甘酸っぱい、ありふれた思い出を君と - 3/5

 一方その頃。クルベスさんからお留守番もとい『待て』を言い渡された俺ことエスタ・ヴィアンは宣言通り、ティジ君と仲良くお話でもして過ごすことにした。

『さて、ティジ君はどこかな〜?自分のお部屋か書庫、もしくは庭園、はたまた談話室とか?……まぁとりあえず適当に歩いてたらどこかで出会えるでしょ』と能天気に考えていると、なんとティジ君の方からやって来た。
 どうやらティジ君は書庫に用があるらしく。自分の部屋から書庫へ向かう道すがら、クルベスさんの部屋の近くを通りがかったため少し顔を覗かせようと思ったのだとか。あいにくクルベスさんは不在であることを伝えるとティジ君は「そっかぁ」とすぐに納得した。

「ねぇ、ティジ君。もし良かったら俺も書庫まで一緒に行っても良い?」
「いいよ。エスタさんも何か用事?」
「うん、そんなところ」
 俺はそう返事をしてティジ君と共にその場を発つ。
 ティジ君は書庫に用事があるようなので俺の当初の目的である『ティジ君と仲良くお話をして過ごす』を実行するのは少々難しいだろう。ティジ君の用事を邪魔したくはないし。それならここら辺でティジ君と別れて俺は余所で暇を潰すべきだ。……だが何だろう。虫の知らせというか、このまま彼を一人にしないほうが良い気がする。

 ティジ君の部屋から書庫に向かう道中でクルベスさんの部屋の近くを通ることは基本的に無いはず。だけどティジ君は嘘をついている様子もなく、歩いている途中でたまたまこの近くを通りがかったという。
 もしや今のティジ君は本人無自覚かつ天性の方向音痴もとい迷子癖が発揮されている状況なのでは?だとすると無事に書庫に辿り着けるまで俺が一緒にいたほうが良いな……。

 そう誓っている目の前でティジ君は道を間違えそうになったり人とぶつかりそうになったりと、注意力が散漫になっているご様子を見せている。人とぶつかりそうになった時はハッと意識を戻すのだが、またすぐに上の空。傍から見ていて危なっかしいことこの上ない。迷子ならまだしも怪我でもしたら大変だ。
 ともすればここは(自称)頼れるお兄さん的立場の俺が原因を突き止めるとするか。

 

「ティジ君、さっきから何か考え事してるみたいだけど……もしかして何か悩んでる?俺でよければ話を聞くよ」
「え?あっ……そんなに……分かりやすかったかな」
 ティジ君は俺の言葉の意味を理解するとばつの悪い様子で聞き返す。珍しい反応だ。まるで何か隠し事がバレたかのような、そんな印象を受ける。
 もしかして人には知られたくないようなプライベートな悩みを抱えている可能性もあったりする?そういう事ならズカズカと足を踏み入れるのは良くないかも……。
『よし、俺の気のせいだったって事にして別の話題に変えよう』と心に決めたタイミングで、ティジ君は重い口を開いた。

「えっと……その……エスタさん、みんなには内緒にしてくれる?」
 お願い、とティジ君はコテリと首を傾げてこちらを見上げてきた。ティジ君はたまにこんな感じの可愛らしい仕草をするのだ。しかも本人の様子から推測するに、それが可愛らしい仕草だと意識していないらしい。
 ……俺は『わぁ、可愛らしい』と和むだけで済むけど、弟くんが見たらかなり動揺するんじゃないかな。意中の相手であるティジ君が無自覚にこんな可愛らしい仕草をしてきた日には、お顔を真っ赤っかにして固まっちゃうんじゃないかと。
 おっと、今はこんな事を考えている場合じゃない。今はティジ君のお話を聞かないと。

「うん、安心して。絶対誰にも言わないから」
 ドン、と俺は自信たっぷりに自分の胸を叩く。するとティジ君は俺の誠意を感じ取ってくれたのか、俺にしか聞こえない声量でぽそぽそと呟いた。

「今度の感謝の日にみんなに贈るお菓子をどれにするか決められなくて……」
 なんと凄い偶然。同じ悩みを弟くんが持っていて、それを解消するために今まさに出掛けているのだ。ティジ君と弟くんは共に過ごした時間が長いからか、同じタイミングで同じ悩みを抱えたみたいだ。やっぱり二人はとても仲がいい。

