「戻ったぁー!」
「あぁ、そうみたいだな。良かった良かった」
翌朝。窓の外で燦々と輝く朝日のように元気な声をあげるティジにクルベスは少々疲れの残った返事をした。ティジがピョンピョンと諸手を挙げて喜ぶ一方、その後方でルイは小さく肩を落としている。そんなルイの様子に目ざとく気付いた早朝出勤のエスタは、そろりそろりと忍び足で彼の隣に身を寄せた。
「どしたの弟くん。何かあった?」
「いや、別に……何でもないです。……もう少し見ていたかったなぁ……」
ついつい本音が漏れ出てしまっているルイにエスタは「そうだね」と慰めの言葉を掛ける。『こんな事なら色々触っておけばよかった』などと言わないあたりルイは大変ピュアである。いや、昨日は鼻血を出したりティジの甲高い声を聞いて床に倒れたりしていたけども。それはそれ、これはこれである。
『弟くんも男の子だもんね。好きな子の可愛い姿とかずっと見ていたくなっちゃってもしょうがないよね』とひとり頷くエスタをよそに、クルベスは「ところで」と口を開いた。
「少し確認したいんだが。二人とも、何か変わった物は見かけなかったか?」
「変わった物?見ていないけど……例えばどんな物?」
クルベスらしくない曖昧な質問だ。首を傾げて聞き返すティジにクルベスは少々間を置いて応えた。
「書類……だな。俺が私的に持ってた物なんだが……いや、そっちで見かけてないなら気にしなくていい。忘れてくれ」
先日ティジが幼少期の姿に戻ってしまった騒動の際、クルベスの部屋の窓辺に持ち主不明の書類が何者かによって置かれるという出来事があった。
その書類にはティジの体に起きた事象の説明と、戻った後に生じる魔力への影響が事細かに記されていた。そして驚くべきことにクルベスでは解決の糸口も掴めなかった異常事態を、書類の中ではすでに解決したものとして語られていたのだ。
おそらくあの書類を置き残した者はおそらくティジの身に起きた異常事態をなんらかの方法で解消したのだろう。しかも書類の内容から推察するにその人物はティジの特異な体質も十全に理解している。――何にせよ、只者ではない。
その出来事から日も浅いうちに今回の事態だ。もしや今回もそのような書類がどこかに残されているのではないかと考えたのだが……どうやらティジのほうには何も無かったらしい。
なおクルベスのほうはというと、朝一番に自身の私室と医務室の中をしらみつぶしで探したが結果はどちらも収穫無し。この二部屋にはもしも部屋に何者かが侵入してきたら即座に捕えられるよう、窓辺や扉などの出入り口となり得る場所全てに仕掛けを設置しておいたのだが、そちらも空振りであった。
今回は現れなかったのか……それとも仕掛けに気付いて書類の置き場所を変えたのか。あれに気付いたのだとしたらその人物はなかなかの観察力を持っている。
念のためジャルアの部屋のほうにそれらしい書類が置かれていないか確認しておくか。俺のほうを警戒してそっちに行った可能性だって考えられるし。
クルベスが『ジャルアには朝食の後にでも話をつけておこう』と画策していると、ティジがぽつりと呟いた。
「……こういう時、じぃじなら何か分かったのかな」
「すまん……肝心な時に何の力にもなれなくて……」
「あっ!いや、その……そうじゃなくて!クーさんを責めてるわけじゃないよ!これはそういうのじゃなくて……!ただその、えっと……っ」
クルベスは苦い顔で謝る。その反応にティジはあたふたと手を振って否定する。
「その……昔の夢を見たんだ。それでふと、じぃじのことを思い出しただけっていうか……」
「昔の夢?」
ティジは「うん」と気まずい様子で指先をいじりながら続ける。
「俺がまだうんと小さい頃の夢。じぃじと……それと……?ううん、じぃじと一緒にお話してる夢を見たんだ。それでその……じぃじって色んな事を知ってたから、今回のことに繋がるような事とか、じぃじなら何か知ってたりしたのかなーってぼんやり思っただけ。変なこと言ってごめんね」
「いや、俺も気にしてないから大丈夫だ。サフィオじいさんと話してる夢か。相当良い夢だったんだろうな」
クルベスの言葉にティジは「うん」と小さく頷く。
「暖かくて優しい夢。それにすっごく懐かしい。そんな夢だった」
ティジはふわりと柔らかな笑みを浮かべて語る。そして自然とその手が自身の頭へ伸び、くしゃりと髪をかき乱した。
誰かの手が、優しい手が自分の頭を撫でてくれた。そんな気がする。
……誰かの手?いや、自分が見た夢は祖父と話をしている夢だから、誰かが自分を撫でたのだとしたらそれは祖父の手に他ならないはずだ。
けど、自分が感じた手はどうにも祖父の物とは異なる気がして。祖父ともう一人……誰かがいたような……?
「どうしたのティジ君。頭クシャクシャになっちゃってるよ」
「えっ、あ……いや、なんか頭を撫でてもらったような気がして」
訝しげな目を向けるエスタにティジは慌てて意識を引き戻す。ティジの乱れた髪をサッサッと手ぐしで整えていたエスタだったが、はたと動きを止めると「もしや……!」と勢いよく顔を上げた。
「まさかクルベスさん……!やっぱり我慢出来なくなって夜分遅くにこっそり撫でに行ったんです……!?」
「アホ抜かせ。んなことしてねぇわ。あと『やっぱり』ってなんだ。俺のことを何だと思ってる」
「えっ……なでなで怪人」
ボソリと小さく、だが確かに呟かれたその文言にクルベスは「よし」と手を叩く。
「お前の上司に報告しとくな。『業務上の関係者に不適切な言動をした』って」
「ご勘弁ください!!上官に報告だけはなにとぞ!!俺の全身の骨が砕けちゃう!!」
さらりと言い放つクルベスにエスタは床にひれ伏して全身全霊で謝り倒した。
その姿を戸惑いと少々呆れた目で見つめるティジとルイ。その後方、窓の外には四月の澄み切った青空が広がっている。珍妙奇天烈な事態から一夜明けたその空に「何卒ご容赦ください!後生ですから!」という声が響き渡った。
ルイがケモノ化するとしたら猫かなとか考えたり。でもティジの言動に一喜一憂してるところとか考えると犬の感じもするな……。そんなことを考えながらの春の番外編です。
ティジが幼い頃の姿になっちゃったお話は番外編『泡沫の夢』にて。今回はこのお話から約一週間後に巻き起こった騒動です。こんな短い頻度でこうも訳の分からない事態が立て続けに発生したらクルベスさんの心労も凄まじいだろうな、と思うなど。
ちなみに資料の探し方のコツについて、クルベスさんがレイジに教えた、という話は第四章(2)『雪花-1』の一場面です。