頃合いを見てクルベスが私室に戻るとルイは膝を抱えて丸まっている状態になっていた。部屋の主が戻ってきたことに気づいたルイは大変申し訳なさそうに「ご迷惑を……おかけしました……」と詫びる。
「……どうしよう」
目を潤ませたルイは憂いの表情で嘆く。
「俺、どうしたらいい?今のままじゃダメって分かってるんだよ……でも、さっきの、あんなことで俺、ティジにあんな……っ」
「そう思い詰めるな。あれは生理現象の一種だから自分の意思で抑えるのは難しい」
クルベスはそう言ってルイの背中をさする。
ティジから事の経緯は聞いたがそれだけであんな状態になるとは。若いってすごいな、などとは口が裂けても言えない。
「ルイ。お前はどうしたい?」
言葉にならない声を上げて悶絶するルイに問いかける。
これ以上はぐらかすことは不可能だ。いずれは直面する問題が想定よりも早く、予想外の方向から訪れてしまった。
だがそれを憂いても何も変わらない。下手に拗らせて複雑化する前に何かしら落としどころをつけてしまったほうがいい。
「俺、は……」
ルイは何度かはくはくと口を動かし、やがてボソリと口を開く。
「言わない。……ティジに迷惑かけたくないから」
ギュッと握った手に力がこもる。
「今すぐには難しいけど……前みたいに関われるよう頑張る」
こちらを見上げる蒼い双眸は彼の固い決意が表れていた。
「……分かった。お前がそう決めたんなら俺は黙って見守るよ」
ルイの真摯な眼差しを受け止めたクルベスは、そう口にすると彼の頭を撫でた。
おそらくルイは今の関係が壊れることを恐れて『言わない』という選択をとったのだろう。
しかしその気持ちが思春期にありがちな勘違いあるいは一過性のものでなかった場合、その選択はルイ自身を苦しめることになる。
「クルベスは……父さんとこういう話をしたことってあった……?その……好きな人ができた……とか」
「んー……セヴァから相談されたことあったな。もう顔真っ赤っかにして『どうしよう』とか言ってた」
クルベスは当時のことを思い出したのか小さく笑う。
当時のクルベス自身はそのような恋にうつつを抜かせる状態ではなかった。自らの不注意で、力不足で、友であるジャルアの命を脅かしたのだから。『人並みの幸せ』というものに自ら距離を置いていたのだ。
「ララさんと付き合ってから、しょっちゅうノロケ話を聞かされたよ。聞いてるこっちが恥ずかしくなってくるぐらいベタ褒めしてたな」
あの頃は色々あったが今思い返すとあれはあれで幸せだったな。
それにしてもルイのほうからセヴァたちの話を振ってきたことには驚いた。ティジの母親が亡くなってから意識的にセヴァたちの話はしないようにしていたが、エスタとの再会がルイの心に良い影響を与えたのだろう。
軽い調子で話すクルベスにルイも長らく続いていた緊張が解けたらしい。ルイは何か決心を固めた様子でキュッと唇を引き結び、口を開く。
「俺、ティジと話してみる。……勝手に距離取ってごめんって言わなきゃ」
「気負いすぎるなよ。俺にできることがあったら何でも言ってくれ」
そう告げるとルイは迷いが晴れたような表情で頷いた。
噂をすれば影。控えめなノックの音に返事をすると、遠慮がちにティジが入ってきた。
どうやらエスタがついていてくれたようだ。ずっと見られるのも気まずいだろうからとりあえず棚の整理をするフリでもしておくか。
「ティジ。えっと……」
話を切り出したルイ。それを横目にエスタは『席を外したほうがいいだろうか』と言いたげな様子だ。
ティジたちのことを気にかけながら、エスタにジェスチャーでここにとどまるよう指示をする。するとどうやら問題なく伝わってくれたらしく棚の整理に加勢した。エスタのやつ、ここぞという時は察しがいいんだよな……非常に助かる。