「クーさんにもルイにも絶対に内緒だよ……!二人にも贈るんだから……それに、えっと、エスタさんにもね、贈ろうと思ってて……ごめんね。先に教えちゃって……」
「気にしないで。ティジ君の悩み事を解決できるなら俺も嬉しいし。あとティジ君、そっちは書庫への道じゃないよ」
 またもや道を間違えそうになっているティジ君を止めて、正しい道に引き戻す。危ない危ない。気を抜いたらすぐ迷子になりそうだな、この子。

 

「それで話は戻るけど、今のところはどんな物が候補にあがっているの?」
「マドレーヌとフィナンシェ。どっちにしようか迷ってて。他にもフロランタンとか良いかなって思ったけれど、これは今度にしておこうかなって」
 そうやって話したり、時々ティジ君を引き戻したりしながら歩き続け、ようやく書庫に到着した。特別何か激しい運動をしたわけじゃないのに何だかすごく疲れた。……でもこの調子だと書庫から出た後も迷子になりそうだな。やっぱりクルベスさんたちが帰ってくるまでの間、一緒に居ておこう。

「ところで大変申し訳ないんだけど……ぶっちゃけマドレーヌとフィナンシェの違いがよく分からなくて。やっぱり何か違うの?」
 そう聞くとティジ君は書架から分厚い大判の本を引き出す。表紙に『世界のお菓子辞典』と書かれているその本を慣れた手つきでめくり、マドレーヌとフィナンシェのページを開いた。

「使う材料と焼き上げる時の形が違うんだ。薄力粉と砂糖はどっちも使うんだけど、マドレーヌは溶かしバター、全卵……黄身と白身のどっちもって事だね。それとベーキングパウダーを使う。一方でフィナンシェは焦がしバターに卵白、アーモンドパウダーを使うんだよ」
 ティジ君の説明に俺は「へぇ」と感心の声をあげる。アーモンドパウダー……またの名をアーモンドプードルというらしい。プードルって犬にそんな品種がいたような……まぁいいや、今はティジ君の話に集中しよう。

「それで形についてだけど、マドレーヌは貝殻の形。焼き上がった時に甘い香りがふわって漂って……それにあのふんわりとした食感と優しい味わい、あれもマドレーヌの大きな魅力の一つだよね。それでフィナンシェは四角い形……金の延べ棒みたいな形の型で焼くんだ。焼き上がったばかりのフィナンシェは周りのところがサクッてしていてそれがまたすっごく美味しくて。でも一晩おいて全体がしっとりした感じになってるのも好きだなぁ……」
 話しているうちに焼き立ての香ばしさを思い出してきたのかティジ君はうっとりと語る。フィナンシェは何度も食べた事はあるが、そこまで味を意識して食べたことは無い。ティジ君の魅力的な語りに俺の口の中にもヨダレが溜まってくる。

「いいなぁ……どっちもすっごい美味しそう……」
「だよね。うん、やっぱりフィナンシェにしようかな」
 そう頷いたティジ君は手にしている本をパタリと閉じると、くるりと天真爛漫な笑顔でこちらに向き直った。

 

「聞いてくれてありがとう。話を聞いてくれたお礼にエスタさんには焼き上がってすぐの分もご馳走するね」
「それってつまり焼き立てサクふわの超絶美味しいフィナンシェも貰えちゃうってこと!?やったぁ!楽しみに待って……いや、いっそのこと俺もそのお菓子作りの場に居ておくっていうのはどうかな?作ってる最中に弟くんやクルベスさんがうっかり入ってきちゃったら大変だからさ、そうならないように見張っておくみたいな感じで。それに焼き上がった後にわざわざ持っていく手間も省けるし一石二鳥だよ!……あ、もちろんティジ君が良ければ、だけど」
「いいの?それなら俺のほうがすごく助かるけど……」
「もっちろん。焼き立てフィナンシェのためならば喜んで手を貸させていただきますよ」
 少し大袈裟にその場にひざまずいて頭を垂れる。
 今の言葉は半分本当だ。半分は焼き立てフィナンシェのため、そしてもう半分は『ティジ君と弟くん、二人のため』である。

 今年の感謝の日は例年とは大きく異なる。弟くんもティジ君に手作りのお菓子をプレゼントする予定なのだ。
 お菓子作りにはある程度ちゃんとした調理設備が必要になる。そしてこの王宮に厨房は二つもない。そうするとお二人が厨房でバッタリ鉢合わせてしまう可能性は非常に高い。きっと二人とも感謝の日当日まで内緒で準備しておきたいはずだ。
 となればここは不肖ながらこの俺、エスタ・ヴィアンがお二人の甘酸っぱい秘密を守ってあげようではないか!