26.薄藤と墨-5

 気を失ったティジを見下ろすニィス。力の抜けた腕を掴んで落としてみるが特に反応は見られない。

「ちょっと遊びすぎちゃったか」
 ティジの顔色は悪く、呼吸も浅い。少し悪戯心が働き、首に手をかけて軽く絞めてみるが呻き声を洩らすだけ。
 この調子だとしばらくは目を覚まさないだろう。『どれだけの種類の魔術をどの程度扱えるか』という彼の能力を測るためにわざと逃がしたのだが、少々泳がせすぎてしまったらしい。

 それにしてもあのもう一人の……ルイといったか。あの子どもの安否について少し不安を煽るような言い方をしただけで、あそこまで激昂するとは。よほど大切な存在なのだろうか。

 学園祭に潜入し、この子どもたちの様子を遠巻きに見ていたが気分の良い物では無かった。呑気に仲睦まじく過ごしている姿がかつての自分とブレナに重なって。むしろ腹立たしくなったぐらいだ。
 そういえば向こうはどうしているだろうか。ブレナには「あくまで殺さない程度に」とは言っておいたが……まぁ後で見に行くとしよう。

 

「これはまた別の機会かな」
 そう呟いたニィスは白衣に忍ばせていた小型の注射器を取り出す。その中には魔力を変動させる薬が充填されていた。
 最悪抵抗されたらこれを打ち込んで強制的に気絶してもらおうと考えていたのだが、その手間は省けたらしい。
 
 でもせっかく作ったんだから、いつかは試してみたいな。うまく出来てるのは間違いないけど実際に打ったら想定とは違う反応が出るかもしれないし、その時の魔力の変動も記録したい。
 何にせよ、まずはこの子の基礎データを計測しないと。

 

「その子から離れろ」
 ニィスがこれからのことに心を躍らせていると背後から鋭い声が聞こえてくる。振り返ると少し離れた所に長身の男――クルベスが拳銃を構えていた。
 クルベスが放つ殺気にも向けられた銃口にも怯む様子はなくニィスは口を開く。

「一応あとはつけられないよう注意してたんだけど……さては発信機でも付けてたな?あー、でも当然か。だってこの子は王子様だもんね。何かあったら大変だ。まぁ、もうだいぶボロボロになってんだけど」
 ほら、とニィスは人形で遊ぶようにティジの腕を持ち上げてプラプラと揺らす。

 

 次の瞬間、発砲音が鳴り響く。
 クルベスがティジの腕をもてあそんでいたニィスの右肩を撃ち抜いたのだ。

「もう一度言う。その子から今すぐ離れろ」
「つっ……乱暴だなぁ……神経が傷ついたらどうすんの。今後の実験とか不便になっちゃうじゃん」
 そう不平を述べるニィスの隙をつき、壁に押さえつける。背中を打ちつけて咳き込むニィスを傍目にクルベスはティジへ目を向けた。

 とりあえずこの男を離したがティジの容態は芳しくない。ここに辿り着くまでの間、魔術を使用した痕跡をいくつも目にした。血痕はティジの足の傷から流れ出た物だろう。
 ルイの姿が見えないのは気がかりだが、エスタが見つけてくれていることを願うしかない。

 

「あの子、面白いね。ねぇ知ってる?普通は自分に魔術をかけることって凄く難しいんだよ」
 苦い顔でティジを見遣っていたクルベスへニィスはまるで雑談をするかのように声をかけた。

「魔力は生命の源。自身に魔術をかけようとしても大概失敗する。自分の魔力を削って、その削った魔力で自分の体に魔術をかけようっていうんだ。下手すりゃ体内の魔力構成はグッチャグチャになって死んじゃうからね。脳の安全装置が働いて本能的に魔術の使用を止めてるって説が有力だ」
 ニィスはクルベスの腕から抜け出す様子も無く、恍惚とした表情で語り続ける。

 

「でも一部の例外はある。『そうせざるを得ない』と思わせる状況。随分と概念的な言い方だけど……強い想い、確固たる意志ってやつかな?自分の命が危険にさらされると分かっていても『やらないと』って思えるような……言うなれば『こうするしかない』と追い詰められたら、自分自身に魔術をかけることが出来たっていうケースがあるんだ。例えばー……そうだ!この間のはまさにそれだよ!『弟を守るため』って言って自分の体を凍らせた奴!」

 その文言にクルベスは目を見開く。
 思い当たる人物など一人しかいなかった。
 あの子の最期の姿が、触れた時の冷たさが、その顔に浮かんだ柔らかな笑みが、クルベスの脳裏をよぎる。
 そんなクルベスをニィスは楽しげに見つめながら発言を続けた。

「計測結果に狂いが出るからそんなのさせたことも無かったのに。本当に不思議だよ。あれも回収しておけば良かったなぁ。もしかしたら色々面白いことが分かったかもしれないのに。惜しいことしちゃった」
 それを聞いたクルベスはたまらずニィスの顔を銃身で殴りつけた。
 ニィスは殴られた瞬間は呻き声を洩らしたものの、すぐに顔を上げて口から血を伝わせながら「まぁそんなことより」とティジを一瞥する。

 

「あの王子様、見た感じだと自分に治癒の魔術をかけられるみたいだね。傷の治りが異様に早い。……あと記憶もいじってる」
 その時、クルベスの息が一瞬止まる。ニィスはそのわずかな動揺も見逃すはずもなく、ニヤリとしたり顔を見せた。

「あぁ、そう。憶測で言ったんだけど当たりだったか。すごいなぁ、ありとあらゆる魔術ぜーんぶ使えるんだ。でも自分に記憶と治癒の魔術をかけるって、よほどの事がないとそんな事しないよね?なになに?何があったらそうなるの?とても興味深いなぁ。後学のためにも教えてよ」
「黙れ」
 挑発するように問いかけるニィスの襟を掴み、その言葉を遮る。ただの部外者に、あの子の悲しみも苦しみも恐怖も、何も知らない部外者に話すことなど何もない。

 だが先ほどの発言でようやく確信を持てた。

 この男は、自分が八年間ずっと追い求めていた奴だ。
 弟たちの仇がいま目の前にいる。

 


 作中でティジはよくぶっ倒れていますが、ティジとルイは基礎体力はそんなに大差ないぞ!
 ティジのほうが体格が小さ……ちょっとばかしコンパクトなのを踏まえれば、むしろ体力はあるって考えもできるかも。