「その……避けててごめん。俺、ちょっと色々考えすぎちゃって……それでティジに変な態度取っちゃってた」
「……俺がルイに何かしてたなら――」
「違う。ティジが何かしたってわけじゃなくて……俺の考えすぎで……」
ルイはティジの発言に重ねるように返し、何か良い理由はないかと思考を巡らせる。こちらとしては助け船を出したいがルイ自身が助けを求める素振りを見せていないので見守ることしかできない。
「返却された課題が思うように結果が出なくて……自分の力だけで頑張ろうって思ってた」
それはかなり無理があるのでは?ルイもうまく言えていない自覚はあるようで気まずそうに目を逸らしているし。
「言ってくれたら俺も力を貸せたと思うんだけど……?」
そして案の定ティジも首を傾げていた。
「いや……あ、あんまりティジに頼っちゃうのはちょっと恥ずかしくて……それに自分の課題だし。ティジと一緒にいたらすぐ頼ってしまいそうだったから……それで避けちゃってた」
うーん……だいぶ怪しいけどいけるのか?見ていて不安になってきたな。いや、我慢しろ。時には見守ることも大切だ。
そう自分に言い聞かせてクルベスは棚の整理をするふりを続ける。だが気もそぞろになっているので棚の中は整頓されているとは言いがたい雑多な並びとなっていた。付け加えるとエスタの手も止まっている。
「でもやっぱり……その、ティジが良ければまた一緒に勉強させてもらっても……いいかな」
「……っ!うん!俺は大丈夫だよ!」
ルイの申し出にティジの表情が晴れる。なんとかなったようだ。遠巻きに二人のことを心配していたエスタもホッと息をついていた。
これまでの緊張が一気に抜けたティジは安堵の息を洩らす。
「良かったぁ……俺、ルイに嫌われちゃったのかなって思ってて……」
「そんなこと思うわけないだろ。ましてや嫌うなんて。俺はティジのことが好きなんだからそんなのありえな――」
そこまで言って、ルイは時が止まったかのように硬直する。ちなみにクルベスは手に持っていた書類の束を落としたし、エスタに至っては持っていたペンケースの中身をぶちまけた。
「え……あ……?おれ、今なんて……?」
言いながらルイはみるみるうちに顔を赤くしていく。加えてまるで炎天下にいるかのような異常な発汗。
「おれ、今……好きって言っ――」
「弟くん!!ちょっとこっちに来てくれるかな!?」
エスタは咄嗟に呼びつけたのだろうがそれは悪手だ。その一言によってルイは自分が口を滑らせたのだと自覚してしまった。
「あ、違う……!俺そんな……好きだけど、好きって言うつもりなくて……っ!言っても困らせるだけだから……!」
ルイはどうにかして取り繕おうとしているのだが、どんどんボロが出ていく。ここまでさらけ出してしまったらもう言い逃れなんてできない。
なんとか持ちこたえてきたのに、こんな形で終わるなんて――
「俺も好きだよ?」
真っ白になっていた頭にその声が響く。その声の主――ティジはいつもと変わらない様子で口を開いた。
「俺も。ルイのことが好き」
「……え?」
震えた声で聞き返すルイにティジは柔らかな笑みを浮かべる。
「あらためて言葉にすると何か恥ずかしいな……あ!もちろんクーさんやエスタさん、みんなのことも好きだよ!」
照れ笑いながら言う様子に一同はようやく理解する。
いまティジが口にしている『好き』はルイがティジへ抱いている物とは異なる――家族や友人に向けるような、恋愛感情の絡まない物であると。
「うん……俺も……好き……」
ルイとしては『誤って口を滑らせたことに気づかれなくて良かった』と安堵するべきなのだが、それでも気落ちせずにはいられなかった。
作中で何かあったらとりあえずクルベスさんの私室で話している気がします。談話室よりも談話室してる。
ルイは口が軽いわけではないけど、少しばかり口を滑らせてしまったり表情に出やすい子です。