26.から風混じりの寸暇-1

 王宮の医務室。先日、ブレナ・キートンと対峙した際に負った傷の経過をみせていたエスタは何の気無しに口を開いた。

「こうしてみるとクルベスさんってお医者さんなんですね」
「あぁ、医者だぞ。何を今更」
 手や指の動作に問題はないか確認するクルベス。その姿をまじまじと見つめながらエスタは感心した声をあげた。

「いや、なんか普段の様子を見てると『弟くんたちの保護者』って印象が強くて……」
「まぁほとほと困らされてるのは事実だな」
 と言って苦笑するクルベス。その返しにエスタは『とか言いつつまんざらでもなさそう』と心の中で呟いた。

 

「うん。もう大丈夫。晴れて全快だな」
「良かったー、これでようやく弟くんたちも学校に復帰できる」
 ティジとルイの怪我はとっくに治っている。しかしながらエスタが動けるようになるまで二人の休学は解いていなかったのだ。

 この判断に関してエスタは「送り迎えは他の衛兵をつけたらいいでしょ。俺のことなんて気にせず学校に行かせてあげてください」と提言した。
 だが「エスタ以外の衛兵だと学内で問題が起きた時にすぐに駆けつけることができないから」と押し切られてしまったのである。

 兎にも角にも『早く怪我を治さなければ』とやきもきしていた日々もこれで終わり。とりあえず弟くんたちに「元気になったよー!」と報告しにいかないと。あと全快祝いにお菓子でも持って行って一緒に食べたりしようかな。いや、全快祝いって怪我した本人が持ってくる物ではないか。まぁこういうのは楽しければいいからどっちでも良いや。

 そんなことを考えながら手をグッパッとしていると(まるで影から見ていたのではないかと疑ってしまうほど絶妙なタイミングで)エスタの直属の上司である警備の責任者――上官が現れた。

 

「お、治ったか。じゃあ前言ってた通り、直々に鍛えてや――」
「クルベスさん、あと二、三週間ぐらい様子見といきません?ほら、病み上がりって無茶は禁物ですし」
 上官の発言に被せるかたちでクルベスに提案する。上官の言葉を遮るなんて恐ろしいことをしてしまったがこの際なりふり構っていられない。下手すると医務室に逆戻りなのだから。

「それもちゃんと考慮したうえで『もう大丈夫』だ。問題なく動けるぞ」
「ひどい……!クルベスさんに見捨てられた……っ!」
 こちらが嘆く一方で爽やかな笑顔のクルベスは「大袈裟だな」と返した。

 

「いやです!!いやだぁああ!!俺まだやり残してること沢山あるのにぃーー!!」
「それならこの状態から抜け出してみろ」
「くそぅ、無駄が無い!上官って隙あらばそういうの叩き込もうとしますよね……!」
 何とか抜け出せないか四苦八苦するエスタと、一切拘束を緩めないものの適宜助言は与える上官。

 そんな二人のやりとりが過去の自分と重なるクルベス。二人をあたたかい目で見ているとようやく拘束から抜け出せたエスタが「あ、そうだ」と声をあげる。

「俺、せっかくだからクルベスさんとお手合わせしたいなぁ!クルベスさん、この後お時間ってあります?」
「え、急にどうした」
 まさかこっちに飛んでくるとは思ってもみなかったクルベスは何ともまぁ気の抜けた返事をしてしまう。

「いや、前に上官からクルベスさんと手合わせした話を聞いてから俺も興味があって。で、いかがです?俺、クルベスさんとお手合わせ願いたいなぁー……」
 訴えかけてくるエスタにクルベスは『いつの間にそんな話をしていたんだ』と思いながらも二つ返事で頷いた。

 ◆ ◆ ◆

「なっ……まじで何なんですか!?一撃喰らわすどころか触れることすらできないんですけど!?」
「こちとら掴まれたら関節外されるか速攻で意識飛ばされるのを経験してるからな。回避だけは自信あるぞ」
 落としてしまう可能性があるので眼鏡は外しておいたクルベスは軽口を叩きながら一気に間合いを詰める。
 突如目の前に迫ってきた怪物にエスタは「ひぇっ」と情けない声を漏らす。そこからはあっという間。地面に押さえつけられ手も背中でまとめられていた。

「ぜったい『回避だけ』じゃない……さすがに謙遜が過ぎる……」
「怖気付いたら終わりだ。ハッタリでもいいから極力恐怖心は見せないこと。じゃあいったん休憩するか」
 よっこらせ、とエスタの上から退くと、クルベスは地面に転がったままのエスタに「動けるか?」と声を掛けた。

 

 中庭の庭園。季節はもうすっかり冬のその場所に冷たい風が吹き抜ける。詰所のほうにも修練場があるが、こちらのほうが医務室に近いのでクルベスもすぐ仕事に戻りやすいだろうと考えて、こちらで手合わせをしてもらう運びとなったのだ。

「ところでクルベスさん。『掴まれたら関節外されるか速攻で意識飛ばされるのを経験してる』って言ってましたけど……上官ってそんなヤバイ感じのご指導するタイプでしたっけ」
 上官という人といえどもさすがにそこまで人権を無視した指導はしないはず。たぶん。……きっとそうだと信じたい。
 恐々と問いかけるとクルベスは首を振った。

 

「ん?違うぞ。俺のは別の人から教わったんだよ。サフィオじいさん……先代国王の護衛をしていた人がな」
「へぇー、どんな人なんですか」
 水を口にしながら相槌を打つ。

「率直に言えば戦闘に特化した人だったか。座学より実技で、言葉でぱぱーっと説明した後に速攻で実践。『緊張感の無い練習なんざ、ごっこ遊びと同じだ』って考え方の人。そんで俺の関節を外した後もすぐにはめ直して続行。その繰り返し」
「何それ怖っ!?それ『指導』の域を超えてるじゃないですか!」
 クルベスはエスタの言葉を否定せず、乾いた笑いを返した。

 


 第四章(1)『諸々の懸念と大人たち』の後です。
 第三章の一件でわりと大怪我したエスタさん。そのことについてクルベスさんは上官とともに彼の親御さんに謝罪に行ってます。大事な息子さんを預かっているのにそんな目に遭わせてしまった、ということで。