてるような場面です。アクションって難しい。
 その立場とか発揮される機会がほとんど無いけど、エスタさんは城内警備の衛兵さんです。よくやらかして上司に怒られたり始末書を書いてますが、いざという時は動けるように訓練はちゃんとしている衛兵さんです。