軽快な足取りでティジの元へと戻るニィス。しかしそこはもぬけの殻。
されどもニィスはそれに気分を害した様子もなく、外された拘束具を指先で撫でて目を細めた。
こんな簡単な鍵、物質を操る魔術を使えば容易く解錠できる。こちらの狙い通りに動いてくれたことに小躍りしてしまいそうだ。
そのまま部屋を出てすぐの所に仕掛けておいた罠を鼻歌交じりに確認しに行く。
この地点を通過した際に矢が飛んで来る、という仕掛け。これだけは巧妙に隠しておいたのだが、どうやらうまく命中してくれたようで血の跡が通路の奥へ点々と続いていた。
この血痕を辿ればやがて追いつかれる。
そう考えたらあの子どもはもうなりふり構わず足止めや策を講ずるはず。本当の狙いはそう考えた後の行動だ。
血痕を辿っていくと氷塊や蔦、いばらなどが進路を妨害するように張り巡らされていた。さりげなく仕掛けておいた罠には気がついたらしく、これらも作動しないよう魔術で止められている。
見事な術を前にニィスは口元を緩ませ、一つ一つ観察をしていった。
蔦、氷……火で焼いた跡もあるな。見たところ蔦が多く見られるので『植物』を司る魔術が一番手慣れているのかもしれない。
「あぁ、本当にすごいなぁ。普通は一つの属性しか使えないはずなのに、一人でこんなに沢山の魔術を扱えて……しかもちゃんと物にしている。力に慢心せず、ちゃんと勉強したんだ。賢い子だねぇ、素晴らしいよ。でもね――そんなに使って大丈夫かな?」
まぁそうなるよう仕向けたのは自分なのだが。
さて、知的探究心を満たすのは後にするとして。そろそろ迎えに行ってあげないと。
◆ ◆ ◆
走る。走る。
少しでも引き離せられるように魔術を使いながら。時折後ろを振り返りながら。ここがどんな場所なのかも分からないから、当てずっぽうでティジは走っていた。
「い゛……っ」
足に受けた傷がひどく痛む。
部屋を出てすぐに放たれた矢は自分の足を正確に射抜いて。自分が走った後にはまるで道標のように血が落ちていった。
この傷のせいであまり速くは走れない。だから、少しでも足止めになるよう氷や蔦で進路を遮りながら逃げていた。
でも完全に道を塞ぐことはできない。そこまでの規模の魔術を行使しようものなら、魔力のバランスが崩れて先にこっちが倒れることとなるからだ。
以前にも似た状況があったような気がする。
その時も、後ろから迫る何かから必死に逃げようとして。
ここから出なきゃ。
おうちに帰らなきゃ。
はやく、はやくにげないと。
ずっと昔に、同じことが。
――ティルジア。
自分を呼ぶ声が頭の中を反響した。
刹那、ゾワリと肌が粟立つような寒気に襲われる。
なにか、記憶の奥底に――
「――っ!」
寒気の正体に触れるまであと一歩というところで、ティジは突如肺が締め付けられるような感覚に襲われる。それに次いで、体が内側から焼き付くされるような熱に呑まれた。
「ぁ、う……っぐ」
立っていることすらできず、壁に手を当てて膝をつく。全身を駆け巡る激痛と熱。呼吸もままならない。
「なに……っ、ハ、なん、だ……これ」
「はい、つっかまえた」
胸を押さえてうずくまっていると、突如後ろから肩を掴まれ引き倒される。
「――カ、はっ」
床に背中を打ち付け、わずかに残った肺の中の空気が吐き出すティジ。彼を引き倒した人物――ニィスは倒れたティジの上にのしかかるとニンマリと笑った。
「やっぱり。考え無しにやってたんだ。じゃないとあんなバカスカ魔術使わないよね」
「は……なせ……」
ティジは自身の体を押さえつけるニィスに、せめてもの抵抗としてその腕を掴む。しかしニィスはそれを振り払う様子もなくコテリと首を揺らした。
「さっきみたいに魔術使ったら簡単に剥がせるでしょ?ま、その様子じゃ無理だろうけど。……それじゃあ、楽しいおいかけっこももう終わりにしよっか」
最悪なことにこのタイミングで魔術の使いすぎによるツケが回ってきたらしい。
霞みゆく視界と徐々に体から力が抜けていく感覚にあらがうこともできないまま、ティジは意識を手放した。
ニィスは嬉しい事、楽しい事があると割とよく笑う。無邪気な屈託のない笑顔を見せちゃいます。
それはそうと笑顔がチャーミングな敵役ってとても好き。