麗らかな春の朝。広々とした王宮の、これまた広い通路を歩く者がひとり。その名はエスタ・ヴィアン。王宮警備の衛兵に就いて早四年の彼は、穏やかな空気に包まれたその道を鼻歌まじりに闊歩していた。
窓の外は昨晩の雨がまるで嘘かのように綺麗な青空が広がっている。王宮と詰所を繋ぐ通路にも少しばかり緑があるのだが、そこでは鮮やかな黄色いタンポポや可愛らしい小花がちょこんと顔を覗かせていて。そこかしこに暖かな春の陽気を感じさせられた。
春って良いなぁ。花も空も人も明るくて元気で、それにつられてこっちも楽しい気分になる。ん?空は元気って表現するのか?……まぁ細かいことは気にしなくていっか!
そのようなことを考えながら歩いていたエスタ。すると何やら通路の向こう側から歩いてきた人物が「おや?」と声を掛けてきた。
「エスタさんではないですか。おはようございます」
「あ、おはようございます」
こちらに気がついて挨拶してきてくれたのはこの王宮に従事する庭師。ティジのお気に入りスポットである庭園を管理しているお方だ。日頃、ティジの見守りのために共に行動することの多いエスタはこの庭師とも接する機会が多くあったので、すっかり顔馴染みの間柄であった。
「その様子ですと本日はお休みですか?」
「さっすが、ご明察!新年度が始まってから最初のお休みなんですよ」
庭師は、エスタの格好が衛兵の制服ではなく私服で、しかも鼻歌まじりでご機嫌に歩いていたので休日だと考えたのだろう。大正解だ。むしろこれで休日じゃなかったら直属の上司である上官にすぐさま捕まってしまう。始末書は免れないうえ、上官直々の教育的ご指導も待ったなしだろう。考えるだけで恐ろしい。
「あ、でも今日はちょっと用事があって……クルベスさんに呼ばれたんで向かってるところなんです」
そう、エスタはつい先ほどクルベスから呼び出しを受けたのだ。電話口でクルベスに「休みのところで悪いが来てくれないか。いま説明するのは難しいんだが……少々立て込んでて。お前の手を貸して欲しい。せっかくの休みに申し訳ないが頼む」と頼み込まれたのである。
ちなみにエスタは休日は一人で過ごすより、親しい人と一緒に過ごすほうが好きなタイプだ。ゆえにクルベスの頼みに迷うことなく頷き、ただ今こうして向かっているというわけである。
「そうでしたか。そういうことでしたらお引き留めしてしまい申し訳ありません」
「いやいや、俺のほうこそ。お仕事中にお話しちゃってすみません」
「いえ、エスタさんとお話するのは楽しいのでお気になさらず。それでは私はこれで。お呼び出し、頑張ってくださいね」
「はい、頑張ります!そちらもお達者でー!」
またお話しましょうねー!とエスタは元気よく手を振って庭師と別れる。ちなみにこんなところを上官に見られでもしたら「言葉遣いがなってない」と怒られるであろう。
はてさて。ついつい話し込んでしまったが、そろそろクルベスの元に向かわなければ。問題はどこに行くか、だが……場所は電話では言い忘れたらしく後ほどメールで送られてきた。目的の場所は……ルイの部屋だ。もしかするとクルベスだけでなくルイとも会えるかもしれない。これは良い休日になりそうだ。
スキップをしたくなる気持ちを抑えながら軽やかな足取りでルイの部屋の前へと辿り着く。こういうのは出だしが肝心。弾けんばかりの笑顔と元気な声で朝のご挨拶だ。
エスタは「よし」と小さく呟き、『今日も元気に明るくいくぞ!』と意気込んで扉を開けた。
「おっはようございまーす!今日も今日とて元気いっぱいなエスタ・ヴィアン!クルベスさんからのお呼び出しを受けて、ただいま参じょ――って何があったんです!?」
ルイの部屋に入り、その中の状況を見るなりエスタはたまらず叫ぶ。全くもって想定外の状況がそこにあった。
「来たかエスタ。見ての通りだ。えらい事になってる。……とりあえず中に入ってくれ。他の奴らに見られたら面倒だから」
扉の前で固まるエスタにクルベスはくたびれた様子で返す。その言葉に従ってエスタは部屋の中に入り、そっと扉を閉める。そして改めて中の状況を確認したが……やはり理解できない。
クルベスは非常に疲れた様子だがそれ以外は特におかしな点はない。問題はクルベスの目の前にいるティジだ。椅子に座って診察を受けている彼の頭には大きな異物が付いていた。
「ウサ耳……?」
「そうだ」
「いや、『そうだ』じゃなくて。俺の理解力の低さを舐めないでください。もう少し細かい説明が無いと全くもって理解できないです」
こちらの呟きにあっさり頷いたクルベスにエスタは待ったを出す。言っておくが今日は四月一日――面白おかしい嘘をついていい日でもない。それは数日前に終わってる。
「今朝起きたら何故かこんな状態になってたんだと。それ以上は俺もティジたちも分かってない」
「えぇ……」
説明と呼んでいいのかも分からない大雑把な説明にエスタは顔を歪める。そこでふと気がついた。そういえばここはルイの部屋だ。それなのに本人の姿が見えない。
『弟くんはいったいどこに……?』と見回すと隅っこで鼻を押さえてうずくまっているルイを発見する。手には血のついたティッシュが握られていることから鼻血を出してしまったのだと窺えた。
