雪月夜 - 1/3

「おい起きろ。いつまで寝てんだ」
 えらくぶっきらぼうなモーニングコール。その声にエスタは目を閉じたまま「あと5分……」と寝返りをうった。

「さっきもそう言ってた。もう5分待ったんだからいい加減起きろ」
 うぇえ……なに……?人が気持ちよく寝ているのに……。ていうか俺を起こそうとしているのは誰?

 弟くんならもうちょっと優しく起こしてくれるだろうし、クルベスさんだったらこんなぞんざいな言い方しない。それなら上官……?いや、あの人ならそもそも5分も待ってくれるわけないか。速攻で布団ひっぺがして『気がたるんでる』って教育的ご指導してくるわ。
 でも何でだろ。この声を聞いてるとすごく落ち着くっていうか……あ、なんかもう一回眠れそう……。

「起きろっつってんだろ」
 グイッと肩を掴まれて強制的に体を反転させられる。転がされた勢いで意識を覚醒させられた俺が目を開けると――

「ようやく起きたか」
 不機嫌そうなその人物を捉える。
 パチパチと何度かまばたきをしたがそいつは目の前から消えることは無い。衝撃のあまり言葉を失っている俺にそいつは少し心配そうな表情を見せた。

 

「……レイジ?」
「そうだけど」
 俺が呼びかけると、自分が最後に見た姿と比べて大人びた雰囲気の人物――レイジ・ステイ・カリアは眉目秀麗な顔で「それがどうした」と言う。
 目の前のどえらく整った顔に手を伸ばして、まるで割れ物を扱うかのように触れた。うん、さわれる。

「おい、何がしたい――」
「このバカ!!!」

 突然の罵声に今度はレイジが目を丸くする。

「……お前にだけは言われたくないな」
「うるさいバカ!!大バカ!!なんで、なんであんなことしたんだよぉ……!」
「なんのことだよ。てかうるさいのはお前もだろ」
 バカと連呼されてレイジはあからさまに機嫌を悪くする。

 動いてる。喋っている。でも俺は知っていた。
 だってお前は――

「なんで死んだんだよ!!なんで……弟くん、泣いてたんだぞ……!」
「――っ、お前……なんで知って……」
 その言葉に俺はボロボロと涙を流す。感情のままに叫んだがやはり合っていたらしい。

 この人物は俺が最後に会った日からおよそ八年後の――自ら命を絶ったレイジ・ステイ・カリアだ。

 

「ばか……ばかぁ……この分からずや……」
 その胸をドンドンと叩きながら恨み言を呟く俺にレイジは黙りこんだままだ。否定もしないということにまた一層苦しめられた。

「この超絶ブラコン厄介オタク……」
「てめぇ、あんまり調子乗るなよ」
 さすがに我慢ならなかったのかレイジに無理やり引き剥がされ、涙でグッシャグシャにした情けない顔を晒される。

「……なんでいるの」
「『死んだはずなのに』ってか」
 こちらがあえて言葉にしなかったのに、当の本人は全く動じることもなく言ってのける。そういう態度すらも懐かしくて。

「まぁ、なんだ。神様の気まぐれみたいなもんだよ。少しの間……だいたい二時間くらいか。その間だけここで話ができる……ってことだ。そうらしい。どういう目的かは分からないけど」
「え……」
 その説明に絶句。そしてしばし黙りこくる。

 タイムリミットありの再会。
 それなのに俺は――

「俺なんで二度寝したのっっ!!?」
「俺は何度も声かけたぞ」
 レイジも呆れた顔。俺も自分で自分に幻滅する。

 

「まじでバカ……大バカ……なにやってんの俺ぇ……」
「そうやって嘆いてる間も、時間は止まらないからな」
 自分のバカさ加減に頭を抱えていた俺だったが、レイジの言葉に慌てて一人反省会を止めた。

 とりあえず現状を確認しよう。この部屋の出入り口は扉が一つだけ。確認したけどやはりと言うべきか開かない。あとは俺が寝かされていたベッド。その横には今レイジが座っている質素な丸椅子。他には何も無し。せめて水ぐらいは置いていてほしい。

「こっち座る?」
「いや、このままでいい」
 ベッドに腰掛けていた俺は自分の横の空いているスペースをポンポンと叩くも、レイジに断られてしまった。というわけで俺はベッドに、レイジは向かい合うように丸椅子に座った状態で話を続けることにした。

 

「てかよく分かったな。てっきり俺のことは忘れてると思ったんだが」
 感心したようにレイジが言う。人の気も知らないでなんてこと言うんだ。俺はそんな冷たい奴じゃないぞ。

「俺はこの八年間、一度だってお前のことを忘れたこと無いんだけどー?ていうかこっちはお前のせいで進路やら人間関係とか人生もろもろ変わっちゃったんですー。責任とってくださーい」
「……悪い。それは難しい」
「いや、冗談だって。まじで責任とらなくていいよ」
 ところでこいつの考える『責任を取る』ってどんな方法だろう。いちおうこの国って同性婚は出来なくは無いけど……よもやそういう系?

