夢うつつの春うさぎ - 1/8

「ぅ……ん……」
 四月初旬のとある朝。窓から射し込む朝日が、ベッドの中で微睡むルイを優しく起こす。暦の上では春であるものの朝はまだ若干の肌寒さが残っており、ルイはまるで縋るように腕の中にある温もりを抱き締めた。

 腕の中の温もり――つい先日十七歳の誕生日を迎えたティジは目を覚ますことなく、ルイの腕に抱かれたまま夢路を辿っている。穏やかに眠るその様子にルイは人知れず安堵の息を吐いた。

 昨晩はあいにくの雨、それもひどい雷雨であった。ティジは幼少の頃より雷を酷く苦手としている。雷鳴を聞くと幼な子のように泣きじゃくって、その場から一歩も動けなくなってしまうのだ。ティジが言うには「雷を見たり聞いたりすると強い恐怖に襲われてしまう」らしいが……何故そうなるのかはティジ本人にも分からないのだという。

 そのため昨晩は雷に怯えるティジに寄り添って過ごしたのだが……どうやら自分たちが眠っているうちにあの忌々しい雷雨は過ぎ去ったらしい。雨の音が止んでいることに加えて、窓から射しているこの暖かな陽の光が何よりの証拠だ。

 今はゆっくり寝かせてあげよう。昨日はあんなに泣いてたんだ、たぶん目も腫れてるだろう。ティジが起きたら「おはよう」って言って、安心させてあげないと。それから目元を冷やして……。

 ルイはこの後の動きをぼんやりと考えながらまぶたを開く。そして眼前にあるティジの顔へと目を向けた。

 

「……は?」
 目に入ってきた光景にルイはぱちくりと瞬く。

 もしかしてここは夢の中だろうか。現実の俺はまだ眠ってるのか?そう疑ったルイは自分の頬を摘んでみる。……うん、痛みはある。ならばこれは現実?いやいや、夢の中でも痛みがあるパターンかもしれない。そうだ、きっとそう。そうじゃないと目の前の事象に説明がつかない。

 混乱した思考のまま、ルイはティジの顔へと手を伸ばし、頭頂部にある異物に恐る恐る触れた。

「ん……ルイ……?どしたの……」
 するとその刺激で目を覚ましたのか、ティジは寝ぼけた声でルイの名を呼ぶ。意識はまだ半分夢の中にあるようで舌足らずにこちらに呼びかける。
 普段のルイならばティジのそんな無防備かつ無自覚な可愛らしい仕草に悶絶していただろう。だが今はそれに反応する余裕もない。何故ならば――……。

「みみ……」
「みみ?」
 ルイの呟きをティジはおうむ返しに繰り返す。そしてルイの手の動きをなぞるようにティジも自身の頭頂部へと手を伸ばし、その異物に触れた。

「え……え!?何これ!?」
 自身の状況を理解したティジは大声をあげて飛び起きる。その頭上には大きなウサギの耳が揺れていた。

 

「なに……これはいったいどういう状況……?俺、いったいどうなってるの……?」
 自分の身に巻き起こった不可解な状況にティジはおろおろと狼狽える。ルイもこの事態に全くもって理解が追いついていなかったが、ひとまず起き上がることにした。

「ルイ……俺、何でこんな事になっちゃったんだろ……」
「いや、俺にもさっぱり……俺もさっき起きて……目を開けたらそんな感じだったから」
 助けを求めるようにこちらを見つめるティジにルイも頭を振る。

「でも何だってこんなかわ……っ、か、格好に……」
 危ない。慌てて修正したが危うく「可愛い」と口に出してしまうところだった。
 だが仕方がないじゃないか。常日頃可愛いと思っているティジにふわっふわのウサギの耳が付いてるんだぞ。しかも先ほどから彼の表情と連動してピョコピョコと可愛らしく動いてるし。何だあれ?何なんだ、この可愛い生き物は。気を引き締めなければ。少しでも油断したら『可愛い』という言葉が漏れ出てしまうぞ。

 