原因はおそらくティジの格好だろう。ただでさえ普段からティジの無邪気な言動に真っ赤になったり慌てたりしてるというのに、こんなウサ耳まで生やされたら……こうなっても無理はない。小さい声で「あれは反則だ」とか呟いてるのでルイにとって相当刺激が強いのだろう。
「一通り確認した結果、この耳は作り物なんかじゃなく本物だってことと、聴覚もしっかり通ってるってことが分かった」
「つまり今のティジ君って合計四つのお耳があるというわけですか……ってことは本物のウサギさんみたいにめちゃくちゃ耳が良くなってるってこと……!?」
「いや、音の聞こえ方は普段と変わらないらしい」
「そこは変わらないんだ……」
それは良いのか悪いのか。クルベスの補足説明にエスタは少々肩透かしを喰らった気分になったが『まぁ、色んな音が聞こえ過ぎてつらいってことにはならないから良いか』と自分を納得させた。
ちなみにそんなクルベスたちのやり取りをティジは静かに聞いているのだが、その間もその大きなウサ耳はピョコピョコと忙しなく動いている。エスタが話すとお耳はエスタのほうを向き、クルベスが話せば今度はクルベスへ。『本物のウサギもこんな感じなのかな』と見ていて飽きない。
「それと……しっぽ」
部屋の隅でうずくまっていたルイがいつの間にかエスタの隣に立ち、ぼそりと呟いた。どうやら鼻血は止まったらしい。
「弟くん、もう動いて平気なの?」
「いちおう落ち着いたんで……。で、その……ティジのソレ……耳だけじゃなくてしっぽも生えてる」
「あっ、そうだった!後ろのほうが変な感じがして……!たぶん、何かあると思うんだけど」
ルイの言葉で思い出したのかティジはハッと立ち上がってその場でクルリと半回転。そしてクルベスに背中を向けると自身のシャツの裾を持ち、腰から背中のあたりまで見えるようにたくし上げた。そこにはルイの言葉通り、ウサギのしっぽらしき物が付いていた。頭のウサ耳とお揃いの、見るからに触り心地が良さそうなふわふわのしっぽである。
なお、ティジがシャツをたくし上げた瞬間、ルイは首を痛めてしまうのではないかと心配になるほどの勢いで顔を逸らしていた。これにはエスタも『もしや弟くんが鼻血を出した原因ってコレなんじゃないか?ティジ君のこの行動のせいなのでは?この子、色々と無自覚なうえ、たまに突拍子もない事するし』と邪推してしまう。
「……まぁ多分ウサギのしっぽだろうな。頭のやつから察するに。とりあえずコッチも確認しておくか」
そう言ったクルベスは「動物は専門外なんだが……」とぼやきながら、しっぽの診察を始める。見たところ、しっぽは腰のあたりから直接生えている。頭のウサ耳と同様、時折り意思を持って動いていることからしてこちらも本物で間違いなさそうだ。
エスタが『しっぽが付いてるってどんな感覚なんだろう』と考えている横で、クルベスはしっぽの動きや反応を確認するため「触るぞ」と一言断りを入れてしっぽに手を伸ばす。クルベスの手がしっぽに触れた――その瞬間。
「ひぁ……っ!」
突如、ティジは甲高い声をあげて飛び上がる。その反応にクルベスは弾かれたように手を離した。
「……すまん。悪い、本当にごめん」
そして平身低頭で謝り倒す。地にひれ伏して謝りかねない勢いのクルベスにティジは慌ててブンブンと手を振った。
「クーさんが謝ることないよ。ちょっと驚いただけっていうか……なんだろ、ビリって変な感じがしただけで……」
「すまない。本当に、申し訳ないことをした」
そう言って平謝りするクルベスにティジは「そんなに謝らなくても……」と戸惑う。そんな二人のやり取りを横目にエスタは『ふむむ……』と顎に手を当て、名探偵よろしく洞察を始めた。
そういえば犬とか猫ってしっぽを触られる事を嫌がるとか聞いたことがあるな。神経が集中しているからとかそんな理由で。
となればティジ君のしっぽも同じように色々と敏感なのかも。ティジ君本人は「ビリって変な感じがした」って認識してるあたり、よく分かってなさそうだけど。
エスタはそこまで考えたものの『本人が分かってないなら言わないほうがいっか』と判断し、口をつぐむことにした。こういうのは下手につつかないほうが良いのだ。
「……って弟くん、大丈夫!?」
何やら静かだと思い、隣に目を向けるとなんとルイは床に倒れ込んでいた。小さく丸まり、手のひらで覆い隠しているため表情こそは見えないものの、わずかに見える耳は湯気が出そうなほど真っ赤に染まっていた。
十中八九さっきのティジの声が原因だろう。クルベスやエスタには全く問題なかったがルイには効果抜群だったらしい。意中の相手のあのような声を聞けばそうなるのも仕方がない……と言えるか?あの声を聞いただけで本当にこんなことになるのか?いや、邪推するのはやめよう。今はルイの無事を確認しなければ。
「弟くーん……大丈夫?」
エスタが膝をついて声を掛ける。するとルイは何やらボソボソと呟いていて。そっと顔を寄せ、耳を澄ますことでようやくその内容を聞き取れた。
「なに今の……あんな声……夢で見たのより百倍ハレンチな……!あんな、あんな声聞かされたらさぁ……!」
ついでに色々と不健全な妄想までしたらしい。まぁ、ある意味で男の子らしいというべきか……そういうところはしっかり男の子をしてるルイなのであった。