 

「そういえば今は何してるんだ」
「ふっふっふ、聞いて驚くなよ。なんと今は衛兵をしてます。王宮の警備を担当してんだぞ」
 まぁ当初の配属先は民間の教育施設の警備だったのだが、色々な偶然が重なって王宮警備のほうに配属された。
 レイジはまさか俺が衛兵に就くとは思っていなかったようでポカンとしている。ノリで『聞いて驚くなよ』と言ったが実際は何かリアクションが欲しかったのでとても嬉しい。

「……俺、お前に言ってたか?」
「え、何が?」
「いや……何でもない」
 レイジと弟くんが王族とご親戚だってこと……ではなさそう。それを教えていることはレイジも覚えてるっぽい。

「そんな言い方されるとすっごい気になるんだけど」
 俺がそう言ってもレイジはムスッとしたまま口をつぐんでしまう。
「気になって一生考えちゃうかもしれないなぁ。あー、考えすぎて夜もちゃんと眠れなくなっちゃうかもー」
 すごいイジワルな言い方だがこの部屋から出てしまえば文字通り真相は闇の中になってしまう。なので何とか聞き出せないかチラチラとレイジを見るとそれが効いたようで。

 

「父さんに将来なりたいものを聞かれた時に言ったんだよ。人の役に立つ、というか……誰かを守る仕事がしたい……って」
 レイジの言葉に俺は「へぇ、すっごい偶然」と驚く。「俺たちもしかして似た者同士だったりして」とほざいたら脇腹を軽く殴られた。

 実のところ、レイジはそれを聞いた父から『衛兵になるのはどう?』と言われていたが、それを話せばエスタがさらに調子に乗ると考えたので黙ることにした。

「この話はもういいだろ。で?ちゃんとやれてるのか?」
 レイジが明らかに話の方向をずらそうとしているのは俺でも分かったけどあえて指摘はしないでおく。
「まぁぼちぼち。弟くんやクルベスさんとも仲良くやってるよ」
「詳しく聞かせろ」
 弟くんのことを出した途端、レイジが前のめりになる。やっぱり変わってないんだなぁ……。
 あっという間に興味の方向が俺から弟くんたちのほうに変わったことを少し寂しく思いながら弟くんたちのことを話した。

 

「――とまぁそんな感じで弟くんも元気にしてるよ。学校に行ったり好きな子もできたり……ちゃんと『今』を生きてる」
 レイジが命を賭して守った弟くんは健やかに日々を過ごしている。そういう意図を込めて言ったのだが、それまで微笑みを浮かべて聞いていたレイジの雰囲気が何故か凍りついた。

「ルイに?好きな子ができた?」
「あっ……うん……」
 やっべ。口滑らせた。

「お兄ちゃんそんなの知らない」
「レイジさん、落ち着いて。声がめっちゃ怖い」
 表情は笑顔のまま固まってるけど目が全然笑ってない。お怒り時のクルベスさん(ティジ君が言いつけを守らずに勝手に一人で行動して迷子になった時とか)に似ていてとても怖い。

「どこのどいつ」
「怒りが滲み出てるよー?ね、いったん深呼吸しよ?」
 落ちつかせるためレイジの肩に手を置いたが即座に払い落とされた。
「言え。今すぐ。ルイをたぶらかしたのはどこの馬の骨だ?」
 聞いたら殴り込みにいきそうな怒気。久しぶりで忘れかけてたけど、こいつは筋金入りのブラコンだったわ。

『大丈夫かな……とてつもなく理不尽なかたちで俺に怒りの矛先が向いたらどうしよう……』と戦々恐々としながら慎重にティジ君のことを話すことにした。

 

「あぁ、あの子か」
 眉間にシワを寄せたままのレイジはティジ君のことを一通り聞くとひとつ頷いた。
 ……弟くんがこの気持ちを自覚した時、ティジ君とエッチなことをしてしまう夢を見たことは言わないほうが良いだろう。弟くん一筋のこいつのことだ。下手すりゃ流血沙汰になりかねない。(ちなみに血を流すのは俺のほう)

 深いため息。当然ながら納得はしていない様子。

「まぁ……あの子なら……悪いようにはしないか」
 良かった。ギリギリ許せる範囲だったみたいだ。でも弟くんももう16歳だからな。いつまでもホワホワの可愛い天使ちゃんじゃないんだぞ。少しは自由意志を尊重してあげて。

「ティジ君のことを知ってるの?」
「……昔、少し関わったことがあってな。ところでティルジアくんはルイがその……そういう気持ちを抱いてるって気づいてんのか」
「ううん。むしろ弟くんが気の毒になるぐらい全く気づいてない」
 その返答にレイジも複雑な顔をする。だよね。弟くんの気持ちを応援はしたいだろうけど、弟くんが誰かとお付き合いするっていうのも嫌なんだろうね。