 目の前のとんでもなく可愛らしい姿のティジにルイは歯を食い縛り、理性を総動員して堪える。ルイがそんなことになっているとは露知らずのティジだったが、ふと「ん……?」と首を傾げるとモゾモゾと身をよじらせた。

「どうした?」
「なんか背中……腰のあたりに違和感が……何だろ……?」
 ティジはそう呟くとルイに背中を向けるように座りなおす。そしてそのままシャツを捲り上げ、その『違和感』の箇所を見せつけてきた。

「な……っ!ちょっ、ティジ何して……!」
「え?いや、俺だと後ろのほうは見えにくいからルイに見てもらえないかなって……」
「えぇっ!?いや、そりゃそうか!でもそうは言っても……!」
 確かにティジの言い分は分かる。だがしかし、ルイとしては非常にまずい。

 ここで今の状況を説明しよう。ティジとルイは二人ともベッドの上に乗り上げて座っている状態だ。そしてティジは自身の腰のあたりに生じている『違和感』を見せるため、ルイに背中を向け、シャツを捲り上げている。しかもルイがその『違和感』とやらを見えやすいように肋骨の下部まで、いわゆる腰全体が見えるようにシャツをたくしあげているのだ。

 これによりルイの視界に、ティジのズボンの履き口からピョンと飛び出ている真っ白なウサギのしっぽが飛び込んでくる。それは見るからに触り心地が良さそうで。ヒクヒクと魅惑的に上下に揺れていた。

「ルイ、どうかな。後ろのほう、どんな感じになってる?」
「しっ……しっぽが……いや、それよりも……!」
 しっぽと共に、日に焼けていないティジの白い肌が、自分より華奢な腰がルイの目を奪う。背中の大部分が見えた、見ようによっては半裸に近いその姿。そして極めつけと言わんばかりにティジはその大きな耳を揺らして「しっぽ?」と振り向いた。

「それは……!その姿はさすがに――うぐっ」
 ただいま絶賛思春期真っ最中の十七歳男子ことルイ。初恋相手のそんな姿など彼には刺激が強かった――いや、強すぎたのだ。結果としてルイの処理能力は限界を迎えてしまい、彼の鼻腔から鮮血が溢れ出した。俗にいう鼻血である。

 

「うわぁ!?ルイ、鼻、鼻血が……!大丈夫!?」
 突然ルイが鼻血を吹き出したことに動転し、声を掛けるティジ。ルイもどうにか鼻血を止めようと鼻を押さえるも、今しがた見た光景が頭から離れず、鼻血の勢いはより一層増してしまう。事態が混迷を極める中、突如として部屋の扉が開き、新たな人物が入ってきた。

「二人とも、朝だぞー。そろそろ起きて……って、はぁっ!?ティジ、お前それ……何だそれ!?何があった!?」
 爽やかな朝のご挨拶……とはならず、ギョッとするクルベスにティジはあたふたと顔を上げた。

「あっ、クーさん!これは俺も何が何だか分からなくて……それよりもルイが!何でか分からないけど鼻血が止まらなくて……!」
「うわっ、ルイ!お前今度は何があって……とにかく今はこっちが先か。とりあえず落ち着け。はい、鼻おさえて。次、下を向く。そんでそのままジーッとだ。しばらくしたら止まるからそれまで落ち着いてじっとするんだぞ」
 現状を飲み込めていないものの本業は王室専属医師であるクルベスは迅速にルイの応急処置へと切り替える。その傍らでティジはおろおろと様子を窺う。

「クーさん、俺に何か出来ることはある?」
「今のところは何も……あー……いや、そうだな。ティジ、とりあえずそこの毛布を被っててくれ。頭のその……耳?耳でいいんだよな?とにかくそのデカい耳が隠れるように被っててくれ。そうしたほうがルイも落ち着くだろうし」
「うん……?分かった」
 ティジはそう頷くと放られていた毛布を掴み、頭巾のようにすっぽりと被って耳を覆い隠す。クルベスの指示なので大人しく従ったものの『でも何で俺がこうすることでルイが落ち着くんだろう?』とティジは首を傾げるのであった。