夢うつつの春うさぎ - 7/8

 草木も眠る夜半過ぎ。宵闇に包まれた寝室、その中心にあるベッドからは二人分の寝息が微かに聞こえる。その二人の眠りを妨げるものは何もなく、緩やかに時だけが流れていた。

 と、その時。静寂に満たされた室内にカチャリと小さな音が鳴った。一瞬の間を挟んだのちに窓が開けられると、そこから黒い人影が顔を覗かせる。月明かりを背に受けたその人物は部屋の中の人間が眠っていることを確認すると窓枠を乗り越えて、静かに部屋の中へと降り立った。

「こんなに短い間隔で訪れるのは避けたかったけど……でもそうは言ってられない状況だし」
 青年はため息まじりに呟くと、二人分の寝息が聞こえるベッドへと近づく。そうして枕元まで歩み寄った青年は、安眠する人物の顔を覗き込……んだところで小さく肩を跳ねた。どうやらベッドに二人の人物が眠っていることに初めて気が付いたようだ。

 

 一人は白い頭髪を有する少年。少年とは言っても確か十六かそこらの歳だったか……まぁ少なくとも自分よりは年下であることは確実だ。名前はティルジア・ルエ・レリリアン。自分はこのティルジア君に用があってこうして訪れたのだ。

 そして……ベッドで眠っているもう一人の人物は暗い髪の少年だ。夜闇に包まれた部屋の中では正確な髪色は判別できないが黒かそれに準ずる色合いだと思われる。こちらの少年も体格や容姿から見るにティルジア君と近い年齢なのだろう。

 その子も今はティルジア君と同じく穏やかに眠っているのだが、その寝姿が少々気になる。この部屋のベッドは二人並んで寝ても場所に余裕があるほど広い……はずなのだが、どういうわけかこの暗い髪の少年はティルジア君をしかと抱いて寝ているのだ。ティルジア君も同様に腕を回しているので、お互いに抱きしめ合ってる状態と言えるが……。

 ともかく、この暗い髪の少年はティルジア君とどういった関係なのだろう。同じベッドで、かつこのような体勢で眠っているのだから親しい間柄だと考えられる。いや、そもそもここはティルジア君の部屋のはずだ。この暗い髪の少年は何故ここにいるのだろう。
 もしやティルジア君と恋仲なのでは……いや、それも違う気がする。何というか……眠っている二人の様子にそのような甘い雰囲気が全く感じられない。ならば友人……?いや、ティルジア君の立場を考慮すると友人を自宅に招待することなんておおよそ出来ないだろう。

 とすると……親類縁者、そのあたりか。そう考えるとこの暗い髪の少年の顔も……これと似た顔をどこかで見たような気がするし。それにしても二人ともよく眠っている。よほど仲が良いのだろう。微笑ましい限りだ。
 いや、和んでどうする。自分のやるべきことをやらねば。二人が起きたら大変だぞ。

 

 自身の目的を思い出した青年は「よし」と気を引き締めると、細心の注意を払いながら白髪の少年の頭に手を置く。青年はしばし瞳を閉じ、やがてゆっくりと息を吐きながら目を開けた。

「うぅ……やっぱりこの間と同じ。すっごいことになってる」
 つい一週間ほど前、この白髪の少年が幼い頃の姿になってしまう事態が発生した。その一報を受けた青年は即座に白髪の少年に会いに向かった。白髪の少年の無事を確認し、安堵したのも束の間。白髪の少年の体内の魔力構成が酷く崩れていたことが発覚したのだ。

 それは言うなればギリギリのところで均衡を保っているだけの、いつ何が起きてもおかしくない状態。小さな魔術ですら命取りとなりかねない、非常に危険な状態だったのだ。
 通常の検査や人の目では気付きようがなく、また白髪の少年本人も自身がそのような状態であるという自覚がない。この青年の力を使ってかろうじて分かるような内側の変化であることがまたタチが悪かった。青年の力で治療できる代物だったから良かったものの、そうでなければどうなっていたか……。

「もしかしてこのあいだ僕が治した分がうまく出来てなかったのかな……でもだからって何でウサギ?ウサギと何かあった記憶はないんだけど……」
 青年は出来れば思い出したくもない過去の出来事を振り返ってみるが、その中にウサギの姿はない。

 

「いや、そんなこと考えてる場合じゃない。今はとにかくコレを何とかしないと」
 青年はキッと目に力を入れると白髪の少年の頭に生えているウサギの耳らしき物に触れる。白髪の少年、そして暗い髪の少年もすっかり寝入っているのか起きる気配はない。
 青年は再び瞳を閉じ、意識を研ぎ澄ます。そして先ほどよりもいくばくか長い間を置いて再度目を開く。白髪の少年の頭には依然としてウサギの耳があるものの、青年はひとつ仕事を完遂したかのように大きく息を吐いた。

「問題のあるところは無事に戻せたかな。起きる頃にはきっと戻ってるはず。……ティルジア君、もう大丈夫だからね」
 青年は白髪の少年の頭をそっと撫でる。少年のあどけない寝顔が、過去に見た幼い姿と重なる。天真爛漫に笑い、こちらの話を目を輝かせて聞いていた無邪気な顔を。

 今はもう、あの頃のように話をすることは出来ない。この子のためにもそれが最善だと、サフィオ君と二人で決めた。その決断に後悔は無い。
 けれど……いつだってきみの事を想っていた。こうして成長した姿を間近で見られる日が来るなんて思わなかった。……これ以上にない幸せだ。

 

「それにしても今回はなんて説明しよう……結局何でウサギなのかは分からないままだし……対処したことと今後の状態はこの間の物とほとんど同じだから、それだけまた書いておこうかな」
 前回の騒動の際、青年は白髪の少年の身に起きていた異常を持ち前の力と経験を駆使して治療を行なった後、一編の書類を書き残してその場をあとにした。その書類には白髪の少年の身に起きた現象について、また元の姿に戻った後に発生し得る身体への影響をなるべく詳細に、かつ第三者にも理解しやすいようまとめられていた。

 今回も白髪の少年に治療を施したので前回と同様、簡単に書類に書きまとめておこうかと考えたのだが……まさか原因が分からずじまいになるとは思わなかった。
 だからと言ってこのまま帰るわけにもいかない。今回行なった治療内容と予後について説明できる者は自分しかいないのだから、それだけでも書き残しておかないと。

「はぁ……人に説明するのは苦手なんだけどなぁ……」
 青年の口からこぼれたため息は夜の冷えた空気の中に溶けていく。夜は深まってきたが日が昇るまでにはまだ時間がある。皆が寝静まっている今のうちに済ませておかねば。