甘酸っぱい、ありふれた思い出を君と - 1/5

 二月初旬。その日クルベスは仕事の合間に借りていた本を返却するため、王宮内にある書庫に訪れていた。
 サクッと返してさっさと医務室に戻ろう。麗らかな午後をのんびりと過ごしたい誘惑に引っ張られるが、自分は王室ひいては王宮の専属医師なのだ。いつ急病人が駆け込んでくるかも分からない。あと変なタイミングでジャルアがやって来る時もあるし。

 そんな事を考えながら本を返却し、足早に書庫を出ようとすると棚の影でうずくまっている人物を見つけた。

 医務室に戻る前に急病人を見つけてしまった。運がいいのか悪いのか。ひとまず医師としての役割を全うするとしよう。
 そう考え、うずくまっている人物に近づいたその時、クルベスはその者が誰であるか気付いた。

 少しクセのある焦茶の髪。王宮に従事する衛兵と比べるとやや細い体格。抱え込んだ腕から覗くその顔は伯父のひいき目を抜きにしても非常に整っており、日頃危ない目に遭っていないかととても心配になる。実際、昨年の春から高校に通い始めたが、変な輩に言い寄られていないかクルベスは常々不安に思っていた。

 その人物――甥っ子のルイはクルベスが通りがかった事に気付いていないのか、その場から微動だにしない。もしや体調不良で動けないのではないか?そう考えたクルベスはその長身を屈めて、声を掛けることにした。

 

「ルイ、どうしたんだ。具合でも悪いのか?」
「……大丈夫……俺のことは気にしないで……」
 クルベスの呼び掛けにルイは小さく首を振ってか細い声で応答する。確かに彼の顔色は悪くないように見受けられる。だがその声色と彼がまとう空気はひどく重かった。

「どこも悪くないから……本当に、俺のことは気にしないで……」
「いや、そうは言っても……」
 まるでこの世の終わりが来たかのような様子を見せられて「はい、そうですか」と引き下がることなど出来ない。加えてクルベスにとってルイは物心がつく前から……いや、生まれた時から今日までの十六年、成長を見守っている可愛い甥っ子なのだ。それを放っておくことなんてクルベスにはとても出来なかった。

 一向に立ち去らないクルベスとだんまりを決め込むルイ。互いに譲らず膠着状態に陥っていたが、その空気に耐えかねたのかルイが先に口を割った。

「……何を……作ればいいのか分からなくて……」
 うずくまったまま、ぽつりぽつりと言葉を落とすルイ。その声を一つたりとも聞き逃さぬようクルベスは聴覚を研ぎ澄ます。

「感謝の日のお菓子……ティジに……手作りのお菓子を贈りたいのに……本に載ってる物はどれも難しそうで……ていうか色々ありすぎて何がいいのかも分からなくなって……」
 ルイはぼそぼそと呟き、やがて一際大きなため息を吐き出すと再び黙り込んでしまった。
 なるほど。要約するとルイは今度の2月14日――感謝の日に自身の想い人であるティジに手作りのお菓子を贈りたいと考えたのか。で、書庫にお菓子のレシピを探しに来たもののどれにしたらいいか決められず悩んでいると。何とも可愛らしい悩み事である。エスタがこの場にいれば「青春してますね」とか言いそうだ。

 クルベスは料理は人並みに出来るものの、お菓子作りに関してはてんで素人だ。だがひとまず何か慰めの言葉を掛けてやろうとした瞬間、ルイは突然ワッと頭を抱えた。

「もうおしまいだぁ……!こんな最初の一歩でつまづいて……決断力もない、実力もない俺なんかがそもそも出来るわけなかったんだぁああ……!」
 何故だろうか。ルイのその姿は三年前に見た姿を彷彿とさせられた。ティジへの淡い恋心を自覚し、てんやわんやしていた時の姿を。いや、あの時は顔を真っ赤っ赤にしたりアタフタしたりと、今とは真逆で大変忙しなかったが。
 それはさておき。悲観的かつ自暴自棄になっているルイを放っておくことなど出来ない。繰り返すようだがクルベスにとってはルイは可愛い甥っ子なのである。

 

「それじゃあ俺と一緒に考えてみるか?」
「え……?」
 ルイが涙目でこちらを見上げる。幼さが残るその顔にクルベスは優しく微笑んで頭を撫でた。

「ティジのことは小さい頃から見てるからな。あの子の好みとかどんな物を喜ぶかとか一応知ってるつもりだぞ。それに一人で考えて解決しなくても、二人で考えたら何か良いものが思いつくんじゃないか?」
「それは……確かにそうかも」
 こちらの提案にルイは納得を示す。大変素直で可愛らしい子である。そんな甥っ子を微笑ましい目で見守っていたが、ルイはなおも憂いた表情で「でも」と呟く。

「クルベスも忙しいだろ?それなのに俺のことで手を煩わせるのは申し訳ないっていうか……」
「子どもがそんなこと気にするんじゃない。俺はお前の伯父さんなんだ。たまにはそれらしい事させてくれ」
 クルベスがそう告げるとルイは少し顔を下ろして思案する。やがて考えが固まったのか躊躇いがちに口を開いた。

「それじゃあ、えっとお言葉に甘えて……よろしくお願いします」
「うん、こちらこそ。それならここで話すのも何だし場所移すか」
 笑顔で返したクルベスは、ルイの手を取って立ち上がらせる。そうして「医務室でも良いか。今はちょうど人もいないし」と言いながらその場をあとにした。